第8章:嫉妬

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 その日の帰り、フェリックスはブルーナに声を掛けた。
「あのさ、今日本屋に寄るんだけど、一緒に帰らない?」
 クラスの女子がこの会話を聞きつけて此方を睨んだり、ひそひそ話をしたりし始めた。ブルーナは当惑した。まさかフェリックスの方から誘って来るとは思っていなかったのだ。
「あ、えっと…」
 今日はハンナと一緒に帰ろうかと思っていたので、チラリと後ろを気にすると、フェリックスも釣られて振り返る。視線に気付いたボイスがハンナとの会話を中断して先に言った。
「フェリックス、俺今日ハンナと一緒に帰んね」
 ハンナもブルーナを見て微笑む。自然、此方は此方で二人で帰る事になった。ハンナがボイスに、自分がフェリックスの事を好きである(振りをしている)と言う事を教えたのだろうかと、ブルーナは思った。
「雨降って来たねー」
 建物の玄関でフェリックスが日傘を広げた。
「でもそろそろ渇水でやばいって言ってたから降って良かったね。あれ? 傘無いの?」
 ブルーナは無言で頷いた。朝はまだ薄曇りだったので、日傘も雨傘も家に置いて来てしまったのだ。結局二人は周囲の痛い程の視線に晒されながら、相合傘で帰る事になった。
(だからハンナと一緒に帰りたかったのに…)
 擦れ違う女子生徒の大半が恨めしげにブルーナを見るので、ブルーナは今にも駆け出して帰りたいくらいだった。
「もっとこっちおいでよ。肩濡れてるよ」
 女子の嫉妬心をどうにかして和らげようと出来るだけフェリックスから離れて歩いていたブルーナを、フェリックスが傘を持っていない方の手で引き寄せる。嗚呼、また女子の視線が刺々しさを増した気がする。
「気にしない方が良いよ」
「え?」
 フェリックスが突然言ったので、何の事か解らなかった。女子達の視線の事だろうか。
 校門から大分離れた所で、学校の生徒達の姿はまばらになった。しかし何故か後ろから変な気配を感じる。
「しつこいな」
「?」
 ブルーナはまたもやフェリックスが何の脈絡も無く言うので首を傾げた。フェリックスは状況を把握できていないブルーナを見下ろして微笑みかけると、突然その手首を掴んで路地裏へと引っ張り込んだ。
(え? え?)
 何事かと思って声を出そうとしたブルーナを制し、フェリックスが小さく「ディスパレイト」と唱えた。姿を見えなくする呪文だ。路地に置いてあったゴミ箱の横に二人で縮こまって立っていると(というかフェリックスがしっかりとブルーナの事を掴んでいたので、ブルーナは離れる事が出来なかった)、間も無くクラスの男子が数人、路地の中に駆け込んで来た。
「あれ? 何処行った?」
 フェリックスの呪文は上手く効いているらしく、男子達は暫く辺りを探していたが、目をブルーナ達に向けてもそのピントは二人を通り越していた。
「チッ、気付いてやがったのか」
 今日の席替えでブルーナの前の席になった生徒のマクドネルが、フェリックスの横のゴミ箱を蹴って転がしたので、ブルーナは一瞬ヒヤリとした。姿を見えなくしただけで、実体が無い訳ではない。当たれば居場所がばれてしまう。雰囲気からして、何か良い事をしてくれようとしている訳では無いのは解る。
 やり過ぎたと思ったのか、マクドネルがめんどくさそうに転がったゴミ箱を元の位置に戻すと、彼はふとある事に気が付いた。視線が真っ直ぐに二人を向いている。フェリックスはしまったな、と思った。
(雨が降ってる事忘れてた…)
 フェリックスが持つ傘の所為で、そこだけ雨が途中から降っていなかったのである。取り巻きの生徒も次々に異常に気付き、そして意地悪そうな笑みを浮かべる。
 フェリックスは観念した。傘と鞄をブルーナに押しつけると、「パレイト」と言って姿を現した。怯えるブルーナを背中に庇い、速まる鼓動を悟られない様にして言う。
「さっきからずっと付いて来て、何か用?」
「用って程でも無いんだけどさ」
 マクドネルが言い終わるのを待たずに、別の生徒がフェリックスの顔に泥を蹴り飛ばして来た。幸い目には入らなかったのか、フェリックスは落ち着いた動作で泥を払う。
「気に入らないんだよ、お前。高校に入って大人しくしてるかと思ったら、女子や先生にちやほやされやがって」
 先程フェリックスに泥を飛ばした生徒がフェリックスの襟を掴んで前へ倒し、鳩尾に膝蹴りを食らわせた。ブルーナは驚いてヒッと叫び、男子生徒は「どうだ」と鼓舞し、周りの男子が歓声を上げたが、蹴られた本人は涼しい顔をして掴んでいる手を解いた。男子生徒が口を開けて驚愕の表情を浮かべる。ブルーナにもマクドネル達にも、確かに今の蹴りはヒットした様に見えたのだが。
