Cosmos and Chaos
Eyecatch

第60章:大切な人

  • G
  • 4069字

「この調子で行けば遅くとも明後日にはエドガーに会えるぜ。楽しみだな!」
 マーカスは助手席のヴィクトーに言った。車に酔うアレックスは、マーカスの馬で後ろから追って来ている。その為、車で休み無しに飛ばせば明日の朝にはマイルズに着くべき所だが、もっと時間がかかる計算だ。しかしマーカスは、サーカス団が一日二日でマイルズを出国するとは予想していなかった。マイルズ程の大国に、食料補給に立ち寄るだけ、と言うのは考えにくい。公演をするなら数週間から数ヶ月は滞在する筈だし、ゆっくり行こうじゃないかとマーカスは機嫌が良かった。
「そうだな」
 ヴィクトーが気の無い返事をする。マーカスは心を閉ざした甥の横顔を横目に見て、溜息を吐く。
「ウィリアムズで平和ボケしたのか? それとも人殺しが怖いのか? エドガーの所為で皆死んだんだぞ」
 ヴィクトーは最後の一文には同意して頷いたが、マーカスの問いには答えなかった。
「俺はお前がエドガーを殺してくれたら、仲間にお前の命乞いをしても良いと思ってる。それか、二人で逃げて別の所で盗みをやるのも良いな」
 ヴィクトーは尚も無反応に見えたが、一拍置いて口を開く。
「別に良いよ、俺も死ぬから」
 その言葉にマーカスは少なからずショックを受け、思わずヴィクトーを振り返ったが、彼の目は相変わらず虚ろに前方を眺めていた。歌の魔力による精神疲労の結果だと結論付け、マーカスは首を振って運転に集中した。
(馬鹿なマーカス…)
 虚ろな瞳に光が宿らない様に注意しながら、ヴィクトーは内心思った。演技が上手いのはエドガーだけではないのだ。
(誰が俺だけで死ぬって言ったよ?)
 彼は眠っている振りをしている間に、ある作戦を考えていた。
 その頃トラックの後方では、アレックスが緊張した面持ちで暗号文の書かれたメモを握っていた。アレックスの学校内で授業用に使われている暗号だ。書いたのはヴィクトーである。
 アレックスは何度目かにそのメモをポケットから取り出すと、目に焼き付ける様に繰り返し確認して、再び丁寧に服に仕舞った。
 ではヴィクトーの作戦とはどういったものなのだろうか。それを知る為に、数時間前に場面を戻そう。

 ヴィクトーはマーカスに抱き着いて号泣した後、二つ三つ彼と世間話を…内容は最近襲った獲物が持っていた高級品の話等だが…していた。
「それで、なんで単独行動を?」
 ふとヴィクトーがマーカスに問うた。
「カール大伯父さんのグループは、基本的に集団行動がルールだろ?」
「それはだな、俺が特別任務を負っているからだ」
 マーカスが胸を張り、勿体振った口調で言う。まるで親にお遣いを言い付けられて、ちゃんと出来たから調子に乗っている子供の様だ。
 やっぱりね、とヴィクトーが責めた。
「エドガーと俺に復讐か。言っとくけど俺は親父の考えてた事なんかこれっぽっちも知らないし。親父よかずっとマーカスの側に居たんだから。それに最近俺に魔法かけてたのもマーカスだな?」
「まあそういう事。安心しろ、解ってる。俺個人としてはお前を殺すつもりは無い」
 そしてヴィクトーとマーカスの視線がまともにかちあった。
「お前が大人しく俺の言う事に従っていれば」
「…嫌だと言ったら?」
「歌うまで」
 そしてマーカスが歌い始めた。ヴィクトーが苦しそうな表情をする。数小節も進まぬ内に、ヴィクトーが苦痛に耐え切れなくなった様に気を失った。
「ありゃりゃ」
 マーカスが再び寄り掛かってきたヴィクトーを支えて肩を竦める。彼はヴィクトーをトラックの荷台に寝かせると、アレックスを振り返った。
「気分悪くして吐くかもしれないから、一応側に付いて見といてやってよ。俺は朝飯でも探してくらぁ」
 マーカスが充分車から離れ、声が聞こえない距離まで進んだと思われた頃、ヴィクトーが目を開けて小声でアレックスに指示した。
「車の近くに奴が居ないか確認して」
 アレックスはトラックの後ろから顔を少し出し、マーカスが二百メートル程離れた所に流れる川に入ろうと、ズボンをめくり上げているのを木々の隙間に確認した。
 その間にヴィクトーはポケットから手帳とペンを取り出し、暗号で何か書いていた。
(マーカスは色んな国の言葉が読めるけど、流石にこれは読めないだろ…)
「なるべく顔を近付けて」
 ヴィクトーは最後にサインをすると、手帳のそのページを破り取ってアレックスに渡した。
「これは後で多分必要になる。あんたの懲役が短くなるかもしれない」
 アレックスが何の事か理解しかねていると、ヴィクトーが彼の肩を掴んで耳元に口を寄せた。
「いっ…」
「わりぃ、そういや俺が撃ったんだったな」
 ヴィクトーはアレックスの肩を離し、その黒い瞳を真っ直ぐ見て言った。
「アレックスには辛い思いばっかさせるな。頼むから受け入れてくれ。そうすりゃ苦しくないから」
 そして彼は歌い出した。エドガーを発見したら、彼ではなくマーカスを殺害するよう指示する内容の歌を。
 基本的に歌の内容は上書きされる。マーカスは自分の魔法に自信を持っているから、以後数日間にアレックスに歌を歌い直す様な事はしないだろう。その時までに歌われた歌が、ヴィクトーのものが最後なら、アレックスはエドガーではなくマーカスを殺害する筈だ。
 アレックスはヴィクトーを信じ、言われた通りに歌を受け入れた。今度は頭痛がしないばかりか、寧ろ心地好い気分になった。内容も、あの気に食わない術者を倒すだけの事だったので、その時はただヴィクトーの作戦に全面協力しようと決めた。
「俺は前にマーカスに魔法を掛けられてるから、自分じゃマーカスを撃てない。撃とうとするとそれが凄くいけない事の様な気がするんだ。解るだろ?」
 アレックスは頷いた。魔法で指示された事と違う事をしようとすると、これまで感じた事が無い背徳感が襲うのだ。それに抗おうとすると、頭痛がして精神的にも体力的にも苦しくなる。
「俺は精神がやられた振りをする。精神が病んだ人間に、この魔法はあまり効かないから、これ以上奴は歌わないだろ。アレックスはマーカスに操られてる振りをして、命令に逆らおうとした時は苦しむ振りをするんだ」
 そこでマーカスの気配を感じたヴィクトーはまた気を失った振りをした。アレックスがメモをポケットに仕舞うのと、マーカスがトラックの荷台の幌を開いたのは同時だった。

