第38章:殺意

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「俺、先輩が引っ越したって知らなかった」
 アレックスはヴィクトーのアパートのベッドの上に寝転がり、白い天井を見上げていた。北門に勤める者が借りられる住宅は、借りる側のニーズに合わせて色々な部屋タイプがあるが、ヴィクトーは一人暮らしなので、寝室とキッチンダイニング、シャワールームのみという簡素な一室を借りていた。
「ドタバタしてて言うの忘れてた」
 ヴィクトーが荷物を背負い、アレックスを部屋から追い出す。部屋の鍵を閉めると、大家にそれを預けて、アパートの前に停めてあったトラックに乗り込んだ。
「どっちにしろまたすぐに出て行く予定だったのに、どうして引っ越したの?」
 アレックスがハンドルを握り、レバーを引いて車を発進させる。この国では銃の所持には免許が必要だが、車の運転には必要無い。アレックスは南方で隠居している祖父から、昔仕入れに使っていたトラックを貸してもらったのだった。母の代になってから、生地等は業者が店まで運んでくれるようになったので、用無しになって祖父の家の倉庫に眠っていたトラックは、古いものの燃料を入れたら走らせる事が出来た。
「まあねえ」
 ヴィクトーは答えなかった。
 計画が成功しようがしまいが、学校を卒業したらエリオットの家を出て行くと決めていたのだ。それがどんなに短い期間であろうと、出来るだけ早く。
 そうしないと彼女が…エリオットも可哀相だ。というか、自分の責任だ。
「おわちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃ」
 助手席に座っていたヴィクトーは、アレックスの運転のド下手っぷりに閉口するしかなかった。因みに、今のはハンドル操作を間違えて民家に突っ込みそうになったが、どうにか回避した時にアレックスが上げた無意識の奇声である。
「俺運転しようか?」
 ヴィクトーが大きい目を細めて、保護者になった気分で尋ねる。
「出来るんすか先輩!?」
「昔盗んだ車とかで遊んでたしー」
 そう言って二人は場所を換わる。アレックスはさっきまで、自分の決して安全とは言えない運転に冷や汗をかいていたが、今は別の重要な事実を思い出して冷や汗をかいていた。
 ヴィクトーは元盗賊であるという事。
 アレックスはヴィクトーが良い人間である事を知っていた。自分に害意が無い事も知っていた。だから、生まれ育ちがどうであれ、嫌ったり、怖がったりしたくはなかった。それでも、時々恐怖を感じる事は否めなかった。今も絶えないラザフォード一族の暗躍、ヴィクトーが時々見せる獰猛で狡猾な表情。思い出すとぞっとした。
「アレックス」
 ヴィクトーの呼び掛けにアレックスが左を見ると、ヴィクトーが苦しそうな顔をしながら言葉を必死で絞り出そうとしていた。
「先輩…!」
 大丈夫か、と尋ねる前にヴィクトーが片手をハンドルから離して制止する。
「…俺が冬に言った事、覚えてるな…?」
 アレックスは忘れる筈が無いヴィクトーの頼みを思い起こした。
『もし俺がお前等を傷つける様な事があれば…迷わず俺を殺せ』
「…うん」
 アレックスが覚悟を新たに返事をすると、ヴィクトーが少しだけ微笑んだ。
 その後は北門に着くまでどちらも話さなかった。到着する頃にはヴィクトーの顔色もいつもの健康的な白に戻っていた。逆に、アレックスがプレッシャーに押し潰されそうになっていた。果たして、ヴィクトーが己に刃を向けた時に、自分は彼を斬る事が出来るのだろうか?

