Cosmos and Chaos
Eyecatch

第8章:幸せ

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  • 2087字

 一ヶ月が過ぎた。一家の過ごし方は平常に戻りつつあった。
 フェリックスが居ない。だが彼は家事や家業を手伝っていた訳ではないから、生活に支障は無かったのだ。ただ、両親と弟の心に隙間風を吹かせる以外は。
 そんな折り、彼の恋人が店を訪ねて来た。
「ブルーナちゃん」
 彼女は弱そうな体に芯の強そうな瞳で言った。
「エリオットさんがマイルズに行くついでに連れて行ってもらうんです。それで…フェリックスが戻って来るか、判りませんけど、何か、言伝でもあれば」
 レイモンドとサンドラは顔を見合わせた。
 フェリックスが拾ってもらった方の厚意で、向こうで医師免許を取って働いている事は知らされていた。しかしウィリアムズの法律ではまだ彼は未成年だから、自分達が帰って来て学校に戻れと言えば彼は従うだろう。
 レイモンドは彼の部屋の机に置きっぱなしの進路希望調査の紙を思い出した。彼は何と書くつもりだったのだろう。そう言えば、彼と将来の夢について語り合った事等、一度も無かった。
『フェリックスがやりたい事を書きなさい』
 またそうやって投げ出したのではなかったか。本当は、彼は相談したい事があったかもしれないのに。
「…そう…だね…」
 ブルーナに向き直って言葉を紡ぐ。
「結局どの道を選ぶかはフェリックスの決める事だけど…もう一度、君に会いたい、と伝えてくれるかな」
 それは余りに突然の出来事だった。この親子には話し合う時間が必要だったのだ。

「兄貴、明日帰って来るって」
 二日後、ブルーナから魔法でメッセージを受け取ったのか、アレックスがそう言った。サンドラは無邪気に喜んだが、アレックスはムスッとしたままだ。
 この兄弟間の確執をどうしたものか。しかし自分もサンドラも一人っ子で彼等の気持ちは計り知れない。自分とフェリックスの問題もあるし、こちらは本人達に任せよう。正直な所お手上げだった。

 翌日の夕方、一台の車が店の前に停まった。中からブルーナとエリオット、そして髪を短く切り黒く染めた少年が降りてくる。
 それを認めたサンドラが店を飛び出した。
「フェリックス!」
 車のトランクから鞄を担ぎ上げようとしていた所に後ろから母親に飛び付かれ、フェリックスはバランスを崩してトランクに頭から突っ込んだ。続いて若い従業員のセーラも出て行ってわんわん泣きながらフェリックスにしがみ付いた。
「良かったー坊ちゃん無事だったー」
 レイモンドもカウンターを後にする。何て声を掛けよう。自分がこの事件の全ての原因ではないが、少なくとも、全くの無関係ではない。謝るべきなのだろうか。しかし何に対して?
 騒ぎを聞き付けて店に来たアレックスが、店を出ようとしていたレイモンドの左腕に触れた。不安がるアレックスの為に、自分はいつも通りで居るべきか。
「お帰りフェリックス」
 二人で店のドアを開け、声を掛ける。
「黒髪似合うね」
「坊ちゃんはマスターに似てハンサムですもの」
 セーラの言葉にレイモンドは苦笑する。フェリックスは皆の顔を順番に眺めた。
「心配掛けてごめん…ただいま」
 最後にレイモンドを見て言った。レイモンドはもう一度繰り返した。
「お帰り」
 レイモンドは彼の荷物を受け取ろうと手を伸ばした。鞄の取っ手を掴もうとして、差し出したフェリックスの手が触れる。
 娘はもう帰って来ないが、彼は帰って来た。
 レイモンドは、フェリックスやアレックスの、最後に帰って来れる場所である、それだけでも、親の役目は果たせるのではないかと、漸く気付いた。
 子供達にとって両親は最後の砦なのだ。それはきっと、血が繋がっていようがいまいが関係無い。
 もうフェリックスは切符も、運賃も、レイモンド達からは受け取らないだろう。だが、自分が何処から来たのかだけは、旅の目的と同様、見失わないだろう。
「…パパまで泣かないでよ…帰って来なかったのは、ごめんってば…」
 ブルーナ達を見送って、家族四人とセーラは店に戻る。レイモンドがこの調子だし、時間も良い頃合いなので、サンドラはそのまま店を閉めた。
 レイモンドは余りに早く、それこそ旅の目的地も決められない内に、自分が何処から来たのかを忘れてしまったのだった。両親の所為で忘れたのか自分が勝手に忘れたのかは定かではない。しかしそれで彼は人生という迷路の中を、生と死の狭間をさ迷い続けたのだった。
 嗚呼、もっと早く気付いていれば何か変わっただろうか。しかし過ぎ去った事は仕方が無い。
「フェリックス」
 今日はフェリックスの好きな物を作りましょう、セーラちゃん達もいらっしゃいな、と張り切るサンドラの後に続いて母屋に向かいながら尋ねた。どうしても訊かずにはいられなかった。
「私の元に生まれてきて、幸せだった?」
「そんな事は」
 フェリックスは微笑んだ。
「人生の最後に振り返る事かなーと思うんだけど、俺は、パパの事好きだから、だから」
 紡ぎ出す言葉を考える息子を遮ったのはレイモンド本人だった。
「解った…ありがとう」
 話そう、何もかも包み隠さず。これまでの事、これからの事。自分の事、君の事。家族という関係に、終わり等無いのだから。