Cosmos and Chaos
Eyecatch

第7章:エゴ、そして、エゴ

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  • 4742字

「どうして勝手に決めるのよ!?」
 サンドラがレイモンドの頬を張った。おしどり夫婦で有名な両親が本格的な喧嘩をし始めたのに面食らい、アレックスは早々に自室に引き篭った。
「サンドラ」
 叩かれた部位を摩りながら、レイモンドは今にも泣き出しそうな妻の説得に試みる。
「二人の為を考えて決めたんだ」
「何処がアレックスの為なのよ! 賊に襲われたらどうするの!? フェリックスの行方も判らないのに、一度に子供が居なくなるかもしれないのよ? 貴方解ってるの?」
(解っているとも)
 泣き崩れるサンドラに手を伸ばしたが、彼女は彼の手を払うと尚も喚いた。
「いつも! いつもそうよ! 何でもかんでも一人で決めて、私を何だと思ってるの? どうせ世間知らずなお嬢様だと思ってるんでしょう!?」
「サンドラ…」
「貴方となんか出逢わなければ良かった」
 我を失って泣き叫ぶサンドラの言葉に、レイモンドは背筋が凍った。
「貴方と出逢わなければ…」
 貴方を求める事も、娘を殺す事も、息子達を失う恐怖に震える事もしなくて良かった。
 だが次の言葉を紡ぐ途中で、サンドラは自分が何を言っているかに気付いた。だがもう遅かった。レイモンドは既に、誤魔化しの笑みを引っ込めて真剣な顔をしていた。
「けど結婚を決めたのは君だろう?」
 サンドラの答えは聞かなかった。彼は財布だけを掴むと踵を返して家を出た。
 この世で唯一、彼を受け入れてくれた人が彼を拒絶した。
 もう行く所が無い。
 所詮この世に愛など存在しないのだ。貸し馬車に揺られ、家々の屋根の隙間から見える二つの月を眺めながら思う。あれらは良く愛し合う男女に例えられるが、月が互いを想い合う訳が無い。人間も同じだ。家族間の愛は生殖本能だし、他の物に対するそれは単なる執着に過ぎない。数多[あまた]居る異性の中から誰を選ぶかもそうだ。
 昔の自分がサンドラを求めた事と、己から流れ出るどす黒い血を眺めたいと思った事に、彼は何の違いも見出だせなかった。

 レイモンドは昔両親と共に暮らしていた家の前に立っていた。とは言っても、人が死んだ家に住みたがる人間等居ない。建物は取り壊され、今はかつての家の面影等微塵も無い新しい家が建ち、別の誰かが住んでいた。
 レイモンドは首を振り、その場を後にしようとした。思い余って飛び出して来たがする事が無い。レイモンドは此処で死んでやろう等という馬鹿な事はもう考えなかった。今日の貸し馬車の営業は終わってしまったから、何処かに宿を取ろう。どうせ明日の早朝にはまた南まで下りて来る用事があったのだから。
「アレキサンダー君?」
 突然呼び止められてレイモンドは驚いた。が、誰が彼の名を口にしたかは判っていた。
「お義母[かあ]さん」
 レイモンドの昔の家の斜め向かいの家の庭に、サンドラに似た丸顔の老婆が佇んでいた。

「車は明朝取りに来る予定ではなかったのか?」
 リビングに厳めしい面をした義父が腰を落ち着けていた。義母は月を眺めるのをやめるとレイモンドを家に招き入れたのだった。
 ふん、と義父は鼻を鳴らすと、レイモンドが答える前に正解を言ってみせた。
「子供の事でサンドラと意見が分かれたな?」
「まあ、その通りです…」
 年取って多少従順になったレイモンドは出された珈琲に口を付けながら認める。
「私としては、今回ばかりは君の意見に賛同する」
 義父の意外な言葉にレイモンドは目を丸くする。ありがとうございます、と聞き取るのがやっとの声量で応えるしか出来なかった。
 義父は再度鼻を鳴らすと、妻にある物を持って来させた。義母がレイモンドに手渡したのは車の鍵だった。
「家に誰かを泊められる部屋は無い。見ての通り小さい家だからな」
 要するに乗って帰れという事だった。
 痛みで殆ど自由に動かせない脚を何とか踏ん張らせて、義父はレイモンドを見送りに出て来た。運転席の窓を叩いて開ける様に指示する。
「サンドラは子供の事になると病的な程神経質になる」
 レイモンドは頷いて続きを促した。
「君がサンドラの事になると我を忘れる様にな」
 レイモンドは苦笑した。
「サンドラが何を言ったかは知らんが多分本心じゃない。煩い奴かもしれんがこれからも娘の面倒を見てやってくれ」
 義父が初めて…彼が客としてテイラーに足を踏み入れて以来初めて…レイモンドに微笑んだ。
「店の仕事をやってくれるのも君くらいしか居ないしな」
「…はい」
 レイモンドが自宅前に車を乗り付けると、もう夜も更けきっているというのに、サンドラが号泣しながら飛び出して来た。レイモンドは泣き虫な妻を部屋に連れて行く。部屋に飾っている家族写真の中の息子と目が合った。後はただ、彼が無事に帰って来てくれる事を願うのみだった。