第7章:時既に遅し

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  • 2277字

「ほらあの子」
「テイラーの若旦那?」
「ああしてあちこち病院の扉を叩いているそうよ」
「旦那様も気の毒にねえ。箱入り娘を素性の知れない子供に取られた挙げ句…」
「生まれた子供が『悪魔』だったなんて!」
「くそっ!」
 レイモンドは今日も娘を病院に入れられなかった悔しさや、アルビノを差別しようとする周囲の人間達への怒りを何処にぶちまければ良いのか解らないまま、裏口から家に戻った。
(ブランチはもうかなりまずい…)
 腕の中の娘の顔を見ながら思う。彼は彼女が生まれた日に珍しく雪が降っていた事、そして真っ白な肌をしている事から彼女にアレキサンドラ・ブランチ[]と名付けた。
(母乳が飲めないんだ…早く治療してもらわないと…多分今夜がヤマ……?)
 リビングに入るとサンドラの両親が荷造りをしていた。
「ご旅行ですか?」
 こんな時に? とレイモンドは訝る。
「…店はサンドラに譲る」
 義父の言葉の意味を理解出来なかった。
「テイラーの資産をサンドラに譲ると言ってるんだ。解らんのか」
 支度を終え、白い手袋をキュッと嵌めながら義父が繰り返した。漸くレイモンドは状況を把握した。娘を抱えたままひざまずき、頭が床に着く程低くお辞儀をした。
「ありがとうございます…」
 テイラーの財産をサンドラが相続する。巨額のお金が彼女の自由になるのだ。つまり、その金を積んでブランチを病院に入れられる。
「ありがとうございます…」
「ふん、立ち仕事は怪我の後に響くし、私は南へ隠居させてもらうぞ」
 その為の資金は貰って行く、お前達と暮らすのは真っ平だ、とぶつくさ言いながら馬車で去る二人を見送り、喜び勇んでサンドラの寝ている部屋へ階段を駆け登る。
「サンドラ! マスター達が!」
 サンドラは知っていたのか黙って頷いた。
「俺、病院に電話かけてくる。幾らまでなら出せる」
「幾らでも」
 サンドラはレイモンドから眠るブランチを受け取って言った。
「この子の為なら借金してでも良いわ」
 それを聴いてレイモンドは電話へと今度は階段を駆け降りる。
「お願いします! お金はそちらの言い値を出します。一億でも二億でも」
「し、しかし…アルビノを受け入れるとなると此方の評判も…」
「そこをなんとか!」
 先程入院を断られた病院と押し問答していると、サンドラが叫ぶ声が聞こえた。
「レイ! レイ! ブランチの様子が変なの!」
「…すみません、また後で」
 レイモンドは一方的に電話を切ると、部屋に駆け戻る。
 ブランチが呼吸困難を起こしていた。
「病院行ってくる!」
 病院側には有無を言わさず治療させるつもりだった。ブランチを抱いて家を飛び出し、最寄りの診療所まで走る。
「お願いします!」
 再三レイモンドに赤子を治療するよう頼まれていた、小さな診療所の医師はレイモンドの姿を見るなり診療所を閉めようとしたが、遅かった。
「この子を診て…」
 何もかも遅かったのだ。
 ブランチは既に息をしていなかった。

 それからの十数分間の事をレイモンドは思い出せない。気付いたら凍える冬の夕暮れの街を、独りとぼとぼと冷たくなったブランチを抱いて歩いていた。
(天罰だ…)
 三日もこの世に留まる事が無かった天使の体を抱え直し、レイモンドは自分を責めていた。
(俺が生を利用したからだ)
 天は彼に死を以て罰を与えた。それも彼の命を奪う訳ではなく、より彼が苦しむ様に、彼の一番大切な者を悲しませ、二番目に大切な者を彼の手から永遠に奪い去った。
(結局俺はこの子に名前しか与えてやれなかった…)
 溜息を吐くと白く水蒸気が凍った。
(俺の両親と同じ事しか出来なかった…)
「貴方」
 その時突然、男に声をかけられた。振り向くと、狭い路地の奥で、金髪の吟遊詩人らしき男が手招きしている。
 レイモンドは何か用かと警戒しながら近付いた。金髪の若い男は微笑みながら待っている。
「去り逝く魂に安らぎを」
 言って男は見慣れない楽器を肩に据え、弾き始める。初めは人事の様に言う彼にレイモンドはイライラしていたが、彼の奏でる音楽を聴いていると、不思議と心が落ち着いてきた。
「いつまでも悲しんでいては駄目ですよ、貴方はまだ新たな魂を迎え入れなければならないのだから」
「何故?」
 根拠の無い言い分に、腹を立てた訳ではないが尋ねてみた。
「そういう運命にあるからです」
 レイモンドはブランチの顔を見て鼻を鳴らした。迷信も占いも信じるものか。
 それでも、苦しんで死んだ筈のブランチの顔が、先程までとは違って安らかに見えた。
「貴方何者…?」
「フェリックス・キュリー」
「アンボワーズの方?」
「いや…」
 フェリックスという男は言いかけてやめた。
「…貴方に教える程の者ではありませんよ」

 娘が死んで、サンドラと二人切りの生活が始まった。サンドラの体調が落ち着き、二人で店を切り盛りする事にも慣れてきたある日の夜、ふとサンドラが言った。
「死にたい」
 レイモンドは急に恐ろしくなって彼女の腕を掴んだ。風呂場で死の誘惑に乗ろうとしていた自分を見た時のサンドラもこんなに怖かったのだろうか。
「駄目だ」
 レイモンドが必死で訴えると、彼女は先程の言葉は取り消した。代わりにこう言いながら。
「でももう子供は産みたくないな」
 レイモンドは子供が欲しかった。自分が受けられなかった分、ブランチにしてやれなかった分の事を、与えてやる誰かを必要としていた。子供に何か残してやる事が生きた証であり、彼の目標と化していた。
 だがまたサンドラ悲しませる事等、レイモンドには到底出来なかった。その日、彼は夜に家を抜け出すと、公園の水道の横で手首を切った。

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