Cosmos and Chaos
Eyecatch

第3章:過ち

  • R15+
  • 4507字

「レイちゃん!」
 レイモンドは振り返らずとも誰が自分を呼んだか判った。自分にちゃん付けをする人間はこの世に一人しか居ない。
「テイラー辞めたのか!?」
 喫茶店のテラスのテーブルを拭き終えて振り返ると、やはりアーノルドだった。
「そっちこそ彼女は?」
 いつもはキャロルを連れて店に来る彼が今日は一人だった。レイモンドが地雷を踏んでしまったと気付くまでに数秒とかからなかった。
「それなんだよー! 話聴いてー!!」
 レイモンドは店の主人に許可を得て早めにバイトを切り上げた。陽が高くなってきた春の夕刻を、男二人でぶらぶらと彷徨う。
「親父に別れさせられたんだ」
 公園のベンチに腰を落ち着けた所でアーノルドが言った。
「でも俺は絶対諦めない!」
 そしてレイモンドに向き直ると、彼の肩を掴んで懇願した。
「あんたもサンドラの事を好きなら諦めないでくれ」
 アーノルドの目付きは真剣だ。
「どちらかが違う相手と結婚した時点で、俺達の勝ちだ」

 アパートに帰ると、部屋の前でサンドラが待っていた。
「えへ、家出ー」
 明るく言った彼女の目は笑っていなかった。レイモンドはとりあえずサンドラを家の中に招き入れる。
「アーノルドがキャロルと別れさせられたって聞いた?」
「うん」
 サンドラに茶を淹れてやりながら頷く。
「キャロルが小父さんの反対に耐え切れなくて振っちゃったの」
 サンドラは茶を一口だけ飲んで、続ける。レイモンドは黙って聴いていた。
「私も家に居るとそうなっちゃいそうで」
 二人は互いに想いを伝えた事は無かった。しかし、それは互いの気持ちを理解するのに言葉が必要無かっただけであり、確かに愛し合っていた。
(だけど愛って何だ?)
 レイモンドはアーノルドの言葉を思い出していた。
『俺達の勝ちだ』
(まるでゲームみたいに言うよな)
 今夜はサンドラを泊める事にした。もう日が暮れているし、今から彼女を家に帰したって何も良い事等無い。不審者に狙われるかもしれないし、両親にはこっぴどく叱られるだろう。
 レイモンドは愛を理解していなかったが、自分なりの解釈で愛し抜いてやるつもりだった。
「サンドラ」
 シャワーを貸して欲しいと浴室へ行った彼女を追いかけ、レイモンドは服を脱ごうとしていた彼女の肩を掴んで振り向かせた。
「愛してる」
 レイモンドは彼女の合意も得ずに口付けた。突然の事に抵抗するが、彼の力には太刀打ち出来ないサンドラの肌に指を滑らせながら、レイモンドは何かに勝ったつもりでいた。

