第48章:大切な人

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「この調子で行けば遅くとも明後日にはエドガーに会えるぜ。楽しみだな!」
 マーカスは助手席のヴィクトーに言った。車に酔うアレックスは、マーカスの馬で後ろから追って来ている。その為、車で休み無しに飛ばせば明日の朝にはマイルズに着くべき所だが、もっと時間がかかる計算だ。しかしマーカスは、例のサーカス団が一日二日でマイルズを出国するとは予想していなかった。マイルズ程の大国に、食料補給に立ち寄るだけ、と言うのは考えにくい。公演をするなら数週間から数ヶ月は滞在する筈だし、ゆっくり行こうじゃないかとマーカスは機嫌が良かった。
「そうだな」
 ヴィクトーが気の無い返事をする。マーカスは甥の横顔を横目に見て、溜息を吐く。魔法はしっかりかかっている筈だが、勿論、判断力を鈍らせる魔法であってその人間の持つ良心ごと上書きする事は出来ない。これからやる事に対してヴィクトーが乗り気ではないのは、訊かなくても判った。
「ウィリアムズで平和ボケしたのか? それとも人殺しが怖いのか? エドガーの所為で皆死んだんだぞ」
 ヴィクトーは最後の一文には同意して頷いたが、マーカスの問いには答えなかった。
「俺はお前がエドガーを殺してくれたら、仲間にお前の命乞いをしても良いと思ってる。それか、二人で逃げて別の所で盗みをやるのも良いな」
 ヴィクトーは尚も無反応に見えたが、一拍置いて口を開く。
「別に良いよ、俺も死ぬから」
 その言葉にマーカスは少なからずショックを受け、思わずヴィクトーを振り返ったが、彼の目は相変わらず虚ろに前方を眺めていた。歌の魔力による精神疲労の結果だと結論付け、マーカスは首を振って運転に集中した。
(馬鹿なマーカス…)
 虚ろな瞳に光が宿らない様に注意しながら、ヴィクトーは内心思った。演技が上手いのはエドガーだけではないのだ。
(誰が俺だけで死ぬって言ったよ?)
 彼は昨晩、マーカスの魔法に気が狂いかけて気絶した後、実はすぐに意識を取り戻していた。
 そして、自分にかかっていたマーカスの魔法が解けている事にも。
(元々狂人にこの魔法は効きづらいとは知っていたが…途中で気が狂っても解ける場合があるのか)
 とにもかくにも気絶した振りをしたまま、一晩中作戦を考えていたのだ。
 その頃トラックの後方では、アレックスが緊張した面持ちで暗号文の書かれたメモを握っていた。アレックスの学校内で授業用に使われている暗号だ。書いたのはヴィクトーである。
 アレックスは何度目かにそのメモをポケットから取り出すと、目に焼き付ける様に繰り返し確認して、再び丁寧に服に仕舞った。
 ではヴィクトーの作戦とはどういったものなのだろうか。それを知る為に、数時間前に場面を戻そう。

