第5章:研究所

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  • 1827字

 研究所は案の定荒れ果てていた。外界の様々なものを遮断していた自動扉が、崩れて傾いている。
 言葉が出なかった。
「入りましょう」
「…ああ」
 と言っても、崩れた扉の隙間からローバーを入れる事は出来なさそうだ。アイは調査結果の電子情報が入った記憶媒体を大事そうに自分で持つと、今までになく慎重に歩を進め始めた。俺は彼女の先に立ち、ライトで周囲を照らしながら奥へと進む。
「…もしもーし?」
 懐かしい建物が荒れ果てていて、中に誰もいない。数十メートル進み、廊下の角を曲がると、ドアの隙間から差し込んでいた陽光も届かなくなり、俺は思わず声を出した。
「誰か居ませんかー?」
 この感情を何と言うのだったか。言葉を思い出そうとする事で、この何か良くない事が起こるかもしれないと警告する思考シグナルを止めようとしたが、虚しく終わった。
「アル」
 突然アイが後ろから呼び止めた。彼女が指差す先を照らすと、一つの扉があった。
「IC社の部屋です。私のテラに居る間の記憶は、IC社とこの部屋のものしかありません」
 研究所研究所とさっきから言っているが、正しくはAL社のヒューマノイド生産・開発工場である。アイはIC社で生産され、人間の皮を被せる為だけにこの工場へ運び込まれた。
「入ってみるか」
 荷物を持っている彼女の代わりに、俺はそのドアを強引に開く。鍵はかかっていなかったが、建物自体が少し歪んでしまっているのか、それとも金具が錆付いていたのか、相当な力が必要だった。
「?」
 俺達は言葉を見失い、暫く部屋の状況を確認する事に努めた。
「本当にIC社の部屋か?」
 大きな部屋の中には、初め何も無いかと思われた。しかし、よく見ると壁際には種々のモニターやコンピューターが積み上げられ、がらんとした部屋の中央には、良く歯医者等で見る様な、中途半端に傾いた、人間が座る為の椅子の様なベッドの様な物が置いてあった。
「部屋の表札が見当たりませんでしたが、確かに此処です」
「まあ、五、六十年もあれば部屋の移転や事業撤退なんかで別の研究室に明け渡す事もあるか」
 俺もアイの記憶を疑った訳ではない。メモリー異常が多いとは言え、俺自身もこの部屋はIC社が使っていたと記憶していたからだ。
 だが、あの中央に置かれている椅子は何だ?
「………」
 アイに予め部屋の入り口付近で待機する様指示し、俺はその椅子に近付いた。俺に心臓は無いが、人間ならば心拍数が急上昇する様な展開である。
「何だこれ…」
 その椅子は、近くで見ると益々奇妙であった。あらゆる所にベルトや枷が付いていて、まるでそこに寝かせた人間が逃げ出さない様に拘束する為の物の様だ。
 此処はあくまでヒューマノイド工場であり、ヒューマノイドは人間に従順な機械である。必要の為固定する以外は、メンテナンスの時に暴れたり逃げたりしない様に縛ったりはしない。それに、この様に曲がった椅子の様な台に寝かせては、修理するにも何もやりづらいだけだ。
(これは…)
 俺の中の電子頭脳が計算したくもない可能性を示唆し始めた。
(尋問用? それとも人体実験か…?)
 俺はその椅子から目を背け、アイの元に戻った。此処は工学研究所だ、そんな事があってたまるか。
 俺達はその部屋を後にし、より研究所の深部へと進んだ。
 途中、一度だけその部屋を振り返った。アイが見咎めて何か言おうとしたが、その前に俺も歩を進める。
 考えたくないが、二百年もあれば何があってもおかしくない。何かの事情でそういった物が必要となったのかもしれないし、自分の予想とは裏腹に純粋な治療器具や何かなのかもしれない。だから止めよう。とにかく生きている人間を探すんだ。誰か。

 真っ白な人物が、宇宙船の隣に佇んでいた。二百年前テラを飛び立ち、今戻って来た人類の叡智の結晶。
「しかし叡智を追い求めるばかりに」
 彼は誰に言う訳でもなく呟いた。
「滅びてしまう事もあるものだ」
 今一度、宇宙船を見上げる。銀色の船体が陽光に輝いていた。
 この惑星の住人は何処で間違ってしまったのか。マーカスを捕らえた辺りからだろうか。しかし、それはマーカスの不注意、油断とも言える。そうすると悪いのはマーカスだ。だがマーカスだって好きでこの惑星に降り立った訳でも、ましてや滅ぼした訳ではなかった。こうしなければもっと大きな犠牲を払う事になったのだから。
「…全ては『運命』、か…」
 彼は宇宙船を眺めるのをやめると、ローバーが先程作って行った草原の轍の後を追った。

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