「っていうか見送りエリオットだけかよ」
「えー俺も居ますよー」
 管理所で出国記録用紙に必要事項を書き込みながら、ヴィクトーが言った。ヴィクトーの代わりに管理官を務める事になった眼鏡の若い男が、その言葉に応える。彼もティムの協力者らしかった。
「まあ、皆学校があるし、ティムは色々忙しいし、仕方無いよ」
「お前の親は?」
「仕事が忙しそうだからね、パパは来たそうだったけど、断った」
 そう言うアレックスが書き終えた書類を、ヴィクトーがチェックする。代理の男はヴィクトーの物をだ。ヴィクトーも管理官であるのだから、二枚とも代理の彼に任せるよりも効率が良い。
「お前のミドルネーム[ナイジェル]って言うのか。かっこいいな」
「そう? 兄貴と姉さんが色の名前だから揃えられただけだよ」
「あれお前姉貴居たっけ?」
「兄貴が生まれる前に死んだ。姉さんが[ブランチ]、兄貴が[ロイ]。先輩のミドルネームは?」
「レナード」
 代理の管理官がヴィクトーの代わりに答え、口笛を吹いた。
「ヴィクトー・レナードなんて名前、立派すぎて自分の子供には付けられねーな。それに、レナードは昔の悪い王様の名前だからな。この国ではあんまり人気無いのよ」
「知ってるよ」
 ヴィクトーはアレックスの紙も代理の男に渡す。
「じゃあ俺が居ない間よろしくなトレイシー。エリオットも」
 ヴィクトーがそう言うと、エリオットは何も言わずに頷いた。エリオットが何も言わなかったのは、歌の魔力の所為だろうか、それとも自分のやろうとしている事がお見通しだからか、ヴィクトーには判断出来なかった。とにかく確かなのは、これが最後の別れである事、そうでなくても、次に会う時に永遠の別れが来る、という事だった。自分が彼に歌った内容は鮮明に記憶していた。後は、その魔力が切れるまでに、自分がラザフォードに殺されるか、アレックスに殺されるか、エリオットに殺されに戻って来るかのいずれかだ。
(死ぬって判ってるのに抗えないのも、魔法の効果なのかな…)
 そう思いながらトラックに乗り込み、ヴィクトー達は国を後にした。
 ヴィクトーのなすべき事は一つだけだった。自分が弟の居る場所へと吸い寄せられていく…というか、自分で向かって行くのは、魔法の効果だから仕方が無い。ここ数日、歌が聞こえる頻度が少なかったので、今はまだ理性が少し物事を冷静に判断出来るが、また聞こえ出したらフェリックスそっちのけでエドガーを探し始めるだろう。フェリックスも元はと言えば国の外に出る為だけに敷いた布石なのだし。
 しかし、アレックスまでついて来るのは想定外だった。だが、あの場であれ以上反対する事は出来なかった。下手に抗議すれば自分自身が国から出られなくなってしまう可能性もあったからだ。
(アレックスだけはもう一回国に返してやらねえとな…)
 ついでに兄貴も、と建前上は考えたが、数回顔を見ただけのフェリックスと、一年間一緒に計画を進めたり、学校で絡んでいたアレックスへの思い入れの深さの違いは無視出来なかった。例え、始めは自分の私利私欲の為にアレックスに声を掛けたのだとしても、今では大切な友人である事に変わり無いのだ。

「………」
 ヴィクトーはトラックのドアにもたれかかり、再び閉口していた。すぐ隣の樹の下では、アレックスがしゃがみ込んでぐったりしている。
「なんでお前そんなに車に酔いやすいんだよ! まだ平坦な道しか走ってないだろ!」
 と怒鳴ってやろうかと思ったが怒鳴った所で体質が変わる訳ではないのでヴィクトーはなんとか文句を体内へ押し戻した。しかし、やはり国に置いて来るべきだったと激しく後悔する。
「…とりあえず飯にするー?」
 まだ昼食には早いが、アレックスが元気になるまで暇だったので、ヴィクトーは運転席の下に隠していたピストルを取り出して、一狩りしようかと考えた。
 ヴィクトーが拳銃を手にしているのを見て、アレックスがビクンと肩を震わせる。
「あ…先輩…?」
「どうせ誰も見ちゃいねーよ」
 アレックスもヴィクトーも拳銃の所持免許は持っていない。しかし、どうせ国の外では免許制度そのものが意味をなさない。ヴィクトーはエリオットを通じてピストルやライフルの類を準備していた。
 六年半ぶりの銃の感覚に、ヴィクトーは少し興奮しながら森の奥へと進んだ。兎か何かが棲んでいればいいのだが。食料は沢山持ってきているが、出来るだけその日に調達するのが、長期間森の中で暮らすにはベストな策である。
 ヴィクトーが森の奥に気配を感じた。大きい。鹿か何かだろうか。ヴィクトーはそっとしゃがんで藪に姿を隠すと、耳を澄ませて音の主を探った。その音は徐々に大きくなって来る。
 ヴィクトーは突如立ち上がると、アレックスの元まで走ってまだ青い顔をしている彼をトラックに押し込んだ。
「なっ何々!?」
「やべえ! 逃げるぞ!」
 ヴィクトーは運転席側の窓を開けつつ車を急発進させた。右手にはピストルを握ったまま左手で大きくハンドルを切り、方向転換して加速する。しかし、道が狭い上に大きなトラックなので上手く行かず、サイドミラーが周りの木々と擦れた。アレックスは今にも吐きそうだったが、なんとか堪えて窓の外を見る。何かが居る様には見えなかった。
(頼む…)
 ヴィクトーは泣きそうになりながら車を加速させていた。
(頼むからラザフォードじゃありませんように…)
 森の奥から近付いて来たのは、確かに人影だった。一人だけの様に見えたが、すなわちそれは、単独行動が出来る程度に森に慣れている人間という事だ。
 フェリックス・テイラーの可能性もあったが、髪が長かったのでその可能性はすぐに否定された。そうすると、この近辺に蔓延る賊であると考えるのが一番妥当であった。
 勿論、ラザフォード一族以外の盗賊も居ない事は無い。彼等もまた危険である事には変わりないが、魔法を得意とするラザフォードに比べればずっと恐ろしくない敵である。
 ヴィクトーは大分離れた所で漸く減速し始めた。車が完全に止まるのを待たずに、アレックスは車から飛び降りて道の脇で吐いた。彼を気にする余裕さえ、ヴィクトーの心には無かった。
 ヴィクトーは殺意の恐ろしさを身をもって知っていた。容赦無く向けられる銃口の先から、見えない刃で斬られている様な恐怖。六年前のあの日、ウィリアムズの兵士達は子供だったヴィクトーにも容赦無く銃を向けた。ただ、エリオットを除いて。
 先程の人物がラザフォードなら、歌の内容とは多少食い違うものの、その場で自分は殺されるに違いない。殺す順番に意味は無いのだから、エドガーはその後自分達でゆっくり探せばいい。
 アレックスはそのままトラックの後ろに行き、口をゆすぐ為に水を探し始めた。ヴィクトーはその頃になって漸くハンドルと拳銃から手を放す事が出来た。変に硬直して小刻みに震えている手を見詰めて、発狂しそうになる精神をなんとか地上に繋ぎ止めていた。
 ラザフォードの歌には、死の恐怖を和らげる効果は無いらしい。