 ヴィクトーはマーカスに抱き着いて号泣した後、二つ三つ彼と世間話を…内容は最近襲った獲物が持っていた高級品の話等だが…していた。
「そういえば、なんで単独行動を?」
 ふとヴィクトーがマーカスに問うた。
「今は一族じゃない盗賊グループに居るのか?」
「いや、カール大伯父の所だ」
「じゃあ集団行動がルールだろ」
 責める様な口調のヴィクトーに、マーカスは胸を張り、勿体振った口調で言う。
「それはだな、俺が特別任務を負っているからだ」
 まるで親にお遣いを言い付けられて、ちゃんと出来たから調子に乗っている子供の様だ。
 やっぱりね、とヴィクトーが責めた。
「エドガーと俺に復讐か。言っとくけど俺は親父の考えてた事なんかこれっぽっちも知らないし。親父よかずっとマーカスの側に居たんだから。それに最近俺に魔法かけてたのもマーカスだな?」
「まあそういう事。安心しろ、解ってる。俺個人としてはお前を殺すつもりは無い」
 そしてヴィクトーとマーカスの視線がまともにかちあった。
「お前が大人しく俺の言う事に従っていれば」
「…嫌だと言ったら?」
「歌うまで」
 にっこりと笑ったマーカスが歌い始める前に、ヴィクトーは慌てて言う。
「冗談冗談! どうせ逆らえやしないんだからさ。マーカスは魔法得意だし」
 と、おだてて未だヴィクトーに魔法が有効であるかのように錯覚させる。
「まあな」
 マーカスの自信過剰気味な性格を利用した作戦だった。彼はプライドも高いし、念を押してヴィクトーに魔法をかけ直す等という事は格好悪くてしないだろう。
「ま、元気そうで何よりだ。気絶した時は俺でもちょっとビビったからな。俺は朝飯でも探してくらぁ、まあまだゆっくり寝とけよ」
 すっかり機嫌を良くしたマーカスが充分車から離れ、声が聞こえない距離まで進んだ事を確認すると、ヴィクトーはトラックの幌を閉じて小声でアレックスを呼んだ。マーカスは遠くに見える川に入ろうと、ズボンをめくり上げていたから、暫くは戻って来ないだろう。
 アレックスが不思議そうな顔で見ている前で、ヴィクトーはポケットから手帳とペンを取り出し、暗号で何かを書き始めた。
(マーカスは色んな国の言葉が読めるけど、流石にこれは読めないだろ…)
「なるべく顔を近付けて」
 ヴィクトーは最後にサインをすると、手帳のそのページを破り取ってアレックスに渡した。
「これは後で多分必要になる。あんたの懲役が短くなるかもしれない」
 アレックスが何の事か理解しかねていると、ヴィクトーが彼の肩を掴んで耳元に口を寄せた。
「いっ…」
「わりぃ、そういや俺が撃ったんだったな」
 ヴィクトーはアレックスの肩を離し、その黒い瞳を真っ直ぐ見て言った。
「アレックスには辛い思いばっかさせるな。頼むから受け入れてくれ。そうすりゃ苦しくないから」
 そして彼は歌い出した。エドガーを発見したら、彼ではなくマーカスを殺害するよう指示する内容の歌を。
 基本的に歌の内容は新しく掛けられた方に上書きされる。その時までに歌われた歌が、ヴィクトーのものが最後なら、アレックスはエドガーではなくマーカスを殺害する筈だ。
 アレックスはヴィクトーを信じ、言われた通りに歌を受け入れた。今度は頭痛がしないばかりか、寧ろ心地好い気分になった。内容も、あの気に食わない術者を倒すだけの事だったので、その時はただヴィクトーの作戦に全面協力しようと決めた。人の命を奪うかもしれない。それでも、自分達が生き残る為なら、仕方が無い。
「俺は前にマーカスに魔法を掛けられてる振りをする」
「切れてるの? 魔法」
「どうやらね」
「じゃあ先輩が撃てるじゃない」
 ヴィクトーは唇を噛んだ。
「まあ…ね…。ちょっと察して欲しいかな」
 アレックスは小さく謝ると顔を離した。そういえばさっき、ヴィクトーは彼に縋り付いて号泣していたじゃないか。本当は、彼に凄く懐いていたのだろう。死んでほしくなんかないのだろう。
「その代わり、多分、俺が味方の限りあいつは油断するから。アレックスもまだマーカスに操られてる振りをして、あいつの命令に逆らおうとした時は苦しむ振りをするんだ」
 そこでマーカスの気配を感じた二人は話をやめて互いに遠ざかった。アレックスがメモをポケットに仕舞うのと、魚を捕まえてきたマーカスがトラックの荷台の幌を開いたのは同時だった。
「おお、魚じゃん」
「へへ、好きだろヴィクトー」
 マーカスとヴィクトーが魚を焼くのに熱中し始め、メモに勘付く心配がなくなると、アレックスはトラックの後ろに回ってそっと暗号を読んだ。
 アレックスは読み終えるなり、メモをポケットに突っ込んでトラックの陰から現れ、焚き火の前で手を動かしている二人を睨んだ。
(またなのかよ! 酷いよ先輩…!)
 メモにはこう書かれていた。

