Cosmos and Chaos
Eyecatch

第48章:殺意

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  • 4399字

「………」
 ヴィクトーはトラックのドアにもたれかかり、再び閉口していた。すぐ隣の樹の下では、アレックスがしゃがみ込んでぐったりしている。
「なんでお前そんなに車に酔いやすいんだよ! まだ平坦な道しか走ってないだろ!」
 と怒鳴ってやろうかと思ったが怒鳴った所で体質が変わる訳ではないのでヴィクトーはなんとか文句を体内へ押し戻した。しかし、やはり国に置いて来るべきだったと激しく後悔した。
「…とりあえず飯にするー?」
 まだ昼食には早いが、アレックスが元気になるまで暇だったので、ヴィクトーは運転席の下に隠していたピストルを取り出して、一狩りしようかと考えた。
 ヴィクトーが拳銃を手にしているのを見て、アレックスがビクンと肩を震わせる。
「あ…先輩…?」
「どうせ誰も見ちゃいねーよ」
 アレックスもヴィクトーも拳銃の所持免許は持っていない。しかし、どうせ国の外では免許制度そのものが意味をなさない。家族の誰も免許を持っていないアレックスにはどうしようもなかったが、ヴィクトーはエリオットを通じてピストルやライフルの類を準備する事が出来たのである。
 六年半ぶりの銃の感覚に、ヴィクトーは少し興奮しながら森の奥へと進んだ。兎か何かが棲んでいればいいのだが。食料は沢山持ってきているが、出来るだけその日に調達するのが、長期間森の中で暮らすにはベストな策である。
 ヴィクトーが森の奥に気配を感じた。大きい。鹿か何かだろうか。ヴィクトーはそっとしゃがんで藪に姿を隠すと、耳を澄ませて音の主を探った。その音は徐々に大きくなって来る。
 ヴィクトーは突如立ち上がり、アレックスの元まで走るとまだ青い顔をしているアレックスをトラックに押し込んだ。
「なっ何々!?」
「やべえ! 逃げるぞ!」
 ヴィクトーは運転席側の窓を開けつつ車を急発進させた。右手にはピストルを握ったまま左手で大きくハンドルを切り、方向転換して加速する。しかし、道が狭い上に大きなトラックなので上手く行かず、サイドミラーが周りの木々と擦れた。アレックスは今にも吐きそうだったが、なんとか堪えて窓の外を見る。何かが居る様には見えなかった。
(頼む…)
 ヴィクトーは泣きそうになりながら車を加速させていた。
(頼むからラザフォードじゃありませんように…)
 森の奥から近付いて来たのは、確かに人影だった。一人だけの様に見えたが、すなわちそれは、単独行動が出来る程度に森に慣れている人間という事だ。フェリックス・テイラーの可能性もあったが、髪が長かったのでその可能性はすぐに否定された。そうすると、この近辺に蔓延る賊であると考えるのが一番妥当であった。
 勿論、ラザフォード一族以外の盗賊も居ない事は無い。彼等もまた危険である事には変わりないが、魔法を得意とするラザフォードに比べればずっと恐ろしくない敵である。
 ヴィクトーは大分離れた所で漸く減速し始めた。車が完全に止まるのを待たずに、アレックスは車から飛び降りて道の脇で吐いた。彼を気にする余裕さえ、ヴィクトーの心には無かった。
 ヴィクトーは殺意の恐ろしさを身をもって知っていた。容赦無く向けられる銃口の先から、見えない刃で斬られている様な恐怖。先程の人物がラザフォードなら、歌の内容とは多少食い違うものの、その場で自分は殺されるに違いない。エドガーは、その後自分達でゆっくり探せばいいのだから。
 アレックスはそのままトラックの後ろに行き、口をゆすぐ為に水を探し始めた。ヴィクトーはその頃になって漸くハンドルと拳銃から手を放す事が出来た。変に硬直して小刻みに震えている手を見詰めて、発狂しそうになる精神をなんとか地上に繋ぎ止めていた。
 ラザフォードの歌には、死の恐怖を和らげる効果は無いらしい。