「家に帰りたくない」
 レイモンドのみすぼらしいベッドに二人は横になり、カーテンの隙間から差し込む朝日に目を細めていた。互いに向かい合って、片方の手の指を絡ませる。
「ずっと此処に居たら良いよ」
 レイモンドは勝ち誇った笑みを浮かべる。温かい彼女を引き寄せて抱き締めた。
「お金は貯蓄崩せばなんとかなるし」
 貯金が無くなるまでには学校を出てまともな職に就けるだろう、と珍しく楽観的に考える。
「あのねー、レイの故郷に行きたい」
 サンドラも彼の背中に手を回し、肩に顔を埋めた。明るい色の首筋がレイモンドの目の前に露わになり、理性が正常に働かなくなっている彼は思わず彼女を舐めた。サンドラは最早拒まなかった。
「行っても、家売っちゃったから何も無いよ」
 甘い声が耳元で囁かれ、サンドラは鳥肌が立つ。少し起き上がってレイモンドの顔を見た。本当に美しい少年だった。肌と言い顔立ちと言い声と言い…恋しているが故の錯覚だろうか?
(でも中身はボロボロだわ)
 サンドラはレイモンドの両親を知らない。レイモンドは美貌を両親から受け継いだかもしれない。しかし、精神的な欠陥も親譲りだろうと感じていた。聞けばレイモンドは両親が死んだ理由に心当たりが無いらしい。きっとその通りで、彼等が己を殺害した理由等無かったのだろう。彼を置いて逝った理由も。
 理由無き殺意は存在する。何度自分が頼んでも自傷癖を正せない恋人を見て、サンドラはこれまで考えた事も無い事を知った。
「良いのー。ブラブラするだけー」
「じゃあ馬車乗ってかなきゃ」
「遠いって行ってたけど何処なのー?」
「南の端。晴れてたらトレンズ島が見えるよ」
 鍔の大きな帽子で顔を隠しながら、サンドラはレイモンドの腕に掴まって相乗り馬車に乗り込んだ。レイモンドが実際の歳よりも大人びた顔付きだから、平日の昼間にうろついてもあまり怪しまれなかった。
 レイモンドの先導で南の街を歩きながら、サンドラは心を決めていた。
 彼と決して離れない。レイモンドはサンドラが知らない事、持っていない物の具現だった。彼以外の誰がこれ程に儚く脆い精神の上に、彼に比肩する美と思慮深さを持っているだろう。
 押せば倒れてしまいそうな危ういバランスで立つ彼を支えたい。
「ほらあれ」
 二人は高台に登っていた。レイモンドの生まれた街が一望出来るが、レイモンドは海の方を指していた。
「トレンズの城壁。見える?」
「うん」
 サンドラは生まれて初めて外国を見た。と言っても国を囲む塀だけだが、国の外の物を目にして彼女は興奮した。
「南は城壁が無いのね」
「海だからね。海賊やトレンズが攻めて来るのを恐れて建ってた時期もあるらしいけど、今は割と平和だし、漁に出づらいからね」
 二人は丘を下りた。船の少ない波止場に腰を下ろし、レイモンドが珍しく自分から話し始めた。
「両親は城壁の代わりに、魔法で国を守る仕事をしてた」
 サンドラは黙って続きを促す。
「何となく自分もその仕事に就こうと思ってプライスに入った」
 太陽が海面に反射してレイモンドの顔を照らしていた。髪の毛が光に透けて茶色く輝いている。
「でもやっぱ難しかった」
 レイモンドはバイトや家事で十分に学習時間を確保出来ず、入学してからずっと成績が下がり通しだった。このままでは留年してしまう。サンドラはかける言葉が見つからない。
 レイモンドがサンドラの手を引いて立ち上がらせた。見詰めているのは波が寄せる波止場の縁である。サンドラは彼がしようとしている事に気付いて恐怖を覚えたが、止めようとはしなかった。
 理由無き殺意は存在する。
 レイモンドは成績不振に託けてその殺意をごまかそうとしているだけだ。
 サンドラは彼の手に自分の手を委ねた。なに、此処は波止場だ。人の目が無い訳ではないし、本当に死んでしまう前に誰かに助けられるだろう。サンドラは知りたかった。自殺未遂を繰り返す彼が、いつも何を見ているのか。
 レイモンドはサンドラを波止場の縁に誘いながら考えた。二人が死んだら、サンドラの方は親が遺体を引き取るだろう。自分はどうだ? 多分無縁仏になって共同墓地に適当に埋められるのだろう。
 そう思うと無性に腹が立った。サンドラの体はもう自分の物なのに、此処で飛び込んだら彼女の両親に引き離されてしまう。仮に死ななくても、病院に運ばれたら警察に連絡される。今頃は彼女の捜索願いも出されているだろうし、どちらにせよ、だ。
 レイモンドは今や自ら海へ向かって歩いているサンドラを引き戻すと、キスをした。
「帰ろう」

