第43章:もしもの話

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  • 3922字

裏切り者はまだ生きている
あの兄弟はまだ生きている
兄弟で互いの血を流せば良い
裏切り者は地獄に落ちれば良い

「…先輩?」
 吐くだけ吐いて少し気分が良くなったアレックスが助手席に戻ると、ヴィクトーが呆けた顔で宙を見詰めていた。アレックスの言葉に振り向いた時には、いつものヴィクトーに戻っていたので、アレックスは考え事でもしていたのだろうとそれ以上何も言わなかった。
「おう。大丈夫かお前?」
「大丈夫だったら吐かない」
 頬を膨らませてアレックスが言うと、ヴィクトーが心底可笑しそうに笑った。ハンドルを叩いたので、クラクションが鳴って二人とも飛び上がる。その様子が可笑しくてアレックスも笑ってしまった。
「っていうか何でいきなり走り出したの?」
 漸く笑いがおさまると、アレックスが尋ねた。
「森の中に人が居た。多分賊だと思う」
「なるほど…気をつけなくちゃな」
「だな」
 ヴィクトーが再び車を発進させた。二人とも、昼食を今すぐ摂る気分ではなかった。暫くすると再びアレックスが顔色を悪くし始めたので、ヴィクトーが気を紛らわせる為にこんな話をし始めた。
「俺、将来もし子供が産まれたらアンソニーって付けようと思うんだ」
 今日明日にでも殺されるかもしれないと知りながら。
「へえ。何で?」
 なるべく窓の外の遠くを見る様にしながらアレックスが耳を傾ける。
「アンソニーはエリオットのミドルネームなんだ。エリオットには随分世話になったし」
「なるほど」
 フフフ、とヴィクトーが笑う。
「エリオット・アンソニー・フィッツジェラルドか…何処ぞの王子様みたいな名前」
「先輩こそヴィクトー・レナード・ラザフォードなんて何処ぞの英雄みたいじゃん」
 アレックスの言葉にヴィクトーが笑みを引っ込めた。
「…気付いたか、俺がラザフォードだって」
 アレックスはヴィクトーが怒ったのかと思ってビクビクしたが、ヴィクトーの口から発せられたのは予想外の言葉だった。
「ありがとう」
 アレックスはヴィクトーが何に対して感謝したのか解らなかった。少しの沈黙の後、ヴィクトーが元の調子で切り出す。
「で、アレキサンダー・ナイジェルなんていうイカした名前の人は? 何か考えてる?」
「うーん」
 アレックスは首を捻った。
「そんなのまだ考えてないよ」
 ヴィクトーを見ると、彼はニヤニヤしながらこう言う。
「でもアレックスの方が相手が居る分子供が出来るの早いかもよー?」
 アレックスはその言葉に顔を真っ赤にする。金魚の様に口をパクパクさせたが、こんな時どう言えば良いのか解らなかったので、再びヴィクトーが口を開く方が早かった。
「でもマジ、どうするつもりだったんだ? 計画が成功したら移住するつもりだったんだろ? あ、もしかして計画失敗したからその話はしてない?」
「あー、いや。この前言った」
「何て?」
「家族を取るか俺を取るか選んでって」
 その大胆な言葉が奥手なアレックスの口から出る所をリアルに想像したヴィクトーは、ハンドル操作を誤って危うくサイドミラーを木の幹にぶつけて折る所だった。
「待て待て待てそれは凄いプロポーズだな…」
「だって他にどう言えば…」
 アレックスが俯いたので、また気分が悪くなったのかと心配したが、本人もその時の事を思い出して恥ずかしがっているだけだった。これだけの男前が恋愛事に人一倍臆病というのは、何だか意外ではあるが、アレックスにとってはブルーナを除いて初めての恋であるし、これでもかなり頑張っている。それを見て面白がっている運転席のヴィクトーは、これまで一度も恋らしい恋をした事が無いが。
「恋ねえ…」
 ヴィクトーは独り言の様に言った。恋どころか、自分は愛すらも理解していないのではないか。そんな気がしていた。
「先輩は何か無いの?」
 アレックスが訪ねているのは色恋沙汰の事だろう。
「あると思うか? この俺に」
「無いと思う」
 アレックスの素直な返答に彼を小突くと、ヴィクトーは昼食にしようとトラックを減速させた。

