第21章:独りの夏休み

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 フェリックスは荒々しく店の扉を開け、客の居ない店内を横切って作業場へと入り、挨拶して来る従業員にもろくに返事をしないで建物を出た。
「奥さーん。坊っちゃんどうかしたの?」
 店で一番若いセーラが、フェリックスの母親に尋ねた。母親もいつもは温厚な息子の異変を心配する。
「さあー…何かあったのかしら…」
「遅めの反抗期じゃないのー?」
 フェリックスの父親は店のカウンターで呑気に伸びをした。母親が何か言いたそうにしたが、客が来たのでフェリックスの事が顧みられる事は無かった。
(ふざけるな!)
 相変わらず誰に向かって怒っているのかはっきりしないまま、フェリックスは自分の部屋に入るなり鞄をベッドに投げ付けた。自分の体も椅子に投げ出すと、制服のネクタイを緩めて息を吐く。
(好きだったのに)
 フェリックスはブルーナの顔を思い浮かべた。今の言葉は訂正しなければならなかった。フェリックスはブルーナを嫌いになった訳ではなかった。
(好きなのに…)
 それでも、ブルーナを手放しで信じる事は出来なくなっていた。計画は本当だった。という事は、ブルーナが自分に近付いたのは、ティムの指示で、という事である。
 ふと、窓際の花に目が留まった。ティムがくれたポイゾナフラー。温かい時期を迎え、たった一株だけだが花は満開で、ピンクの細長い塊の様になっていた。あと二週間程もすれば種が収穫出来るだろう。
(ブルーナだけじゃない)
 フェリックスは植木鉢に水をやり、窓から裏庭を見た。アレックスが柵越しに新しい彼女と別れの挨拶をしていた。
(ティムも、アレックスも、俺を騙してた)
 じょうろに常備している水を、アレックスの頭からぶっかけてやりたい衝動を堪え、フェリックスは窓辺から離れた。制服を脱ぎ、汚れても良い普段着に着替える。園芸道具を手に取ると、フェリックスは裏庭へと向かった。
 階段を下りる途中で、アレックスと擦れ違った。アレックスはティムから、フェリックスが計画の内容を伝えられる日を聞いて知っていたのだろう。目を合わさない様にして無言で階段を上って行った。フェリックスが少し睨む様な視線だったので、計画が上手くいかなかった事も、想像が付いたのだろう。
 裏庭の花壇にシャベルを突き立てると、フェリックスは地べたに座り込んで空を見上げた。建物に囲まれて、狭い空には雲一つ無かった。季節外れの蝶が、居る筈の無い仲間を探す様に、高い所をフラフラと飛んでいた。
(誰を信じれば良いんだよ)
 シャベルを掴んで花壇の土を無意味に掘り返しながら、フェリックスはかつてない孤独を感じていた。

「ふーん、失敗したのか。まあそうなると思ってたけど」
 アレックスが兄との間の確執に息が詰まり、ヴィクトーに電話をしたのは七月も終わる頃だった。
「つか、ティムも俺に報告くれたって良いのに…。とりあえず家来いよ」
 その言葉に甘え、アレックスは馬を駆ってブルーナの家へと向かった。行くなら彼女も一緒だ。ずっと計画を進めてきた仲間なのだから。
 ブルーナの家のベルを鳴らすと、沈んだ様子の彼女が出て来た。わざと声だけは明るい調子で言う。
「新しい彼女が妬くわよ、元カノの家なんかに来たら」
「先輩の家に行くんだ。一緒に行かないか?」
 ブルーナは首を横に振った。
「あんまりお喋りする気分じゃないわ」
 アレックスは引き下がるつもりは無かった。
「遅くなっちゃったけど、ブルーナの誕生会しよう。誕生日、夏休み入ってからだったし、兄貴の分まで俺が祝うよ」
 こうして半ば強引にブルーナを連れて行くと、ヴィクトーに怒られた。
「ったく、パーティーなんか聞いてねーぞ!」
 と言いつつもアレックスが買ってきた食材で料理を作る辺り、ヴィクトーの根の人の良さを感じる。
 ヴィクトーが調理している間、手持ち無沙汰な二人の会話は、何となくフェリックスの話になってしまった。
「フェリックスはどうしてるの?」
 ブルーナの問いにアレックスは肩を竦める。ブルーナはテーブルに肘を付いて憂鬱な顔をした。
「一日中園芸してるか部屋に閉じ篭ってるか。時々変な臭いがするから、薬の調合でもしてるんじゃない?」
「直接話したりはしないの?」
 アレックスが眉根を寄せた。
「ブルーナが俺も計画に加担してるって言ったんだろ? 気まずくて目も合わせられねー。っていうか、徹底的にシカトされてるんだけど」
「はいはいそこまで」
 アレックスとブルーナが今にも言い争いを始めそうだったので、ヴィクトーは二人の間に出来上がった料理を置き、会話を遮った。
「もっと楽しい会話は出来ねーのかよ。ともあれ、ハッピーバースデー」
 ヴィクトーもテーブルに着き、フォークを掴んで料理を突き始める。
「そう言われても、ティムもまた連絡寄越さないし…」
 アレックスもヴィクトーお手製の唐揚げを突き始める。ブルーナはフォークを手に取りはしたが、微塵も食べる気が無い様に見えた。
「成人の儀が近いからな。今回は今までと違って姿を見せるし、計画の発表の仕方とか、何かと忙しいんだろ。俺等に任されてた仕事の分、向こうで全部片付ける様なもんだし」
 忙しいと言えば、とヴィクトーは食べるのを中断して右手のフォークを振る。
「俺、明後日から研修だから」
「研修って、仕事の?」
 アレックスが唐揚げを口に詰めたまま尋ねる。ブルーナはまだ一口も食べていなかった。
「他に何があるんだよ。今までみたいにしょっちゅう相手はできねーぞ。エリオットと同じ北門配備だ。緊急の時はそっちにかけてくれ」