「テメ、痩せ我慢すんじゃねえ!」
 フェリックスの悠々とした態度に腹を立て、相手の生徒が今度は傘を捨てて拳を出す。フェリックスは一発目は避けてブルーナから離れ、尚も追撃して二発目を繰り出した相手の腕を掴むと、反動を上手く利用して水溜りの中に放り投げた。男子生徒は目に泥が入ったらしく、ズボンに泥水が染みていくのにも頓着せずに雨水で必死に顔を洗い始めた。
 一番腕っ節の強そうな生徒が完敗して他の生徒達は一瞬怯んだが、流石に三対一なら勝てると思ったのか次の瞬間に取り巻き二人がほぼ同時にフェリックスへと飛び掛かった。が、フェリックスが軽く片手を振ると、前を走っていた生徒が足を滑らせて派手に転んだ。後ろの生徒は転んだ生徒に躓いてバランスを崩し、顔から地面に突っ込んで二人は先程倒された生徒と同じ様な状態になった。最後のに残ったマクドネルは、自分では手を出さないつもりだったらしいが、フェリックスが勢いで魔法を仕掛けてきたので、フェリックスの魔法も、転んだ生徒も上手く避け、フェリックスにパンチを繰り出すまでに至った。フェリックスは勝つ自信があったのか、油断して避け切れず、パンチは慌てて自分の掌で押し返したが、次いで飛んできたマクドネルの蹴りはもろに横っ腹で受け止めてしまった。彼はそのまま飛ばされて民家の石壁に頭から激突した。
「テイラー君!」
 ブルーナは恐怖でそこから動けなかった。何故フェリックスが襲われているのかも判らなかった。
 フェリックスはぶつけた所から血を流していたが、マクドネルは容赦無く攻撃を仕掛けようとしていた。その時、フェリックスの瞳が燃える様に輝いたかと思うと、彼は瞼を閉じた。フェリックスは体勢を立て直すと、瞳を閉ざしたまま向かって来るマクドネルに向かって蹴りを繰り出した。動きが素早く、避けられなかったマクドネルはハイキックを頭に食らい、驚いた顔で地面に倒れた。
 フェリックスが目を開けると、心配そうに見詰めるブルーナと目が合った。ブルーナを安心させる為に微笑み、マクドネル達にはこう言い放つ。
「今日の事は互いに他言無用。先生に言いたきゃ言えば良いさ、俺も手を出したからそれなりの罰則は受ける。ただ、多勢に無勢の上に先に手を出したのはあんた達だぞ」
 フェリックスは学校で問題になっても負けない自信があったのでそう言った。恐らくマクドネル達も密告はしないだろう。フェリックスは自分で自分が皆に贔屓されたり甘やかされている事を知っていた。マクドネルとは中学から一緒だが、大抵いつも、状況はフェリックスに有利であった。
 フェリックスは出血している部分をハンカチで押さえながら、倒れて呻いている生徒達を跨いでその場を離れる。ブルーナがその後を追った。
「大丈夫?」
 ブルーナが傘をフェリックスの頭上に掲げた。フェリックスは苦笑した。
「ちょっと擦っただけ。ブックスさんは怪我してない?」
 ブルーナは慌てて首を横に振った。自分はただ見ていただけだ。
「良かった。ごめんね。こんな目に合わせちゃって」
 ブルーナは再び首を振る。
「なんで? なんでテイラー君襲われたの?」
 計画の事等頭からすっかり吹き飛んで、ただ今日の出来事が起きた理由を知りたくてブルーナは尋ねた。無意識にフェリックスの腕を掴んでいたが、フェリックスは何も言わずにそのまま歩き続けた。
「さあ? あいつが言ってたみたいに、単なる嫉妬じゃないの?」
「単なる嫉妬で暴力沙汰?」
 ブルーナは呆れた。男ってそういうものなのだろうか。
 フェリックスはただ微笑んだだけだった。しかし、彼はマクドネルがブルーナに密かに思いを寄せている事を知っていた。

 フェリックスは止血し終わると魔法で服と髪を乾かした。ブルーナはあれきり黙ったままだったので、フェリックスの方から話を切り出す。
「あの二人、何時から名前で呼び合うようになったんだろうね」
 ブルーナはボイスとハンナの事だろうと思ったが、答えを知らなかったので首を傾げただけだった。フェリックスはめげずに別の話題を出す。
「っていうか、俺って鈍くさいよね。雨なのに癖で日傘持って来ちゃうしさ…」
 ブルーナは一言「そんな事無いよ」と言っただけでまた黙ってしまった。
「…ブックスさん大丈夫?」
 フェリックスはブルーナが喋らないので心配になった。今日は先生に皆の前で恥をかかされ、暴力沙汰に巻き込まれたのだ。傷心して話す気力になれないのだろうかと、フェリックスは足を止めてブルーナを振り向かせ、顔を覗き込んだ。
