Cosmos and Chaos
Eyecatch

第5章:ゴースト・ティム

  • G
  • 5047字

 翌朝、少し冷静さを取り戻したヴィクトーは、朝起きると引き出しから昨日の手紙を取り出した。良く考えると、この手紙に書いてある事は非現実的というか、鵜呑みにして舞い上がると危険な気がしてくる。
(おっと、こっちも忘れてた…)
 もう一枚、机の上に置いてあった進路希望の紙に気付いて鞄に入れると、顔を洗って朝食の準備に取り掛かった。
「おはよう」
 これまた丁度支度が出来る頃にエリオットが起きだしてきた。
「おはよう。今日は非番?」
 眠そうに欠伸をしながらエリオットが肯定する。エリオットは北の城門を守る衛兵だ。
「進路希望の紙は管理官で出すよ」
 ヴィクトーは勢い余ってハムエッグの上に胡椒を掛け過ぎてしまったが、今は気に留める事が出来ない位に緊張していた。エリオットに言わなければいけない事がある。
「お前の仕事だ。好きにしろよ」
 別に突き放す訳ではなく、優しくエリオットが言った。ヴィクトーは少しだけ本音を漏らした。
「衛兵になりたかった…」
 エリオットはヴィクトーに憐みの目を向けた。誰よりもその想いの強さを知っているのはエリオットだ。
「まあ、国の決めた事だから、しょうがない…」
 ヴィクトーもそれは納得していた。この国に居られるだけでも、学校に通えた事だけでも、幸せな事だと思わなくてないけない。
「あの…それでさ…」
 エリオットは無言で続きを促した。ヴィクトーは昨日手紙を読んでから様子が変だが、もう子供では無いと思っていたので余計な詮索は入れないつもりでいた。
「その…卒業したらだけど…この家出ようかと思って…」
 エリオットは黙ったまま頷いた。しかし、一つだけ念押しをした。
「俺に家族と復縁して欲しいとか、俺が結婚するのに自分が邪魔だからとか言う理由じゃないな?」
 ヴィクトーは首を振った。半分本心で、半分嘘を吐いて。
「それもあるけど…」
(本当は別の目的の為に)
 エリオットはヴィクトーの心を見透かす事が出来ずに再び頷いた。
「わかった。お前も子供じゃないしな。管理官になれば城門付近に部屋を準備してくれると思うし、そうじゃなくてもお金に困ったら俺がどうにかしてやる」
 エリオットは決して給料が良い訳では無かった。特に生活に困窮してはいないが、贅沢を出来る程でもない。特に若い頃から(今でも若いが)ヴィクトーを育ててきたので、貯金や自分の贅沢は殆ど出来ていなかった。それでも資金を援助してくれるというエリオットにヴィクトーは心打たれた。
「ありがとう」
 その後は何となく会話が続かなかった。いつもはもっと冗談の言い合い等して二人にしては騒がしい食卓なのだが、今朝はいずれ来る別れの運命にどちらも苦しめられている様だった。
「あ、あとさ」
 エリオットが食べ終わった食器を片付けている背中に向かってようやく切り出した。
「ん?」
「今日仕事無いんだったら、馬貸してよ」
「良いけど、なんで?」
 学校までは歩いてもそう遠くない。実際、これまで馬で学校に行った事は一度も無い。
「ちょっと遠い本屋まで行きたいんだ」
 エリオットは詮索しない主義なので、そこまで言えばすんなりと納得してくれた。学校で宿題の続きをするから早く行く、と嘘を付いていつもよりかなり早い時間に家を出ると、ヴィクトーは南へ向かって馬を走らせた。昨日の手紙の指示通りに。
(本当か嘘か…)
 風に靡く長い前髪を片手で払いながら道を急ぐ。昼間はまだ暑いが、まだ陽が高くない内は風があればそれなりに涼しかった。
(行ってみりゃわかるさ…)
 もう一度前髪を払う振りをして、ヴィクトーは顔の前で手を止めた。まるで涙を隠す様に。
 今から起こる事に神経を集中しようとしたが無駄だった。涙腺という物は何処までも感情に忠実らしい。
 エリオットと別れなければいけない。
 その、出会った時から避けられない事は知っていたが、今まで避け続けてきた事実を改めて突き付けられた。ヴィクトーの十七年の人生の内、幸せだったと思える期間、歳を取って懐かしもうと思える時間は全てこの国に来てからの事だ。そして、その期間ずっと、ヴィクトーはエリオットと共に居た。また、エリオットが反対を押し切り、ヴィクトーを無理矢理引き取っていなければ、この国での生活は国外に居た時と同じく、陰気で後ろめたいものであっただろう。
 幼くして本当の家族を失ったヴィクトーにとって、エリオットは父であり、兄であり、先生であり、友人であった。
 いずれは離れて住まざるを得ないだろうから、せめて同じ仕事に就きたかった。同じ仕事が無理でもその近くで生活したかった。だから管理官を志望するのだ。
 しかし、もしこの手紙に書かれている事が事実なら、管理官の仕事も数年と経たないうちに諦めざるを得ないだろう。

 ブルーナは玄関の鍵を閉め、店の横の階段を下りていた。早朝の商店街は人影も殆ど無い。ブルーナは教室に一番早く入っているのが日課だった。人が大勢居る時に扉を開けると、開けた人物が誰であれ音に反応して扉を見る生徒が少なからず居るからだ。そんな些細な注目でさえも、ブルーナは受けたくなかった。
(あれ?)
 ブルーナは一瞬自分の目を疑った。今階段の下を通ったのは、フェリックスだろうか? ブルーナにはフード付きのマントの下に白い髪が見えた気がした。しかしまだ開店の時間には早過ぎる。それに此処はフェリックスの通学路でもない筈だ。彼は北に住んでいるのだから。
 少し急いで階段を下りると、確かに生成り色のマントを被った人物が立っている。しかしフェリックスよりは体が小さい。その人物は店の前に立ち、じいっと2階を見ていたが、やがて自分を見つめているブルーナに気が付いて振り向いた。
 あっ、と小さく叫んでしまった気がする。
 それはブルーナと同じ年頃の少年だった。
 フェリックスと同じ、白い肌に紅色の目の。