「あーマジ暇!」
 夜。ヴィクトーとアレックスは特に収穫も無く一日を終えようとしていた。一度行商と擦れ違った時、アレックスによく似た顔の男を見なかったか一応尋ねてみたものの、反応は今一つだった。
 ヴィクトーはトラックの運転席に座ったまま、膝に毛布をかけて暇を持て余していた。陽はとうに落ちたが、国に居た時はまだまだ学校の宿題をやったり、エリオットとラジオを聴いたりしている時間だ。
 アレックスも同様に、助手席に座っていた。特にアレックスは昼間移動中に寝ていれば酔わないという事が解ったので、午後は殆ど寝ていた。目は完全に冴えている。
 この状況からすれば、アレックスが見張りをして、ヴィクトーが寝るのが筋が通っていた。ヴィクトーはまた明日も運転しなければならない。しかし、眠れないものは眠れないのだ。
「アレックスーなんか面白い話してー」
「俺ホストじゃないからそんないきなり振られても無理」
「ホストみたいな顔してるくせにー」
 ヴィクトーはハンドルに手を乗せ、更にその上に顎を乗せて窓の外を見た。真っ暗だ。今日は曇り空だった。
(エドを殺しに行くのにアレックスは邪魔だ)
 ヴィクトーは顎の下の左手を腰に移動させた。掴み出したのは拳銃だ。アレックスはそれには気付かず、ライトを付けて暇潰し用に持ってきた本を読み始めた。
「アレックス」
 呼ばれて左を見ると、ヴィクトーが自分に銃を突き付けていた。
(えっなんで…)
 アレックスは反射的に両手を顔の横に上げる。本が足元に転がり落ちた。
「アレックス…」
(ちょっと待てよ…)
 ヴィクトーは苦しそうに顔を歪め、懇願する様に声を絞り出す。
(アレックスを殺す気かよ、俺!?)
 だが銃を下ろそうとすれば強い不安感に襲われる。ヴィクトーもアレックスも、顔から冷や汗を掻きながら混乱する頭を落ち着かせようとした。アレックスの頭を狙う銃口だけが冷ややかに空間に静止していた。
「…もしもの話だ!」
 ヴィクトーはその言葉を何とか言うと、歌の魔力に負けて引鉄を引いた。銃弾はアレックスの右頬を掠め、開いていた窓から出て行って夜の闇へと消えた。
 ヴィクトーの頭の中ではラザフォードの歌が響き渡っていたが、アレックスの様子を見ると、魔法で声が届かない位置からヴィクトーにだけ歌を聞かせているらしい。
(あと五発…)
 それをアレックスを外して撃ち切れば、今度は自分は腰に差した刀に手を伸ばすだろう。その隙にアレックスは車外に出て逃げる事が出来る。トラックの後ろにはまだ飛び道具の類が積んであるし、それを使う事だって出来る。
(それよりも、今の言葉で思い出してくれ…)
 冬にアレックスに頼んだ事を。
『もし俺がお前等を傷つける様な事があれば…迷わず俺を殺せ』
 このままでは自分がアレックスを撃ってしまう。この至近距離だ。自分が手にしている銃は軍用の物だし、頭や心臓に当たれば即死だ。歌に抗って手を下ろそうとするが、魔力が強力でなんとかギリギリの所でアレックスから銃口を逸らすのでやっとである。二発目はアレックスが着ている質の良いジャケットの袖を破いた。歌の魔法に抗う事による背徳感と、アレックスを撃ってしまうかもしれない不安で気が狂いそうだった。
 アレックスは逃げられるかどうか計算していたが、今の状態で背中を見せるのは危険だという判断を下した。少なくとも、銃の方向が見えていればヴィクトーの指に力が入った瞬間に少しでも避ける事が出来る。
『もしもの話だ!』
 アレックスはとうにヴィクトーからの頼まれ事を思い出していた。なるべく考えたくなかった状況だが、実際に今こうして現実となっている。確かに、ヴィクトーは自分を撃つつもりは無い様だが、では何故自分に銃を向けるのか。答えは一つしか浮かばなかった。誰かが彼を操っている。
(えーと、この場合術者を攻撃する方が効率が良いんだよな…)
 とは思いつつも、アレックスは今剣しか手元に持っていないし、術者が何処から操っているのかも判らなかった。
 三発目の銃弾がアレックスの右肩を掠った。焼ける様な痛みと共に、血が服に滲む不快感が襲う。
(嫌だ)
 アレックスは拒絶した。ヴィクトーの頼み通りにヴィクトーを攻撃する事も、このままヴィクトーに撃たれて死ぬ事も。
(兄貴! 助けて!)
 アレックスは無意識に祈った。その祈りが通じたのかどうかは判らないが、ヴィクトーの様子がおかしくなりはじめたのはその時だった。
「ええええエドを殺さなきゃ駄目だ…殺さなきゃ…」
 ヴィクトーの手が震え出す。独り言の様に何か言いながら、空いている方の手で頭を抱えた。
「駄目だ…アレックス…駄目だ撃てない…怖い…怖い…!」
 そう叫ぶとヴィクトーは銃を取り落とした。アレックスの方に倒れたかと思うと、動かなくなる。気絶していた。魔法との葛藤に彼の精神が堪えられなくなったのだ。
「…先輩? 大丈夫…?」
 アレックスはヴィクトーが起きない事を確認すると、トラックの後ろに回って荷台から服や包帯を出し、傷の手当てをした。怪我は大した事は無さそうだった。
 服を着替えて運転席へと戻る。ヴィクトーの膝に落ちた拳銃をそっと自分のベルトに挟み、これからどうしたものかと考える。はっきり言って、全ての武器をヴィクトーから遠ざけるのは無理だ。二人は同じトラックで移動するのだし、護身用に何か一つは持たせておかないと危ない。というかヴィクトーはちゃんと目覚めてくれるのだろうか。
 考え事をしていた所為だろうか、この時アレックスは油断し過ぎていた。
「動くな」
 気付いた時には既に、背後の茂みから誰かがアレックスの背中を狙っていた。