 アレックスが落ち込みっぱなしのブルーナを連れ帰った後、ヴィクトーはささやかなパーティーの後片付けを始めた。一人になったヴィクトーの脳内に、あの歌が流れだす。

裏切り者はまだ生きている
エドガーはまだ生きている
俺はそいつを殺すのさ
自分共々殺すのさ

(エドガーを殺す)
 先程までの、いつも何か企んでいる様な表情は消え失せ、らしからぬ呆けた顔で彼が考えていたのは、ただ一つだった。自分の弟を殺す。殺さなければならない。
 ヴィクトーは誕生日の前夜に、とうとう歌の魔力に負けてしまっていたのだ。ラザフォードの歌は抗おうとすれば激しい頭痛や背徳感、精神的不安定等に襲われるが、一度受け入れてしまえば何とも無かった。他人との会話や日常生活に影響する事は無く、周りの者が見ても歌の魔力に支配されていると気付く事は難しい。ただ、操られた者は歌の目的の為なら手段を選ばなくなる。まさしく操り人形と化してしまうのだ。
「ただいまあ~」
 皿を洗っている途中でエリオットが帰って来た。ヴィクトーは直ぐにいつものニヤニヤ顔に戻る。
「お帰り。今日は早いな。飯まだ出来てねーぞ」
「そうだろうな。王子の計画の都合で勤務時間があちこち移動させられるから堪ったもんじゃないぜ」
 先にシャワー浴びてくる、と言って風呂場の方に向かうエリオットの背中を見詰め、ヴィクトーは考えた。
(北門の衛兵…)
 どうする。エドガーを殺すにはまずこの国から出なければならない。もう成人したし、後見人のエリオットの許可無しでも正規の手続きを踏んで出国する事は出来るが、彼を操ればもっと事は楽に進まないだろうか。
(…って駄目だっつの! エドの事は殺さな…)
 しかし我に返った途端に頭をキリキリと魔法が絞め付ける。
(殺さな…くちゃ…駄目だ…)
 そうだ、殺さなくては。絶対に。
 ヴィクトーは皿を洗い終えると、脱衣所で衛兵の制服を洗濯篭に放り込んでいたエリオットに近付いた。男二人の世帯なので、エリオットは暑い夏場は脱衣所の扉を閉めずに服を脱ぐ。開け放たれた扉の所に佇むヴィクトーの姿を認めて、エリオットが振り向いた。
「どうしたヴィクトー?」
 ヴィクトーは答える代わりに歌い始めた。ヴィクトーは魔法を習った事が無いので、直接声の届かない位置に居る人間に歌を聞かせる事は出来ない。しかし、ラザフォード家に代々伝わる魔法の歌は、魔力を十分に開発していない者でも、歌い方さえ知っていれば他人を操る事が出来るのだ。
 当然、ヴィクトーは歌の歌い方を知っていた。六年前、ラザフォードの名を捨てた時に、永遠に歌わないと誓わされた歌を、ヴィクトーは小さな声で、しかしエリオットにはっきりと聞こえる様に歌い始めた。
 エリオットがヴィクトーが何をしているのかに気付いた時には、既に遅かった。頭を締め付けられる痛みがエリオットを襲う。
「ヴィクトー! やめろ! 歌うな!」
 ヴィクトーが自ら誓いを破ってラザフォードの歌を歌う筈が無い。エリオットは、ヴィクトーが既に操られてしまっていた事に気付かなかった自分に腹を立てた。誰かがヴィクトーを操ろうとしていた事には気付いていたのに。
 何とかして歌うのを止めさせなければ。歌の効力が切れた時に…もし、切れる事があれば、の話だが…ヴィクトーは自分が操られて行った事を、後悔するだろう。そしてそれは自分の責任でもある。
 上半身裸のまま、ヴィクトーに向かって突進する。耳を塞いでも耳元で大声で歌われれば聞こえてしまう。ヴィクトーの声が出ない様にする方が現実的だと瞬時に判断し、ヴィクトーの首を絞めようとしたのだ。勿論、死なない程度に。
 しかし、ヴィクトーが頭痛で思う様に動けないエリオットの腕をかわし、逆に彼を羽交い締めにするのはそう難しい事では無かった。ヴィクトーはエリオットよりも小柄だが、戦いにおける器用さはヴィクトーの方が何倍も上である。門兵として過ごした十二年間と、盗賊として過ごした幼少期の十一年間。どちらが実戦に慣れているかと言えば、後者であった。
「ヴィクトー…!」
 エリオットの呼び掛けにヴィクトーが答える事は無かった。今や陶酔した様な顔でヴィクトーは歌い続けている。

裏切り者はまだ生きている
俺がエドガーを殺すから
その後お前は俺を殺せ
俺の指示には従うんだ

「ヴィクトー…」
 やがてエリオットがヴィクトーの名を呼ばなくなった。気絶したエリオットをその場に放置し、ヴィクトーは台所に戻る。ヴィクトーの顔には清々しい笑みが浮かんでいた。
(これであいつは俺のいいなりだ)
 関係の無い鼻歌を口ずさみながら、ヴィクトーは夕飯の支度を始めた。数分後、エリオットは何事も無かったかの様に目を覚ますと、シャワーを浴びていつもの様に食卓に座った。

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