 アレキサンダー・テイラーにマーカス・ラザフォードを殺害するよう強制魔法をかけたのは、私ヴィクトー・フィッツジェラルドである。願わくは罪を彼ではなく私に着せて頂きたい。もっとも、私には強制魔法を使った相手が他人を傷付けた場合、自分も同じ傷を負う魔法がラザルス・ウィリアムズ国王によってかけられている為、アレキサンダーがこの手記をウィリアムズか何処かの裁判所に提出する時、私自身もこの世に居ない可能性が高い。それでも、私はアレキサンダーに非が無い事を伝える為にこれを記す。
一一六四年九月六日 ヴィクトー・レナード・ラザフォード・フィッツジェラルド

(どうすんだこれ…)
 アレックスはマーカスを殺さなければならない。二人の話を聴いた限りでは、マーカスはこれから誰かを殺しに行く所の様だし、下手をすればヴィクトーや自分も殺されかねない。しかし、この文章の内容が本当なら、マーカスを殺せばヴィクトーまで致命傷を負ってしまう。
「…焼けたぞ、アレックス。どうした、眉間の皺が益々深くなってるぞ」
 ヴィクトーがアレックスを呼んだ。
(先輩はいつもいつも人の事ばっかり気にして)
 アレックスは湧き出る怒りに似た感情を何処にぶつけたら良いのか解らないまま、ずんずんと焚き火に近寄って焼けた魚に噛り付いた。
(自分が生きる事を考えたらどうなんだよ!)
 アレックスは誰よりも知っていたのだ。どんなに口が悪くても、自分の目的の為なら何でも利用する奴でも、ヴィクトーが優しい人間だと言う事を。
 初めて声を掛けられた時の事を思い出していた。あの時のヴィクトーは、何かに対して怒っている様な眼をしていながら、顔だけは人当たりが良い様に笑みを浮かべて、アレックスの前の席に座ったのだ。きっと何かを企んでいて自分に近付いた。しかしその後直ぐにティムの計画が始まって、ヴィクトーは自分の計画等どうでも良くなったらしく、アレックスとは普通の仲の良い友達となったのだ。
「ていうか超うめえ! 何この魚ただ焼いただけなのに」
「ふん、ウィリアムズに居る間に料理覚えた」
「そうか! ウィリアムズもたまには良い所だな!」
(…あの時に比べて益々演技力高まってないか? 気の所為か?)
 黙々と魚を食べるヴィクトーの横顔からは何も窺い知れなかった。
 その時、アレックスの目の前に一通の手紙が現れた。

 ヴィクトーは窓の外をぼんやりと眺めていた。迫り来る死が現実味を帯びてきたが、不思議と怖くなかった。
 マーカスの隙を突くなら、エドガーを発見したその瞬間だ。魔法が掛かっている振りをして油断させているとはいえ、マーカスも盗賊としての経験が多い。おそらく、自分達を百パーセント手放しで信用するなんて事は無いだろう。きっといつでも…今でも何処かで警戒している筈だ。直ぐに自分に向かって発砲出来る様に車のダッシュボードに準備されている拳銃がそう物語る。
 一方、どうして自分はエドガーの事を助けてやろうと思ったのだろう。自分の命まで、そしてアレックスに人殺しをさせる事まで天秤にかけた上で。
 今更、マーカスに人殺しをやめてもらいたい訳ではないだろう。それは、エドガーの今の生活を尊重したかったのかもしれない。確かにエドガーが居たが為に自分の人生は目茶苦茶だった。しかし勿論、あの事件を幼いエドガーが企んだ訳ではないし、ヴィクトーも事件以後の生活に愛着を持っていたのだ。
 その事に、彼はティムの計画が本格的に動き出すまで気付けなかった。気付いた頃には遅かったのだ。ティムの計画は随分と進んでいたし(結局失敗してくれて嬉しいやら悲しいやらだが)、その頃には再びラザフォードの魔の手が自分に伸びてきていたのだった。

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