第5章:納得いかない

  • G
  • 3953字

 ヴィクトーは昼休み、購買でパンを買って来て自分の机で食べていた。
「フィッツジェラルド君っていっつもパンだよね」
 クラスの女子がふと彼に目を留めて言った。
「お母さん、働いてるの?」
「死んだ。多分」
 ヴィクトーが顔も知らない母親の事を思い出してそう答えると、女子生徒は小さく謝って足早にその場を去った。ヴィクトーは気にせず食事を終えると、机の中から辞書と本を取り出した。
 読書も読み書き練習の一貫だが、エリオットに勧められて読み始めると、これがかなり面白い事に彼は気付いた。今読んでいるのは図書館から借りてきた児童書だが、まだ読んだ事が無い本なら何でも読む。それこそ教科書から、エリオットの持っている啓蒙書や新書まで。読書を始めたお陰で、彼に足りない文明人としての常識やこれから追い付かないといけない学校で習う知識の吸収も捗った。それに、読書の邪魔をしてまで話し掛けてくる輩は多くないし、一石二鳥であった。
「ヴィクトー! グラウンドで遊ぼうぜ!」
 だが、フォーテスキューが購買から帰って来るなりそう言った。
 彼はヴィクトーの他にも数人の生徒を引き連れ(ヴィクトーの事は半ば強引に連れ出して)、ボールを学校から借りて外に出た。今日はカラッとした快晴だ。
「ルール覚えた?」
 彼等がやろうとしているのは今体育の時間にやっている、篭にボールを投げ入れる球技だ。ヴィクトーはルールが解らなかったので、この前の時間は殆ど見学していた。体育教師はなんとかして彼に参加させようとしていたが、やってもすぐ反則をして退場になってしまうのだった。
「なんとなく」
 フォーテスキューはその返事を聞いてヴィクトーにボールを渡した。一緒にやろう、という事だった。
「ま、今回は特別にヴィクトーは何回反則しても退場しないって事で」
 城壁の中でぬくぬくと育った人間に比べて、ヴィクトーの身体能力は高い。ルールをフォーテスキュー達に教えてもらい、覚えてしまえば何をやらせても楽々と熟した。特にコントロールが良いので、シュートは絶対に外さない。一緒に遊んでいた生徒達が、感嘆の溜息を吐いたり口笛を吹いたりした。校舎の上の階からは、女子達が窓から覗き込んで、誰を見ているのだろうか、時々友達とひそひそ、くすくすと楽しそうだった。
 予鈴が鳴り、フォーテスキュー達はボールを片付けに行った。全員で行く必要は無いので、ヴィクトーと残りのクラスメイト達は教室に戻る。
 だが引鉄は、戻る途中の廊下で引かれた。
「ちょっと運動神経良いからって調子乗ってんじゃねえよ転入生」
 ヴィクトー達とは別の事をして遊んでいたフランクリンが、追い抜きざまにヴィクトーに向かって言った。彼の取り巻きの様に従う生徒達がへらへらと笑う。ヴィクトーは心外な事を言われてカッとなり、思わず言い返していた。
[かしず]かれて調子乗ってんのはそっちだろ?」
 フォーテスキューの友人達が顔を真っ青にした。フランクリンが顔を真っ赤にし、ヴィクトーに歩み寄ってその胸倉を掴んだ。丁度そこにフォーテスキュー達が戻って来る。
「フランクリン、ヴィクトー、何やってんの?」
「図に乗ってる新入りをシメてやる所さ」
 フランクリンと呼ばれた生徒は、言って他の生徒が不安そうに見詰める中、上げた拳を振り下ろした。だがヴィクトーは平然とそれを手の平で受け止めると、反射的に空いている方の手で彼を殴った。フランクリンはヴィクトーのシャツを掴んでいたのでそれを顔面にもろに食らい、痛みに呻きながらヴィクトーを放す。
 だが負けてもいなかった。直ぐに体勢を立て直すとヴィクトーに再び掴み掛かる。
「おいやめろって!」
 フォーテスキューの叫びも虚しく、フランクリンとその仲間が次々にヴィクトーに襲い掛かった。フォーテスキューは止めに入ったが、弾き飛ばされて廊下に転がった。
「何やってるんだお前等ー!」
 そこで授業をしに来た教師に見付かり、乱闘は漸く収まった。だが、興奮の収まらないフランクリンが声高く叫ぶ。
「こいつ盗賊なんだぞ! ラザフォードの生き残りだ!」
 フランクリンは今度は教師に軽く殴られ、口を噤む。ヴィクトーは周囲から当惑と驚愕の視線を向けられ、切れた口から流れる血も拭わぬままただ立ち尽くしていた。
 絶対に、知られたくなかったのに。

