第56章:銃声

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 幕が下りると、観客は立ち上がって拍手喝采し始めた。毎回、パンフレットにはカーテンコールの時も座っているようお願い事の欄を用意しているのに、大抵の観客はそれを無視する。
 立ち上がって歓声を贈る熱心なファンが居る一方、劇が終わると直ぐに立ち去る忙しげな客も居た。この二つのタイプの客達は、マーカスにとってもアレックスにとっても、都合が良い半面悪い点もあった。
 幕が再び開き、脇役の俳優から舞台に上ってくる。マーカスが拍手をしながら立ち上がったが、その手はやがて腰のピストルへと向かっていった。アレックスは焦り出した。客がざわついているので銃を構えてもマーカスが気付きにくいだろうが、客が邪魔でほんの少し前に座っている彼を狙う事すら難しいのだ。
 一方マーカスも、客に怪しまれない様にエドをゆっくりと狙う暇は無かった。エドが出て来て、動きを止めた瞬間に抜いて撃つしか無い。舞台は高い位置にあるから、アレックス程狙いにくい訳ではないし、立っているから銃を抜きやすいのはまだラッキーだと考えるべきだろう。
 エドガーの役の重要度はオレンジ色の髪のヒロイン、蝙蝠の翼を生やした悪魔、ヒロインの婚約者に次いで四番目。恐らく天使の後か、彼(女)と共に出て来る筈だ。
 マーカスは緊張した面持ちで舞台を凝視していた。アレックスはマーカスの背中と舞台を交互に見遣る。
 案の定、エドは天使と悪魔の悲恋を共に演じた、ピエールと並んで出て来た。マーカスが銃を抜き、残る主役達の為に脇へどいたエドに狙いを定める。
(…ええいもう自棄くそ!)
 アレックスはヴィクトーの魔力半分、自分の意思四分の一くらいの決意で、丁度前に居た客が退いた隙間から、マーカスの後頭部を狙って弾を放った。因みに、残る四分の一の決意は、ヴィクトーに死んで欲しくないが為に撃ちたくないと思ったものの却下された。
「きゃあああああ!」
 他の客には絶対当てまいという意思の下放たれたアレックスの弾はマーカスの頭上を通り過ぎ、劇場の反対側の壁に当たった。銃声を聞いた観客達がパニックに陥る。
「お客様はホテルへ逃げて下さい!」
 舞台の上からピエールが叫んだ。自身もエドを連れて舞台裏へ隠れる。
 アレックスがほっとしたのも束の間、マーカスがまだ引き金を引く前だった銃をアレックスに向け、発砲した。
 一瞬死んだと思った。何故なら頭に衝撃が走ったからだ。
「あんた…」
 しかしアレックスは生きていた。彼は後ろから襟首を掴まれ、仰向けに倒されていた。
「…アレックス!?」
 深紅の瞳が見開かれ、アレックスの顔の前に浮かんでいた。兄弟の横を、狂乱状態の観客達が一目散に出口へと駆けていた。

 マーカスは一瞬何が起こったのか判断に困った。自分はまだ引き金を引いていないのに、銃声が。
 始めはヴィクトーが撃ったのかと思ったが、彼は座席に座ったままだからエドガーを狙えない。ではアレックスかと思って後ろを振り返った。
 彼の拳銃はこちらを向いていた。反射的にマーカスは撃ち返したが、その前に誰かがアレックスを後ろに倒したので、これも劇場の壁に傷を付けただけだった。
(アレックスが操られていなかった…?)
 ラザフォードの歌の解除魔法はまだ発明されていない。命令を解除するには命令を上書きするしか無いのだ。
 それが出来るのはヴィクトーしか居なかった。隣を見ると、上目遣いにマーカスを蔑み笑う彼が居た。マーカスは抵抗しないヴィクトーの首を掴んで立たせる。
「やってくれたぜこの野郎」
 両手の指に力を込めると、ヴィクトーが苦しげに顔を歪めた。しかし、彼も武器を持っているのにそれを使わないあたり、まだヴィクトーに対する魔法は効いている様だ。
「お前は後でゆっくり相手してやる! 骨の髄まで食ってやるからな!」
 言い放って乱暴にヴィクトーを突き放す。ヴィクトーは観客席の肘置きにこめかみをぶつけ、床に倒れたまま動かなくなった。マーカスは逃したエドガーを探しに踵を返した。
「止まりなさい」
 観客も役者も逃げ、殆ど誰も居なくなった劇場の入口に、灰色の軍服を来た色の黒い男が剣を構えて立っていた。
「ラザフォードの人間か?」
「御名答」
 マーカスはそちらに近付きながら自分も剣を抜く。ラザフォードと言えど、戦いの始めから歌を歌う事は少ない。魔力もそれなりに体力や集中力を要するので、武力で解決出来る事は出来るだけ武力でカタを付ける。
「お前は『エリオット』か?」
 エリオットは答えなかったが、それが答えになっていた。
「どうも、俺の甥っ子に下らねえ教育をしてくれたみたいで!」
 その言葉が宣戦布告だった様にマーカスがエリオットに切り付ける。エリオットは剣でそれを受け止めたが、次の瞬間にはマーカスの二撃目が繰り出される。
 エリオットは力も技術も相手に劣っている事を直ぐに悟った。しかもまだ相手は本気を出していない様に見える。
(しかし絶対に此処を通す訳にはいかない!)
 決して負けられない。此処でマーカスがエドガーを殺す事が出来たら、六年前のあの事件の犠牲者の命も、ヴィクトーが傷付いた事も、全て無駄になってしまうのだから。

