第64章:赤と黒

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「本当に行くつもりかいブルーナちゃん」
 エリオットは日が暮れる前には帰って来た。心配している様な怒っている様な顔のブルーナに、国の外であった事を洗いざらい話すと、彼女は椅子から立ち上がらんばかりの勢いでこう言った。
「マイルズに連れて行って下さい! 今すぐにとは言いません! 次にエリオットさんが行く時に一緒に連れて行って下さい!」
 大人しそうに見えた彼女が凄い気迫で言うので、エリオットは思わず首を縦に振ってしまった。
 助手席に座ったブルーナは「勿論です」と答えた。時間が遅くなったので、エリオットが車で家まで送ってくれる事になったのだ。
「んーまあ、自分で自分の身を守ってくれるなら俺は良いけど…。とにかく、親御さんとも相談ね」
 エリオットは色々な観点から、出来る事なら彼女を連れて行きたくなかった。第一、城の外、トイレも風呂もキッチンも無い所で丸一日以上かけての移動である。特に訓練も積んでいない、都会育ちの女の子が耐えられるだろうか。
 また、ラザフォードや他の賊の襲撃も心配である。複数人で移動する場合、全員自分の身は自分で守れる、つまりある程度の戦闘スキルがあれば出来るだけ大人数で移動する方が有利だが、彼女の様にサバイバルナイフなんか触るどころか見た事も無さそうな人物が一緒では危険度が増すだけである。
 それに、一番心配なのは、フェリックスが彼女と再会した時に、彼女に何と言うかであった。

 カーテンコールで観客に向かって手を振るエドガーに、ヴィクトーは立ち上がって真っ白な花の花束を贈った。
「お疲れ様」
 兄の言葉にエドガーが満面の笑みで応える。
「ありがとう」
 一先ず、凱旋公演は千秋楽を迎えた。これからサーカスの彼等は次の演目の練習をし、二ヶ月後くらいにまたマイルズで公演をしてから、次の国に向かうそうだ。なんだかんだでまだエドとはゆっくり話せそうである。
 エドとは色々な事を話した。仕事の事、学校の事…旅をしていたエドは学校に行かなかったそうだ。昔は、エドは母親に読み書きを習っていて、自分は頑なにそれを拒んで、逆だったのに。
『兄さん』
 昨日、ホテルまでヴィクトーを迎えに来たエドが言った。
『何だよ』
『あのさあ、マーカスの骨撒きに行くんでしょ』
 ヴィクトーは言葉に詰まるエドに言葉をかけた。
『あの[ひと]…メリッサと親父の遺品か?』
 エドが頷いた。ヴィクトーが欲しがるのだから、エドだって両親の形見の品があれば欲しいと思うのは当たり前だろう。
『あればで良いんだ。一つしか無かったら兄さんが持ってて良いよ。それに、次会ったらで良い。僕達何処に居るかわかんないし、兄さんも仕事あるし』
 ヴィクトーはエドの頭をぽんぽんと叩いた。
『ま、生きてりゃこうして会えるからな』
 公演の後、ヴィクトーはこっそりと教えてもらった劇場の裏口に向かう。フェリックスと共に出て来たオズワルドに言われた。
「ああ、君も来ると良い。これから食堂を貸し切って打ち上げだ」
「でも食べれないでしょ?」
 自力で歩ける程には回復したものの、胃の大部分を損傷し、一部摘出したヴィクトーはまだ通常の食事は摂れず、点滴と流動食でなんとか生きるのに必要なエネルギーを得ていた。
「なに、少しくらいなら大丈夫だ。そろそろ普通の食事に戻る練習もしないと」
 劇場に来るとあってヴィクトーはちゃんとスーツを着ていた。久し振りの礼服は苦しいかもしれないと思っていたヴィクトーだったが、怪我の前より大分痩せていたので、以前の感覚で服のサイズを選んだらブカブカに近く、ズボンの裾を擦らないか気にしながら廊下を歩く。
「俺仕事に復帰出来んのかなー。体力とか体重とか落ち続ける一方だけど」
「管理官ってどうせ座ってるだけの仕事だろ?」
 フェリックスが言った。ヴィクトーは頷く。
「ま、基本的には事務員だから。何か問題があったら他の兵士と一緒に戦うよ」
 流石に二月もの時間があると、決して仲が良いとは言えなかった彼等でもある程度の世間話は笑ってするようになる。特にフェリックスは、暇さえあればヴィクトーの病室に逃げて来ていた。
 アンジェリークへの想いを直視する事が出来なかったから。
「点滴が取れたら俺もこっちに部屋借りようかな。ホテルのふわふわのベッドで寝たい…」
 オズワルドが着替える為に自室に戻った所でヴィクトーがそう言う。
「ハーキマーさんのお金でか」
「自分も同じ事やってて責められるのか?」
「俺は今病院からの給料で一部は自分で払ってる」
「結局一部だろ全部じゃないだろ」
「っていうか俺も着替えるからお前先食堂行っとけ」
「了解」
 気付いたら二人で歩いていたので、フェリックスは適当にヴィクトーを追い払う。廊下の陰でアンジェリークが待っていた。
《お疲れ》
 フェリックスが言ったがアンジェリークは俯いて答えない。代わりに、ややあって尋ねる。
《公演終わったわ》
 アンジェリークはフェリックスを見上げた。
《ウィリアムズに帰るんでしょ?》
 フェリックスが何か言おうとした時、まだ半分舞台衣装のままのオズワルドが彼を呼びに来た。
「フェリックス、客人だ」