 ブルーナは反射的に目を逸らし、下を向く。ブルーナは確かに傷付いていたし、ショックも多少受けてはいたが、別に喋れなくなる程の傷心ではなかった。ブルーナは最早、フェリックス自身の所為で話せなくなっていた。
 二度も庇ってくれたフェリックスを、ブルーナは半分本気で好きになっていた。同時に、計画の事が思い出され、いずれはティムの思惑の為に彼を利用する日が来るのだから、本気で惚れこんではいけないという思いと葛藤していた。
(私がいくら本気で好きでいたって、利用されれば絶対私の思いも計画の一部だと思われてしまう…)
「あ、だ、大丈夫だから…」
 急いでフェリックスの顔から自分の顔を離し、再び歩き出す。ブルーナの家はもうすぐそこだった。
 ブルーナを階段下まで送り届け、彼女が「じゃあまた明日。傘入れてくれてありがと」と言い終わるか終らないかという時に、フェリックスは喉元に迫っていた言葉を吐き出してしまった。
「俺達も名前で呼び合わない?」
 ブルーナはその言葉に驚いて直ぐには返事が出来なかった。今度はフェリックスがうつむく番だった。それでもブルーナが返事をする前に、フェリックスは次の言葉を紡ぐ。
「っていうか、名前で呼んで良い?」
 今度はブルーナもしっかりと頷いた。それを見たフェリックスが、いつものあの笑みを零した。
「じゃあ、また明日。ごめん、本屋はまた今度寄る」
「また明日」
 フェリックスは最後にもう一度だけブルーナに微笑むと、足早に其処を去った。ブルーナはフェリックスの美しい笑みに陶酔しながら、家への階段を上って行った。
 その様子を少し離れた所から見ていた少年が居た。
 ブルーナが家に入って間もなく、玄関のチャイムが鳴った。
「はい、どちら様?」
 晩ご飯のメニューは何にしようかと料理の本を眺めていたがそれをテーブルに置き、玄関に向かって走る。
「アレックスです」
「鍵開いてるわ。入って」
 言われた通りにアレックスが扉を開けて入って来た。ヴィクトーとティムには早朝店の前で命令を言い渡されたあの日から一度も会っていないが、アレックスは時々こうやって本屋や家を訪ねて来てはフェリックスの事を教えてくれたりした。フェリックスとは対照的に、アレックスとブルーナはこの一ヶ月と少しの間でかなり仲良くなっていた。
 しかし今日は、彼は差出人名の無い手紙を持っていた。
「ゴーストからの便り」
 アレックスを居間に通し、封筒を鋏で切って開ける。内容は次の集会の日程と場所だった。
『明日正午から午後四時まで、ヴィクトー・フィッツジェラルドとエリオット・フィッツジェラルドの自宅にて。昼食はヴィクトーが腕によりをかけて準備してくれる』
「私、フィッツジェラルドさんの家知らないわ」
 キッチンからビスケットとお茶を持ってきてアレックスに出す。アレックスは礼を言ってビスケットに手を伸ばした。
「俺が知ってるから一緒に行こうよ。何なら此処まで馬で迎えに来るし」
「そうしてくれるとありがたいわ」
「じゃあそれで決まりね。十一時に迎えに来るから」
「解った」
 アレックスは今日はこれ以上ブルーナに用は無かったが、まだお暇するつもりは無かった。ややあって心を決め、ブルーナに提案する。
「良かったらだけど、帰りに夕食家で食べて行かない?」
「え、良いの?」
 明日は学校が無いのでフェリックスには会えないが、家に行けば会えるのではないか。そんな思いがブルーナの頭を過った。
「うん。兄貴も喜ぶよ。多分」
「じゃあそうしようかな」
 アレックスは笑った。しかし彼はフェリックスの様に優雅に慎ましく微笑む事は出来なかった。
「決まりね。ママに言っとかなきゃ」
「あ、私もパパに言わなきゃ」
 アレックスは今度こそ退散する事にした。ブルーナの家を辞し、先程よりは勢いの衰えた雨の中を自宅へと歩く。
(見せ付けてやる)
 アレックスは欲に囚われた表情で嫌らしい笑みを零した。傘を差しているので、その凶悪な笑みを見る者は誰も居なかった。
(何もかも兄貴にくれてやるもんか)
 フェリックスは何でも持っていた。美しい容姿、抜群の運動神経、飛び抜けた才能、気の良い友人達…。アレックスが欲しくて欲しくてしょうがなかった物達。それでも、それは天が兄に与えたものであり、アレックス自身の手にはそう簡単には入らないのだと、半ば諦めて、納得して、ただ兄に憧れていた。
 なのになんだろう。ブルーナが兄と仲良くするのが気に食わない。恋人なんて、フェリックスはこれまでにも何人も作っていたのに。
 彼女だけは。

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