 マーカスは走って行った人物を追い駆けようとはしなかった。なんせ、右手にはナイフを、左手には今し方襲って殺したばかりの人間の死体を掴んでいたからだ。
「マーカス?」
 後ろで犠牲者が所持していた金品を漁っていた、三十過ぎの女が尋ねた。
「どうしたの? 車の音がしたけど?」
「誰かがこっちに歩いて来てたが、俺に気付くと逃げた」
 マーカスの答えに、女はふーん、と言って再び鞄の中身を仕分けし始めた。
(ヴィクトーだ)
 マーカスはナイフを地面に投げ捨て、死んだ男の身ぐるみを剥ぎ始めた。もう少し血で汚れない様に殺すべきだった、と思いつつ、さっき走って行ったのはヴィクトーだ、と妙に落ち着いて考えていた。しかし、すぐに顔に笑みが浮かんできた。
(やっぱり生きてた)
 六年前の事件の元凶のエドガーを、殺したくて仕方が無かった。しかし、命からがら逃げ出してなんとか合流した別のラザフォードの一派は…それはマーカスが幼い頃属していた一派だったが、兄ネスターが率いていた一派よりもずっと伝統や規律に厳しかった。マーカスが新しい、そして以前の仲間に事件の全容を話すと、兄の家族は全員裏切り者と見做された。ヴィクトーを含めて。
「フン、ある時一家揃って居なくなったと思ったら、ネスターの根性はとことん腐っとったらしい」
 そう頭領のカール伯父は言った。マーカスは、ある日の夕方突然兄に叩き起こされたと思ったら、ネスターとヴィクトーと三人で着の身着のまま逃げ出すかの様にして別の一派に移った事を思い出した。
 マーカス自身は、ヴィクトーが生き延びている事は、さっき姿を見るまで確信もしていなかったし、別にヴィクトーの事を恨んではいなかった。しかし、マーカスが逃げ込んだ一派では、毎晩歌を歌い、自分達自身に魔法をかけあう事で、絆…そう呼べる程美しい繋がりではないが…を強めあっていた。何時の間にか、マーカスもヴィクトーに殺意を抱くようになっていた。
(殺してやる)
 乱暴に死体を扱いながら、マーカスはクックッと笑った。仲間の誰もマーカスの異常な表情に気を止めなかった。此処に居る全員が、常に同様の破壊衝動に苛まれていたからだった。
 マーカスは楽しげに歌い出した。

六年前、再び奴隷が
我等一族を追いやった
追いやったのは、黒い奴隷と
ビックリ人間の、集団だ
裏切り者は死んだが
ヴィクトーとエドガーはまだ生きている
裏切り者を、地獄へ落とせ
我等が国を、奪い返せ

『創呪擦罪 骨肉相噛』がアマプラで聴ける事ご存知でした?
私は知りませんでした。