 マーカスは走って行った人物を追い駆けようとはしなかった。なんせ、右手にはナイフを、左手には今し方襲って殺したばかりの人間の死体を掴んでいたからだ。
「マーカス?」
 後ろで犠牲者が所持していた金品を漁っていた、三十過ぎの女が尋ねた。
「どうしたの? 車の音がしたけど?」
「誰かがこっちに歩いて来てたが、俺に気付くと逃げた」
 マーカスの答えに、女はふーん、と言って再び鞄の中身を仕分けし始めた。
(ヴィクトーだ)
 マーカスはナイフを地面に投げ捨て、死んだ男の身ぐるみを剥ぎ始めた。もう少し血で汚れない様に殺すべきだった、と思いつつ、さっき走って行ったのはヴィクトーだ、と妙に落ち着いて考えていた。しかし、すぐに顔に笑みが浮かんできた。
(やっぱり生きてた)
 六年前の事件の元凶のエドガーを、殺したくて仕方が無かった。しかし、命からがら逃げ出してなんとか合流した別のラザフォードの一派は、兄ネスターが率いていた一派よりもずっと伝統や規律に厳しかった。俺が新しい仲間に事件の全容を話すと、兄の家族は全員裏切り者と見做された。ヴィクトーを含めて。
 マーカス自身は、ヴィクトーが生き延びている事は、さっき姿を見るまで確信もしていなかったし、別にヴィクトーの事を恨んではいなかった。しかし、マーカスが逃げ込んだ一派では、毎晩歌を歌い、自分達自身に魔法をかけあう事で、絆…そう呼べる程美しい繋がりではないが…を強めあっていた。何時の間にか、マーカスもヴィクトーに殺意を抱くようになっていた。
(殺してやる)
 乱暴に死体を扱いながら、マーカスはクックッと笑った。仲間の誰もマーカスの異常な表情に気を止めなかった。此処に居る全員が、常に同様の破壊衝動に苛まれていたからだった。
 マーカスは楽しげに歌い出した。

六年前、再び奴隷が
我等一族を追いやった
追いやったのは、黒い奴隷と
ビックリ人間の、集団だ
裏切り者は死んだが
ヴィクトーとエドガーはまだ生きている
裏切り者を、地獄へ落とせ
我等が国を、奪い返せ