 馬車の停留所を出て直ぐの所で二人はサンドラの父親に見付かった。サンドラの腕を引くレイモンドの姿を見るなり父親はレイモンドを殴った。レイモンドは口の中を切り、舌でその血を味わった。生の味がする。
「昨日は何処に泊まったんだ?」
 サンドラは殴られたレイモンドの頬に手を当てて心配したが、父の質問には答えなかった。父親は今度はサンドラの頬を張る。
 レイモンドはそれが許せなかった。自分が殴られるのはどうでも良かったが、サンドラには誰であろうと手を触れられたくなかった。
 無論、頭では解っている。レイモンドもサンドラも未成年だ。サンドラは家出をしたのだし、レイモンドは学校をサボって彼女の逃亡に荷担した。大人が怒るのは当然だった。
「どれだけ心配したと思ってる!? しかもこの小僧の所に行っていたのか!?」
 人の目も気にせずに怒鳴り散らすサンドラの父親の胸倉を掴み、レイモンドは彼を殴り返す。喧嘩が始まったのを見て近所の者が直ぐに警察を呼んだ。
 二人は警察に連行されて事情を聞かれたが、先に手を上げたのがサンドラの父親だった為にレイモンドは少し指導を受けただけで解放された。サンドラの父も殴った理由が理由であるし、レイモンドが被害として提出しないとしたのでお咎め無しとなった。
 しかしサンドラは父親に連れられて自宅に戻る事になった。
「今後娘に近付いたら、今度こそただでは済まないぞ!」
 そんな父親の捨て台詞と共に。

 意外にもレイモンドはそれ程落ち込んではいなかった。今後数ヶ月はサンドラに会えないだろう事が予測されたが、彼は自宅に戻ると何事も無かったかの様に夕食を作り始めた。
 夕飯の後、まだ学校の図書館が開いている時間帯である事を確認すると、制服に着替えてそこへ急いだ。
 魔法学院ではあるが、此処では魔法の使用に関する法律に関しても学ぶ。それに関連して、普通の法律書も何冊か所蔵されている事をレイモンドは期待していた。
(あった)
 法律関連の本が並ぶ棚に目当ての本はあった。
(ウィリアムズ国民法…)
 レイモンドはそれを手に取ると閲覧席で婚姻に関するページを広げた。
 ウィリアムズでは原則的に未成年は結婚出来ない。しかし例外が無い訳では無かった。
(例外その一、男女双方が学生ではなく、自立生活するのに十分な定収入がある場合、当事者とその保護者の同意を以て結婚を認める…その二、男女双方が学生ではなく、二人の間に子がある場合、育児と生活に十分な定収入があり、当事者同士の同意がある場合に限り保護者の同意無しに結婚を認める…)
 レイモンドは以前から例外について知っていたが、念の為詳しい条件を確認しに来たのだった。それが自分達に適応しうる条件だと知り、レイモンドは次に妊娠出産についてのページを探した。
(サンドラが妊娠していれば結婚出来る)
 レイモンドは学校を辞めるつもりでいた。後は収入をどうやって得るかだが、この国では中卒が最終学歴の人間もそう少なくない。今のバイトだけでも結構な収入があるし、学校に行かなくなればもっと働ける。レイモンドは職種に拘らなければどうにでもなると高を括っていた。
(未成年者の妊娠出産について…母親となる未成年者の合意無しに妊娠中絶させる事は出来ない。但し、健康上の問題がある場合、未成年者が義務教育中の場合は、保護者の合意の元、本人の合意無しにこれを行う事が出来る)
 レイモンドは分厚い本を棚に返すと、人気の少なくなり始めた学校を後にした。
(完璧だ)
 家に戻ると服を着替えて風呂場に向かった。右手には何故か包丁を握っていた。
(サンドラが妊娠していてくれたら結婚出来る)
 満足そうな笑みを浮かべながら彼はまた自分を傷付けた。何故またこの行為に及んだのか彼自身も理解していなかった。
 サンドラとお腹の子の命を、自分がサンドラを手に入れたいが為に利用する。命とは何なのだろう。愛よりも解し難い、と、冷たい水にたゆたう赤い糸を眺めながらレイモンドは考えていた。