 三人で食堂に向かうと、フェリックスは言いかけた言葉を見失った。先に来ていたヴィクトーが入口で待っていて、視線で中を示す。
 二人は同時に食堂の扉を開けた。
「おお、ヴィクトー。元気そうだな」
 一つのテーブルエリオットが座っていた。そしてその隣に…
「フェリックス!」
真っ白な髪を逆立てる程憤慨している風のブルーナが居た。
「おーブルーナも来たのか。久し振りー」
「久し振りヴィクトー。思ったより元気そうね」
「そっちもね」
 ブルーナはヴィクトーとの会話は適当にあしらい、立ち上がってつかつかとフェリックスに近寄った。特に非は無いのにフェリックスは今にも逃げ出したそうな顔で彼女が歩み寄って来るのを見ている。
(ま、あいつらの事はほっとこう…)
 ヴィクトーは賢明な判断を下すと、先程までブルーナが座っていた位置に腰を下ろした。
「意外と早かったね。公演終わってももう一月くらいほっとかれるんじゃないかと思ってた。それとも何か急ぎの用?」
「うーん、俺は言わない方が良いって言うのに、ローズバッドがな…」
「ローズバッドさんが?」
 ヴィクトーはエリオットの婚約者の名前が出てきて意外そうな顔をする。もう長らく家に呼んでいなかったし、てっきり別れたのだと思っていたのだ。
「その…挙式をだな、今月やるんだが…言ったらお前絶対」
「帰るに決まってんじゃん」
 ヴィクトーがエリオットの言葉の続きを言った。
「エリオットの結婚式を見逃すなんて一生の不覚だし! 何が何でもウィリアムズに帰ってやる!」
「あ、や、でも、お前まだ食事…」
「流動食なら出来る!」
 エリオットは頭を抱えた。もうこれは駄目だ。何を言ってもヴィクトーはウィリアムズに戻るつもりである。
「おいフェリックス!」
 ヴィクトーは振り返ると、ブルーナと何やら言い争っている(というか殆どブルーナが喚き立てているだけの気がするが)フェリックスを呼んだ。
「お前、俺が今何食べれて何食べられないか解るよな?」
「解るよ」
 突然呼ばれて咄嗟に答えてしまったが、エリオットの残念そうな視線を受けてフェリックスはまずい事を言ったなと悟った。ヴィクトーが子供の様に目をキラキラさせている。
「フェリックスも一緒なら食事は問題無い!」
「途中コリンズに寄るならそこの医者に点滴してもらいなさい、紹介状を書こう」
 と、オズワルドも要らん助け船を出す。
「よし、じゃあ俺は明日ウィリアムズに帰る! フェリックスもだ」
 今度はフェリックスが頭を抱えた。しかし、道中何かあったらどうしようと、ヴィクトーを放り出す事は良心が苛む。なんとかして移動をやめさせる口実は無いかと考えたが、ヴィクトーの回復状態だとウィリアムズへの移動で問題がある点を見出す事が出来なかった。
「じゃあこれでとりあえず一回はウィリアムズに帰って来るわね、貴方も」
 フェリックスの前で、ブルーナが勝ち誇った様に笑っていた。