「ガブリエル病院へ逃げなさい」
 オズワルドの指示にレベッカが頷く。彼女はエドガーを抱える様に前に乗せて、馬の腹を蹴った。
「誰が撃ったの?」
 フェリックスと同じく視力が十分で無いエドが、振り返ってオズワルドに尋ねた。
「判らない。しかし、弾が当たった位置からして、エドを狙った訳ではなさそうだ」
「だったら僕は逃げない!」
「駄々をこねないで。念の為って言葉を知って頂戴」
 レベッカに言われると、エドは歯軋りをして前を向いた。自分はいつでも、誰かに守ってもらう側だ。いつになれば守る側に立てるのだろうか。

《怪我人は!?》
 ホテルの警備員等と共にロビーで外を警戒していたアンジェリークが、客をそれぞれの部屋に誘導し終わったピエールに尋ねた。
《走ってこけて膝擦り剥いた人が一人だけ。手当も終わってる》
 今度はピエールが尋ねた。
《客席に取り残されてる人は居ないよね? 一応劇場に戻ろう》
《駄目、団長さんが戻るなって…》
《アンジェリークは自分が怖いだけだろ!?》
 ピエールは右手にリボルバーを持っていた。しかしその手はさっきから震え通しである。それでも天使の衣装で凶器を抱えている姿は、この世の平和の終焉を象徴している様だった。
《また人を殺すかもしれないって、自分が罪を負うのが怖いんだ! 俺は行く! 劇団員はまず第一に客の事を考えるべきだ!》
 そしてピエールはアンジェリークや警備員達が止めるのも構わず、劇場へと向かった。
(やば、心臓が破裂しそう…)
 土壇場で恐怖の波がひたひたと迫り、団員用の出入口の所で躊躇していると、オズワルドが来た。
「ホテルに居なさいピエール」
 そして彼(女)のリボルバーを奪う。
「団長…俺…」
 ピエールは何とかして自分の思いを伝えようと努力した。
「幸せに育ってきて…それで…凄く辛い人も世の中には居るんだなって…それで…」
「私達を手助けしようとしてくれているんだな」
 ピエールは頷く。
「その心は素晴らしいよピエール。エンターテイナーは人々を幸福にする仕事だからね。ただ…」
 オズワルドはピエールに背を向け、劇場の扉を開けた。
「君までその辛さを背負う事は無い。人が死ぬ所なんてな、なるべく見ないで人生を終える方が良いに決まってる。人を殺す事もだ。医者や兵士なら避けられない道だがね、君は役者だろう?」
「そのヴィクトーさんとかには避けられない道だったって言うんですか」
 オズワルドはピエールを振り返った。
「団長にとっても避けられない道ですか? 確かに貴方は医者だ! でも、貴方が初めて人を殺めたのは、医者を辞めた後だった筈!」
「黙りなさいピエール!」
 ピエールは頬を打たれた様に押し黙った。上から怒鳴られて目に涙を浮かべる。
「…ホテルに戻りなさい。君の心遣いには感謝するよ…」
 今度こそピエールは指示に従う他無かった。ロビーではアンジェリークがショックを受けた顔でソファーに座り込んでいた。
《さっきはごめん》
 手ぶらになって帰ってきたピエールをアンジェリークが一瞥する。
《自分でも何言ってるか解ってなかった。アンジェリークはわざと人を死なせた訳じゃないのに。[]つなり蹴るなり好きにして良いよ》
 そう言って目の前に跪くピエールを、彼女は赦した。
《ピエールの言う通りだから》
 アンジェリークが過去を受け入れ、新しい一歩を踏み出せて居ない事は、ピエールが指摘する通りだったから。
《…ピエール、フェリックスは?》
 アンジェリークの問いに、下を向いていたピエールがハッとした様に顔を上げる。
《そう言えば見てない。もしかしてまだ劇場に居るんじゃ…》
 アンジェリークの顔が見る間に蒼白になる。
《…大丈夫だよきっと。もしかしたらエドと一緒に逃げたのかもしれないし。とにかく、団長から指示があるまでは此処に居よう》
 ピエールはアンジェリークを励ましたが、きっと彼はまだ劇場内に居るに違いないと思っていたので、自身の不安を顔に出さない様にするので精一杯だった。

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