第63章:思い付きとエゴ

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  • 4284字

「あれっくすきゅーん」
 ボイス、ハンナ、そしてブルーナの三人は、わざわざアレックスの学校まで赴いて彼を待ち構えていた。
「ね、ね、どういう事? ふぇりっくすきゅんは?」
 ボイスにべたべたと纏わり付かれ、アレックスは溜息を吐いた。ボイスは無理矢理引っぺがされる時、アレックスがフェリックスのプレゼントのバングルをもうしていない事に気が付いた。あんなに気に入っていて、わざわざボイスの家まで訪ねて来て見せびらかして来たくらいなのに。
「…アレックス!」
 そのままケイティと二人で立ち去る彼の背中に、ボイスが叫んだ。女子達は何も言えないまま、彼等の動向を見守っている。
「もうあいつ帰って来ないんだな?」
 ボイスがいつになく真剣な眼差しで問うた。アレックスは振り返り、頷く。
「嫌いだって言われたよ」
 アレックスの言葉に、ボイスはそれ以上問い詰める気力を失った。二人が立ち去った後で、ハンナが漸く切り出す。
「え…本気で帰って来ないの…?」
 革命から数日の時間が過ぎ、国の新しい体制も落ち着いてきた。ティムが周囲の予想以上に仕事を適切且つ迅速にこなすので、反国王派や反アルビノ派の人間もそろそろ悪口を言うネタに尽きてきたのだ。
 この数日間でウィリアムズ国は劇的に変化した。一番変わった事は、今まで姿を隠していたアルビノやマイノリティ達が普通に街に出歩く様になった事である。これは、あらゆる犯罪が起きない様に国軍が街の巡回を強化した御蔭でもあるが、いずれ国民の意識が変われば、その必要も無くなってくるだろう。
 フェリックスの冤罪も証明された事であるし、これだけ住みやすくなったのだから、直ぐにでもフェリックスが帰って来るだろうと友人達は待っていたのだ。
「帰って来ないだろうな。アレックスとは一応会ったみたいだから、冤罪が晴れてる事はあいつも知ってるだろうけど、それでも帰って来ないって事は…」
 ボイスは腕を組んで考えた。フェリックスが帰って来ない理由は彼には明らかである。フェリックスは本人が気付いていなかったにしろ、ボイスには明らかな程度に自分と自分の生活が大嫌いだったのだから、上手く逃げられて今頃は解放感に浸っているかもしれない。しかし、その事を正直に彼女達に言うと、絶対に傷付く。アレックスがさっき言った様に、「嫌いだ」と言われるのと同じ事なのだから。何かそれらしい理由を考え付かなくてはならない。考え付くんだ自分!
「ってブルーナ何処行くの!?」
 ボイスが考えていると、ブルーナがハンナの制止を振り切って駆け出していた。向かう先は相乗り馬車の駅である。
「北門行きはどれですか!?」
 切符売り場で煙草をふかしていた中年の男性が、ブルーナの差し出した硬貨と切符を交換する。
「一番手前のだよお嬢ちゃん。あと十分で出発だ」
 ブルーナは古びた椅子に制服のスカートが皺にならない様にして腰掛けると、鞄を膝に乗せて窓に肘を付いた。無意識に胸元のネックレスを触る。フェリックスに買ってもらったものだった。
 ブルーナは怒っていた。自分が怒れる立場でない事は解っていたが怒っていた。
(このまま終わるなんて私は絶対許さないから!)