 ヴィクトーとフランクリンの一派、フォーテスキューと友人の一部は午後からの授業そっちのけで、保護者も呼んでの緊急面談会が開かれた。
盗賊[ラザフォード]の子供を受け入れるなんて、保護者の説明も無しに?」
 面談用に整えられた空き教室に入って来るなり、フランクリンの母親が校長を責めた。
「それが国王からの命令でして…」
「言い訳は結構です。ちゃんと謝罪と治療費を頂けるのなら」
 そして彼女は息子の肩を抱いて隣に座り、ヴィクトー、そしてエリオットを睨みつけた。
(…ってどう見てもヴィクトーの方が怪我酷いし)
 腫れたヴィクトーの頬を冷やしながら、エリオットは失礼にならない程度に親子を見詰め返した。
(それよりフランクリンか…まさかと思うけど、大将の息子じゃないだろうな…)
 何となく顔が似てるし、とエリオットは仕事場での人間関係を案じる。ラザフォード殲滅作戦を企てたのはフランクリン大将だ。
「さて、揃いましたから、詳しい状況の説明を聞きましょうか」
 校長の声を聞き、フォーテスキューと友人がありのままの真実を教師と保護者に訴えた。フランクリンの仲間も大方罪を認めた一方、フランクリン本人は言い訳がましい。
「俺は殴る真似をしただけなのに、こいつが本気と思って殴ってきたんだ!」
 言いながら痛々しい顔の痣を見せ付ける。保護者達も原因はフランクリンにあると理解しながら、ある母親なんかは隣の母親と「やっぱり野蛮なのよ」等とひそひそ話を始めた。ヴィクトーが彼女等を睨むと、その母親達は竦み上がって話を止めた。
「まあ喧嘩両成敗ですな。双方とも手を出していますし、怪我も大して…」
「大した怪我じゃないですって!? こんなに酷いのに!」
 フランクリンの母親がまだ慰謝料の話をし始めそうだったので、校長はすかさず言った。
「フランクリンさん、息子さんは多勢に無勢でフィッツジェラルド君を暴行したのですよ。幸い彼は打撲と捻挫で済みましたが、普通の子ならもっと大変な事になっているところです」
 フランクリンの母親は苦虫を噛み潰した様な顔で口を閉ざした。
「子供同士で和解するのが良いでしょう」
 校長は当事者二人の顔を交互に見た。ヴィクトーはエリオットの顔色を窺う。微笑みで「謝りなさい」と伝えていた。
「ごめんなさい」
 先にフランクリンが謝った。続いて彼の取り巻きも次々に頭を下げる。
 だがそんな動作は今までにも何度もしてきたのだろう。心の伴わないそれにヴィクトーは苛立った。
「俺は謝らないからな」
 その場に居た全員がハッとしてヴィクトーを見た。エリオットが窘めようとしたが、それより先に続ける。
「『ごめんなさい』って言って頭下げたらどうにかなるのかよ」
 その言葉は核心を突いていた。謝って、無かった事にして、また同じ教室に詰め込まれて…。それが『和解』なのだろうか?
「まあっ何て…」
 フランクリンの母親がまたくどくど言い始めたが、ヴィクトーは頑として謝罪しなかった。エリオットはヴィクトーの思う様にさせようと黙っていた。数分後、そろそろ止めないかと教員や別の保護者が声をかけ始めた頃、ヴィクトーは口の端を釣り上げて言った。
「野蛮野蛮って言うけどさ」
 突然話始めたラザフォードに少し怯みながらも、フランクリン親子はヴィクトーを睨むのを止めなかった。
「お前の父親の一存で何人死んだと思ってる?」
 親子の表情が変わり、その色がサッと青くなった。ヴィクトーは鎌かけが成功して益々唇を吊り上げる。
 ヴィクトーも名前と顔でなんとなくそうではないかと思っていたのだが、やはりフランクリンはエリオットの上司の将校の息子らしい。だからヴィクトーがラザフォードだと知っていたのだろう。
「国王の話に依れば…」
 周りが何の話か解らずに困惑する中、ヴィクトーは大胆にも糾弾を試みた。しかしエリオットが彼の口を塞ごうと手を伸ばす。
「ちょっ、俺の立場も考え…」
「立場! 良いね居場所のある人の言う事は違うよ!」
 ヴィクトーがエリオットを憎悪の眼差しで射抜いたので、エリオットは何も言えなくなってしまった。
「お前も同じ目に遭ってみろよ」
 ヴィクトーはフランクリンを振り向いた。彼は今や真っ青な顔に、ヴィクトーに喧嘩を売った後悔を貼り付けていた。
「お前の親父なんか死んじまえば良いんだ!」
 ここでパシン、と大きな音が響いた。エリオットがヴィクトーの頬を張り、驚いたヴィクトーは大きな目を丸くしていた。
「言って良い事と悪い事があるぞ!」
 今まで大人しく事態を静観していた若者が厳しくヴィクトーに対応した事に、彼を舐めきっていた保護者や教師は少し彼を見直した。
「すみません、もう少しこちらできちんと躾けておくべきでした。本日の所は私の方から謝罪させて頂きます」
 言って頭を下げるエリオットにヴィクトーは噛み付く。エリオットには何の非も無いのに、何故彼が謝るのか。
「なんでお前が謝るんだよ!?」
「後日、本人に直接謝罪させますので」
 ヴィクトーはまだ義父に対して喚いていたが、とりあえずこの場はこれで解散になった。この精神状態では午後の授業は無理だと判断したエリオットは、ヴィクトーを早退させて家に連れ帰る。
 帰る道中、ヴィクトーは理不尽や納得のいかない疑問をエリオットにぶつけ続けたが、エリオットの語彙力ではヴィクトーに理解させるだけの説明をする事が出来なかった。

このサイトではクッキーを使用しています。
詳細