Cosmos and Chaos
Eyecatch

第2章:君に幸あらん事を 2

  • G
  • 2698字

「そうそう、じっとしててね…はい、もう良いわよ」
 フェリックスの両親は仕立屋を営んでいた。普通のスーツから学校の制服、王族の衣装まで、取り扱いは幅広い、老舗の洋服店である。
 今日は入学準備として、小学校の制服を作りに来た親子が居た。
 採寸から解放された六歳の少年は、跳ねる様にして店内をうろつき始める。
「これっボイス! 大人しくしとらんか!」
 如何にも頑固親父といった風情の彼の父親が怒鳴るが、カウンターで受け取り日時等の確認をしていた彼の腕をすり抜け、少年は店の奥へと走り出す。
「うわっ」
「えっ?」
 ボイスがキャッキャッと壁際を走っていた所、突然扉が開いてボイスはそれに激突しかけた。見れば、自分と同じ年頃の、髪や肌が真っ白の少年が目を見開いて此方を見ている。
「気持ち悪い」
 少年は思わず口にしてしまっていた。アルビノの少年が物凄く傷付いた顔をして、扉を閉めて来た方向へ戻って行った。
「ボイス! そんな事言ったら駄目だといつも言ってるだろう!」
 今度は父親の拳骨が飛んできた。
「すみませんマスター。後で良く言い聞かせておきますんで」
「気にしないで下さい。こっちも言っておきます」
 フェリックスの父親はそう言うとフェリックスを追い駆けようとした。が、その必要も無く、彼はすぐに店に戻って来た。
「あ、フェリックス。どうしたの?」
「セーラちゃんの制服。ローラさんに持って行ってって」
 良く見ればフェリックスは中学生用の制服の箱を持っていた。
「ああ、ありがとう。僕が渡しておくよ…」
「こんにちはー」
 父親がその箱をフェリックスの手から取った時、セーラが店にやって来た。入れ違いにボイス親子は出て行く。
「制服取りに来ましたー」
「丁度良い所に。はいこれ」
 フェリックスはセーラに挨拶もしないで、また店の奥へと戻って行った。本当は母親に用事があったのだが、忙しそうだし、今ので話しかける気が失せてしまった。
 そのまま店を抜け、自宅に戻る。ダイニングでは弟のアレックスがおろおろしていた。
「ママは?」
「忙しそうだから、お兄ちゃんが片付けとくよ」
 見れば床には割れた花瓶と花が散っていた。フェリックスは箒と塵取りで破片を集め、雑巾で床を拭く。
「ありがとう」
 アレックスはフェリックスを尊敬の眼差しで見た。彼等は一つ違いであったが、フェリックスの方が圧倒的に落ち着きがあり、物分かりがよく、利口であった。アレックスはそんな兄をかっこいいと思っていた。
「後でちゃんと自分でママに謝るんだよ」
「わかってるー」
 二人は各々の部屋に戻った。フェリックスの家はそこそこ裕福であり、部屋には質の良い家具が揃えられてあった。成長しても使える大きなベッド、勉強机、ふわふわのクッションと背の低いテーブル、本棚、戸棚、クローゼット…。物は沢山あったが、部屋が大きいのでそれ程窮屈ではなかった。ただ、フェリックスの希望で家具や持ち物の色彩が黒で統一されているので、子供の部屋にしては暗いイメージを受ける部屋だった。
 フェリックスはクローゼットを開けた。服の方は、まだ両親の趣味で揃えられる物が多いので、色は様々だったが、フェリックスが暗めの色を好んで着る事は言うまでも無い。それは単に、明るい色だと眩しくて目がちかちかする、とか、肌や髪が白いので暗い色の方が映える、という理由だけではなかった。
 一番取り出しやすい位置にかけてあったのは、今年の秋から通う事になる小学校の制服だった。
 フェリックスは溜息を一つ吐き、クローゼットを閉める。フェリックスは家族と店の従業員以外の人間と接するのがすっかり嫌いになっていた。きっかけは四つの頃、近所の主婦達が何気無く言った言葉である。それで世間から無条件で嫌われる立場にあると認識した彼は、なるべく人前に出ない様にした。そして、どうやったら愛されるか、それだけを考えていた。
 自慢の息子、立派な兄、それがフェリックスが手に入れた、愛される為の肩書きである。しかしこれは両親と弟にしか通用しない。これから行く事になる学校という場所で、どうやって愛されればいいのか…幼い心はその方法を考える事に精一杯だった。

 危惧していた学校生活は、やはり地獄であった。
 生徒だけではなく、教師にまで奇異の目で見られた。まだ具体的な虐げが行われるには早かったが、十分フェリックスは傷付いていた。しかし、それを家族に打ち明ける事は、その後十年以上も無かった。
 ある日の放課後、机に置いていた教科書が無くなっていた。
「探し物?」
 フェリックスが辺りを見回していると、話し掛けて来たのは、以前店で見かけたあの少年だった。フェリックスは反射的に警戒したが、
「一緒に探すよ」
言われたのはそんな言葉だった。
「俺、ボイス・サージ・ウッド」
 フェリックスは既にクラスの人間の顔と名前は大体覚えていたが、ボイスは改めて自己紹介した。
「君は何て名前ー?」
 実は自分がフェリックスの名前を覚えていなかっただけである。
「…フェリックス・ロイ・テイラー」
「フェリックスか」
 暫く二人は黙々と探し続けた。教室には無い様なので、外を探し始める。教科書は手洗い場の流しの中に放置されていた。
「うわー…」
 フェリックスがそれを拾い上げると、誰かがやった事のえげつなさにボイスがショックの声を上げる。
「セシー」
 フェリックスが呟いた。すると、濡れてふやけていた教科書が見るみる内に乾いてゆく。少しだけ跡が残ったが、完全に乾くと以前の状態と殆ど変らなかった。
「すごい…魔法使えるんだ?」
「すごいかな?」
 自分に向けられた感嘆の言葉に、少し良い気になってフェリックスは尋ねる。
「すごいよ! だって魔法って中学にならないと習わないのにもう使えるとか!」
「ありがとう」
 フェリックスが言うと、ボイスははしゃいでいた気分をどっか遠くに飛ばされてしまった。ボイスは生まれて初めて、誰かを美しいと思った。とりわけ綺麗だったのは、彼の深紅の瞳だった。
「…ごめん」
「何が?」
 教室に戻ろうとしていたフェリックスは振り返る。
「…ううん、何でもない」
 ボイスは首を横に振ると、フェリックスに並んだ。
 ふとフェリックスはこんな事を口にした。
「皆さ、面と向かって僕の事『気持ち悪い』なんて言わないよ。本当はそう思ってるくせに」
 ボイスは血相を変えてフェリックスを顔を見る。フェリックスが自分の歯に衣着せぬ物言いを責めたのだと思ったのだが、違った。
「僕も言わないんだ。皆の事が大嫌いだって」
 そう言うと彼は駆けて行ってしまった。廊下には一人、呆気に取られたボイスが残されていた。