「お祖父ちゃんにトラック返しといたよ。サイドミラー擦っちゃったのはごめんねって言ったら、別に使ってないから良いよって」
 アレックスが家に帰ると、父がキッチンで一人でコーヒーを飲んでいた。長男が此処に帰って来たくないと言った事を両親に伝えると、母親の方は熱を出してしまった。母が起きていなければ店が成り立たないので、今日は店を臨時休業にしている。暇になったローラが訪ねて来て、父と交代で母親の面倒を見ていた。
「ありがとう」
 アレックスは父の向かいに座ると、彼が淹れてくれたコーヒーカップに指を掛けた。しかし、飲む気にはなれない。
 母親とは打って変わって、父親はまるでこうなる事を予想していたかの様にいつも通りの態度だった。それがアレックスを更に狼狽させた。
「パパはショックじゃない訳?」
「…ショックはショックだけどね」
 レイモンドはテーブルに肘をついた。手で顎を支え、アレックスの顔を見詰める。
「フェリックスももう子供じゃないしね。ちょっと予定より早かったかな、とは思うけど」
 フェリックスはあと半年もしない内に成人するのだったし、来年には学校も卒業する。今回の事が無くても、家を出て行く事は覚悟していたと言う事だろうか。しかし、自立としての家出と、今回の家出とは少し…いやかなり違うのではないか?
「兄貴俺達の事嫌いだって言ってた」
 アレックスは言うべきか言わないべきか悩んでいた事を父親に打ち明けた。
「兄貴、俺を撃とうとしたんだ」
「…本気じゃないでしょ?」
 父親はコーヒーのお代わりを注ぎ、口を付ける。
「本気だったよあれは」
「じゃあなんでアレックスは今此処に居るの? フェリックスが本気で君を嫌ってるなら本当に撃ってる筈だよ。法律とか、そんなの放り出して良いくらい嫌ってるならね」
 父親は何もかも見通していた。
「フェリックスは多分今凄く後悔している。君を撃とうとした事をね。フェリックスは器用だから別にどの国でも一人で生きていけるだろうけど、後悔に苛まれて馬鹿な事を考えないか、そっちの方が心配と言えば心配だよ」
(なんせ俺の息子だし)
 レイモンドは最後の一言は口にしなかった。アレックスは、フェリックスが既に自殺未遂を起こしたと言う事は、言わないでおいた。
「それにね、パパはちょっとフェリックスに期待し過ぎてたかなと思うんだ。君達にはお姉さんが居た事は知ってるだろう?」
 アレックスは頷いた。
「だからね、フェリックスには元気に育ってほしかったのさ。アレックスにもだよ。でもね、フェリックスの方が色々とハンディキャップを持っていたから、その分彼には頑張ってもらうしかなかったんだ」
 アレックスは何も言わずに父親の話を聞いている。
「フェリックスは良い子だったね。本当に、こっちが何も言わない内から完璧に立ち振る舞って…。それがずっとプレッシャーになっていたのかもしれない」
 いつの間にか、自分の息子が他の子より良く出来る事が当たり前になっていた。あまりに当たり前過ぎて、不用意な言葉で彼を傷付けた事も、多々あったのかもしれない。
 レイモンドはコーヒーカップを握り締めた。
「ちょっと前にね、初めて生まれた時の事を聞かれたよ。自分を取り上げた助産師が何て言ったかをね」
「それでパパ教えたの?」
「教えるしか無いじゃない。なるべく伝統の事は知られずにいたかったけど、もっと早くから教えていれば良かったのかな。解らない」
 アレックスは此処でようやくコーヒーに口を付けた。冷めかけたそれは変な味しかしなかった。
「でもフェリックスは言ってくれたよ。『育ててくれてありがとう』って…」
 父親は目元を隠す様に額に手を当てた。アレックスは目を背けた。
「今から思えばそれが嘘だったのかもしれない」
「そんな事無いよ!」
 アレックスは思わず叫んだが、父親の頬に光る物が伝っているのを見て、それ以上は何も言えなかった。鞄と剣を掴むと、飲み残したコーヒーを放置して自室に戻る。
 一人目の子供はあっという間にレイモンドの手の内から居なくなってしまった。だから何があってもフェリックスの手は離すまいと心に決めた。何処にも行って欲しくなかった。幸せになって欲しかった。父親として自分を慕っていて欲しかった。
 しかし良かれと思ってやってきた事は全て裏目に出ていた様だ。彼の為にした事何もかもがエゴだったのだ。
 自分が生まれた時の事について質問した後、フェリックスがぽつりと言った言葉が彼に刺さる。
「でも俺もパパの名前が欲しかった」
 レイモンドはフェリックスを見た時に思い浮かんだ名前をそのまま付けた。決して世間的に悪い名前ではなかったが、それがずっとフェリックスを苦しめてきたのだ。
 自分だけ名前が違う。それはフェリックスにとって、肌の色が家族と違う事よりもずっと重要な事だと、気付けなかった。名前だけしか与えてくれなかった両親、名前だけしか与えられなかった娘…レイモンドがそれを他の事より軽んじていたのは、紛れも無い事実だった。

(…誰も居ないのかな?)
 馬車で北門まで行き、そこで降りたブルーナは記憶を頼りにヴィクトーの自宅へと向かった。しかし、さっきから呼び鈴を鳴らし続けているものの、誰も出て来ない。
「あの、何か御用ですか?」
 突然女性に背後から声を掛けられ、ブルーナは飛び上がった。もしかして違う家の呼び鈴を鳴らしていたのかと慌てて表札を確認するが、確かにフィッツジェラルド宅である。
「あ、はい、えと、ヴィクトー君は…」
 声をかけて来た女性は軍服を着ていた。女性は少し困った顔をする。
「ヴィクトー君のお友達なのね。アレキサンダー君、でしたっけ? 彼から事情を聴いてない?」
 ブルーナが首を振ると、女性は家の鍵を開けて彼女を中に通した。見慣れたヴィクトーの家のキッチンである。
「ヴィクトー君は大怪我をしたらしくて、当分の間マイルズに残るそうよ。あと、もう此処には住んでいないの。この前から一人暮らしをしてるのよ」
 そう言って彼女はブルーナに、ヴィクトーの新しい家の地図を書いてくれた。ブルーナは礼を言ったが、彼女が何者なのか判らず、じっとその顔を見る。
「申し遅れたわね。私はヴィクトー君の義父[ちち]の婚約者で、ローズバッド・ボーマンと言います」
 差し出された名刺にはボーマン大尉/軍医と書かれていた。ブルーナは丁寧にそれを受け取ると、自分も名乗る。
「ブルーナ・ブックスです。えっと、ボーマン大尉は」
「ローズバッドで良いわよ」
「ローズバッドさんは、ティモシー王子の計画についてご存知ですか?」
「ええ」
 ローズバッドはお茶を淹れる為に立ち上がった。
「じゃあ貴女は協力者なのね」
「はい」
「でもアレキサンダー君が、あの行方不明になった子の情報をくれないから、此処に来たのね」
「そうです」
 ローズバッドは湯気の立つカップをブルーナの前に置いた。ブルーナは礼を言い、少し口を付ける。
「私もまだ詳しくは知らないの。エリオットは昨日帰って来て、今日も元王様や首相への報告とかで出掛けてるから」
「いえ、こちらこそ、突然押し掛けてすみません」
 ブルーナがやっと自分の無計画さに気付き、恥じ入ると、ローズバッドは優しく笑った。
「良いのよ。多分彼もあと二時間くらいしたら戻って来るわ。それまで私が知っている話で良ければ教えてあげる」

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