第18章:催眠術

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 平和な日々が続いていた。ラザフォードがウィリアムズを攻めて来る事は無かった。ヴィクトーはあれから歌を聞く事は無く、頭痛も快方に向かっていた。ヴィクトーは明日、十八歳の誕生日を迎える予定だった。晴れてようやく成人である。
 協力者を必死こいて集める必要が無くなり、就職内定も取っていたヴィクトーは、のんびりと最後の学生生活を楽しんでいた。と言っても、学校に通い始めたのは中等学校の途中からなのだが。それに、相変わらず出席出来ない授業の時間は、屋上で寝そべって時間を潰していた。
 午前中の授業を終了させるベルが鳴ったので、ヴィクトーは体を起こして伸びをすると階段を下りた。最近はアレックスと昼食を食べない。暫く体調不良で学校を休んでいたら、アレックスに彼女が出来ていた。病み上がりに再び精神的ショックでもう一回学校を休もうかと思った事を思い出して一人で笑っていると、擦れ違った教員に変な目で見られた。
 フェリックスとブルーナも相変わらず上手くやっている様で、安心している。ティムに計画の事をフェリックスに伝えるよう指示されたブルーナは、まだその事を伝えられていなかったが、ヴィクトーはその方が良いと思っていた。伝えたら、二人の関係に罅が入る事は間違いない。ティムの計画は残酷だ。ティムが計画を諦めてくれれば良いのに。ヴィクトーは最近、自分でもらしくないと思いながら、そういった事を考えていた。
 この国の腐った軍人達、腐った伝統に対する復讐。ヴィクトーがこの国で暮らしながら、ずっと考えて来た事はそれだった。しかし、もう、どうでも良い。ラザフォードの歌に苦しめられた後の反動か、ヴィクトーはとても穏やかな気持ちになっていた。
 しかし、一つだけ気に掛かる事があった。
 エドガーの事である。
 ヴィクトーは昼食を食べながら、生き別れになった弟の事を考えた。六年前のあの悪夢の様な出来事のきっかけとなった弟。ヴィクトーは以前からエドガーとは仲良くなかったが、正直、生き別れであろうと何であろうと、顔を見なくて済むようになって清々していた。しかし、今頃になってふと、弟はどうしているのだろうかと考える機会が増えた。そういえば、今日はエドの十四歳の誕生日であった。
 エドガーもまた、アルビノであった。あの紅い瞳が自分を睨み付けている古い思い出を頭から押しやり、食事を済ませるとヴィクトーは剣術の授業へと向かった。

六年前、再び奴隷が
我等一族を追いやった
追いやったのは、黒い奴隷と
ビックリ人間の、集団だ
裏切り者は死んだが
ヴィクトーとエドガーはまだ生きている
裏切り者を、地獄へ落とせ

「エドガー…」
 ヴィクトーが呟いた名前を、隣に座っていた同級生が聞きつけた。
「ん? エドがどうかしたのか?」
 今日の剣術の授業は、一対一の試合形式で行われていた。いくつかある細長い台の上に、二人で向き合って戦うのだが、台の数に限りがあるので、半数以上の生徒は自分の番が来るまで横の方でクラスメイトが戦うのを眺めていた。
「いや、何でもない」
 ヴィクトーのクラスにもエドガーという名の生徒が居た為、同級生は彼と勘違いしたのだろう。ヴィクトーに行き別れになった弟が居る事実は勿論の事、ヴィクトーがあのラザフォード一族である事すら、多くの人間は知らないのだから。
「次、フィッツジェラルドとフォーテスキュー」
 審判役の生徒に名前を呼ばれ、名を呼ばれた二人が台の上に上る。使う剣は重さも形も本物と同じだが、刃の部分が丸められて切れなくなっている模型だ。最高学年になっても、真剣を使う授業は滅多に無い。それでも全力で突いたり殴ったりすればかなりの威力なので、二人は防具を付け直すと互いに握手をして各々台の両端に立った。
「始め!」
 審判の生徒が片手を上げて合図する。台の上の二人は互いに距離を詰めると、剣を繰り出すタイミングを計った。
『エドガーはまだ生きている』
 ヴィクトーは身を固くした。一瞬、ラザフォードの歌が聞こえた様な気がしたのだ。その隙に攻めてきたフォーテスキューの剣をかわして飛びのきつつ、体制を整えてチャンスを待つ。
『エドガーを殺せ』
 ヴィクトーは再び緊張した。頭が痛い。今度ははっきりと聞こえた。
 ヴィクトーの異常には気付かずにフォーテスキューが攻める。ヴィクトーは微塵も避ける事が出来ずに肩にフォーテスキューの一撃をもろに食らうと、台の上から転がり落ちた。
「ヴィクトー?」
 突いた本人も意外な事に驚いて台から飛び降りる。審判や周りで見ていた生徒も駆け寄って来た。クラスで一番剣の扱いが上手いヴィクトーが、こんなにあっけなく負けるとは何事か。
「大丈夫か? 何処も打ってないか?」
「大丈夫だ」
 防具を付けていたので少々打ち身をしただけで済んだが、ヴィクトーは頭痛が酷いのでそのまま早退する事にした。痛みの中で、あの歌の一節がぐるぐると回っていた。
『エドガーを殺せ』
 着替えて教室に戻り、自分の荷物を纏める頃には頭痛は治まっていた。しかし、彼の瞳に獰猛な光が宿っている事に、彼自身も気付く事は出来なかった。