「あー一日ぶりのお風呂だー先入っていー?」
 フェリックスは部屋に戻っても相変わらず頭を抱えていた。
「っていうか何で俺の部屋に来るの?」
「旅費が足りないからエリオットさんと二人部屋にしようかと思ってたんだけど、それよりはこっちの方がいいかと思って」
「この部屋シングルベッドなんですけど」
「でもどうせ貴方寝ないんでしょ。ヴィクトーに聞いた。夜中に病院や町中をうろうろしてるって。夢遊病?」
「違う不眠症」
 フェリックスは諦めて黙り込んだ。ブルーナがシャワーを浴びている間、ベッドに座って考える。
(ブルーナの態度が別れる前と同じで逆に怖い…というかなんで俺が責められてんだ? 別れたよな? 俺達。うん、あの俺のキレ方は別れを告げてる同然だろ。その後もずっと話さなかったし…じゃあなんで?)
 バスルームの扉を見詰めながら考えても、解らない。ヴィクトーの言う通り、ブルーナも俺の事を本当に好きだとすれば、話の辻褄は合うが。
 フェリックスは机の上に置かれた、アンジェリークの小説を手に取った。
(…けじめを付けよう)
 いずれにせよ、このまま此処でオズワルドを頼って生活していく訳にもいかなかったのだ。
「ブルーナ、ちょっと出て来る。直ぐに戻るから、鍵は俺が持ってくね」
 ブルーナの返事を聞くと、フェリックスは廊下に飛び出て階段を駆け上る。
 アンジェリークは彼女の部屋の前で、フェリックスを待っていた。
《これ返す》
 フェリックスは意を決して話し始めた。
《…あのアルビノの彼女、ウィリアムズに居た時の恋人なんだ》
 アンジェリークは受け取った小説を見詰めて何も言わない。
《あと聴いてたと思うけど、ヴィクトーの都合で一旦ウィリアムズに帰る事になった》
 アンジェリークは頷く。
《でもまた帰って来…》
 フェリックスの言葉をアンジェリークは手を振って遮った。
《良いの。私はマチルドだったのよね》
 彼女はその本の表紙のタイトルをなぞった。「Le Rouge et Le Noir[ル・ルージュ・エ・ル・ノワール]」…《赤と黒》と言う名の本を。
 アンジェリークは苦笑した。
《あたし、父が遺した本の中でこれが一番好き》
 そしてフェリックスの目を見上げる。
《ルイーズを傷付けちゃ駄目よ、ジュリアン》
《アンジェリーク…》
 アンジェリークは部屋の中に去った。フェリックスは扉の前で何度か呼びかけたが、彼女が応えなかったので、フェリックスは彼女の部屋を後にした。
 アンジェリークが自分を好いている事、自分が彼女に惹かれている事には気付いていた。酷く辛かった。ブルーナと別れた時と同じ位に。
 彼女と過ごした二ヶ月間も、あの乱雑な小部屋の中に封じ込められてしまった気がした。
 自分の部屋に戻ってきた時には、泣き崩れるかと思った。しかし、ちょうど風呂から上がったブルーナを見ると、辛かった感情も消え失せてしまった。
 フェリックスはアンジェリークの事を愛していた。しかし、その愛はブルーナへの愛情ほど強くも重くもなかったのだった。伴侶は一人が原則で二人以上は倫理的に問題とされる世の中では、彼がどれほど二人共を愛していたとしても、どちらか一人が犠牲にならざるを得なかったのだ。
 フェリックスはその後何十年もの間、そう自分に言い聞かせて暮らした。そして二度と、彼がアンジェリークと顔を合わす事は無かった。

『創呪擦罪 骨肉相噛』がアマプラで聴ける事ご存知でした?
私は知りませんでした。