 エリオットは今日は早番だったので、昼過ぎには自宅へと帰った。
 ヴィクトーが家を出て行って、今は部屋が急に広くなった様に感じられた。家事は昔からヴィクトーと分担してやっていたが、最近はなかなかする気力が起きず、脱衣所には洗濯物が溜まってきていた。
「もしもし」
 エリオットは昼食も食べずに、服だけ着替えると電話を掛けた。
「今から家来れる?」
 数十分後、エリオットと同い年くらいの女性がエリオットの家のチャイムを鳴らした。エリオットは彼女を家に招き入れると、一緒に昼食を作り始めた。
「ヴィクトー君が居なくなって寂しいの?」
 出来上がった料理を食べていると、ふと、女性が尋ねた。図星を突かれてエリオットはどぎまぎする。彼女とはもう十年近い付き合いだが、これまで何度彼女の的確な指摘に舌を巻いたか解らない位だった。
「うーん、まあ、そう…」
「でも貴方も子離れしなくちゃね。ヴィクトー君ももう大人なんだし、いつまでも一緒には居られないわ」
 エリオットは無駄にスープをかき混ぜながら、どう切り出したものか考えた。
「えーと、あのさ、ヴィクトーの奴、お前に遠慮してさっさと家を出て行ったっぽくて…」
 女性は食べる手を止めてエリオットを見た。彼女の視線にエリオットが縮こまる。
 エリオットと彼女が婚約したのは、エリオットがヴィクトーを引き取る少し前の事だった。エリオットがヴィクトーを引き取る際に、両親に反対されて縁を切られたのと同様に、彼女も大きな子持ちとの結婚を反対されて、婚約は事実上凍結されてしまっていた。
「言っておくけど、私は全然気にして無いのよ?」
 彼女はヴィクトーとも何回か顔を合わせた事があった。確かに、この歳にしては大き過ぎる子供だが、逆に手がかからないので彼女自身としては結婚や同居に関して文句は無かったのだ。ただ、彼女の両親も、彼女が結婚するなら勘当すると言ってきた。彼女は新しい家族とこれまでの家族を天秤にかけた結果、エリオットを諦めざるを得なかったのだ。
「貴方はどうなの?」
 女性の口調が厳しくなった。
「ヴィクトー君が気にしてたから、私と結婚するの? それとも、それとは関係無く、今でも結婚したいの?」
 エリオットはその質問に答える事が出来なかった。無論、結婚したい動機は彼女を今でも愛しているからであったのだが、突如として襲ってきた激しい頭痛に、彼は自分の体を支える事すら出来なくなったのだった。
「エリオット!?」
 女性が床に崩れ落ちて呻くエリオットに駆け寄る。女性が何を言っているのか、エリオットには理解出来なかったが、彼女がオロオロしているうちに痛みは和らぎ、やがて自力で身を起こす事が出来た。
「大丈夫なの? 救急車を呼びましょう…」
「いや、良い」
 今さっきまで呻いていた人間にしてはやけにはっきりと制止するので、電話まで走って行こうとしていた女性は驚いて立ち止まった。
「…悪いが城まで行かないと」
 状況が飲み込めない女性に留守番を頼み、エリオットは馬を駆って国の中心へと急いだ。城の前の広場では丁度ティムの謝罪の演説が行われていた。これから国は大混乱に陥るぞ、と思いながら、自分は国王への面会を申請する。通常は色々と理由を聞かれたりして面倒なのだが、エリオットは国王直々にヴィクトーの監視を言い渡されていた事もあり、ヴィクトー関連の事で面会したいと言うとほぼ無審査で国王に面会する事が出来た。
「やあやあ。どうしたのかな? 計画の事かい?」
「違います陛下。しかし、重要な事です」
 エリオットはまだ出来ていなかった覚悟をする為に、たっぷり二秒を使った。そして息を吸うと、自分の大切な物を一つ、失う為の…もしかしたら失わない為の…報告をした。
「どうやらヴィクトーが私に魔法を掛けていたようです。そしてついさっきそれが解けました」
「ふーん、やっぱり、フェリックス・テイラーが迷子になったのはヴィクトーの所為かな?」
 国王は顎に生やした髭を撫でながら少し考えて、エリオットにこう命令した。
「議会と軍があんまり言う事聞かないから、民主化するとなったら私とか大臣が集めた市民革命軍と大衝突しそうなんだよねー。フィッツジェラルド君には革命軍の指揮をお願いしたかったけど、しょうがないね。一人で行ける?」
 すなわち、ヴィクトーを単独で追い駆けろ、という事だった。追い駆けてヴィクトーを止めるチャンスをくれた事に、エリオットは深く感謝した。
「ありがとうございます!」
 エリオットは丁重にその場を辞すと、旅の準備をしてから家へと戻った。
 自分にかかった魔法は解けた。しかし、ヴィクトーはアレックスを連れて行った。アレックスに魔法をかけ、そのアレックスが誰かを、エドガーを殺す様な事があれば…エドガーに向けられた刃はエドガーと共にヴィクトーを斬り裂く事になる。
(どうか間に合ってくれ…)
 ヴィクトーの命を再び拾う為には、そうなるよりも早くヴィクトーを国に連れ戻すしか無かった。