 フェリックスはブルーナとショッピングをしていた。今日は学校の創設者の誕生記念のなんちゃらとか言う事で、午前中につまらない式典があった後、午後は授業も無く自由な時間を楽しめるのだ。
「ねえ、これ可愛い!」
 ブルーナが手に取ったネックレスを、鏡に向かいながら首元に当ててみる。
「似合う?」
「こっちの方が良い」
 ブルーナの持つピンク色のネックレスを取り、代わりに色違いを渡す。瞳の色がブルーなので、フェリックスの選んだ水色の方が確かに良く合っていた。
「これ買おうかな」
 二人でレジに並んでネックレスを購入すると、二人はフェリックスの家に行く事にした。学生なのでお金はあまり無いのだ。どちらかの家に行くのが、お金を掛けずに時間を潰せる一番良い方法だった。
 雑貨店を出て、北へ向かって歩き出していた時だった。腰に銀色の剣を下げ、黒いマントの制服を着た学生と擦れ違いざま肩がぶつかった。
「ああ、すみません。急いでいるもので」
 ヴィクトーだった。彼はフェリックスに愛想良く詫びると、ブルーナの方はちらりとも見ずに、人込みに紛れて足早にその場を去る。
「前にアレックスと一緒に居た事があるよね、あの人。年上に見えるけどアレックスの友達かな?」
 フェリックスが再び歩き出しながら言った。本来ブルーナはヴィクトーと知り合いではない筈なので、気取られない様に慎重に返す。
「そうだったっけ?」
「うん。道で見たじゃん。でも、こんな時間に何してるんだろ」
 アレックスはまだ授業の筈だ。まあ、自分には関係無い事だし、フェリックスは気にしない事にした。
 一方ブルーナはヴィクトーの目に鋭い刃物の様な光が宿っている事を見逃していなかった。
(いつものヴィクトーじゃない…)
 ヴィクトーが向かった方向を振り返った。自分の家の方向だ。一体何があったのだろう。追い駆けて訪ねてみたかったが、フェリックスに腕を引かれたので、彼女は諦めてフェリックスの家へと向かった。

『エドガーを殺せ』
(嫌だ…)
 ヴィクトーはフェリックス達と別れた後、ブルーナ・ブックスへと足を運んだ。ラザフォードの歌に支配されつつある思考の、僅かに残った正気が、この状況をどうにか出来ないかともがいていた。
 店に着くなり手当たり次第に魔法の本を調べてみる。が、ヴィクトーは魔法についてはど素人だ。ラザフォードの歌への対処法が直接書かれている様な本でない限り、ヴィクトーの役には立ってくれなさそうだった。諦めて今度は歴史の本棚や、ゴシップ本の本棚を漁る。店主のブルーナの父親が胡散臭そうな目でヴィクトーを見たが、気にしている場合ではなかった。どんなゴシップでも良いからラザフォードの歌に纏わる情報は無いかと探したが、結局、有益な情報は得られず手ぶらで帰る事となった。
 今日に限ってエリオットの帰りが遅かった。ヴィクトーは精神的に限界が近付いていたので、日が暮れると自らの両足と左腕をベッドの柵に縛り付けて眠ろうとした。右手だけは自分で縛る事が出来ないので、放っておいた。
『エドガーを殺せ』
(殺さない)
『エドガーを殺せ』
(殺さない!)
 頭の中でこのやりとりを何度繰り返しただろうか。本音を言えば、ヴィクトーはエドガーの事を殺したい程憎んでいた時期もあった。しかし、今此処でラザフォードの歌に流されてしまえば、きっと自分はエドを傷付けるだけでは終わらないだろう。何故なら、ラザフォードの目的は、この国の奪還なのだから。

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