 マーカスとヴィクトーが魚を焼くのに熱中し始め、メモに勘付く心配がなくなると、アレックスはトラックの後ろに回ってそっと暗号を読んだ。
 アレックスは読み終えるなり、メモをポケットに突っ込んでトラックの陰から現れ、焚き火の前で手を動かしている二人を睨んだ。
(またなのかよ! 酷いよ先輩…!)
 メモにはこう書かれていた。

 アレキサンダー・テイラーにマーカス・ラザフォードを殺害するよう強制魔法をかけたのは、私ヴィクトー・フィッツジェラルドである。願わくは罪を彼ではなく私に着せて頂きたい。もっとも、私には強制魔法を使った相手が他人を傷付けた場合、自分も同じ傷を負う魔法がラザルス・ウィリアムズ国王によってかけられている為、アレキサンダーがこの手記をウィリアムズか何処かの裁判所に提出する時、私自身もこの世に居ない可能性が高い。それでも、私はアレキサンダーに非が無い事を伝える為にこれを記す。
XXXX年九月六日 ヴィクトー・レナード・ラザフォード・フィッツジェラルド

(どうすんだこれ…)
 アレックスはマーカスを殺さなければならない。二人の話を聴いた限りでは、マーカスはこれから誰かを殺しに行く所の様だし、下手をすればヴィクトーや自分も殺されかねない。しかし、この文章の内容が本当なら、マーカスを殺せばヴィクトーまで致命傷を負ってしまう。
「…焼けたよアレックス」
 ヴィクトーが見事なまでに精神異常者の眼を装いながら、アレックスを呼んだ。
(先輩はいつもいつも人の事ばっかり気にして)
 アレックスは湧き出る怒りに似た感情を何処にぶつけたら良いのか解らないまま、ずんずんと焚き火に近寄って焼けた魚に噛り付いた。
(自分が生きる事を考えたらどうなんだよ!)
 アレックスは誰よりも知っていたのだ。どんなに口が悪くても、自分の目的の為なら何でも利用する奴でも、ヴィクトーが優しい人間だと言う事を。
 初めて声を掛けられた時の事を思い出していた。あの時のヴィクトーは、何かに大して怒っている様な眼をしていながら、顔だけは人当たりが良い様に笑みを浮かべて、アレックスの前の席に座ったのだ。きっと何かを企んでいて自分に近付いた。しかしその後直ぐにティムの計画が始まって、ヴィクトーは自分の計画等どうでも良くなったらしく、アレックスとは普通の仲の良い友達となったのだ。
(あの時に比べて益々演技力高まってないか? 気の所為か?)
 黙々と食べるヴィクトーの横顔からは何も窺い知れなかった。
 その時、アレックスの目の前に一通の手紙が現れた。

 ヴィクトーは窓の外をぼんやりと眺めていた。迫り来る死が現実味を帯びてきたが、不思議と怖くなかった。
 マーカスの隙を突くなら、エドガーを発見したその瞬間だ。アレックスの行動が遅ければ自分がエドを殺してしまうかもしれないが、早ければ弟は無傷で生き延びれる。
 それは、エドガーの今の生活を尊重したかったのかもしれない。確かにエドガーが居たが為に自分の人生は目茶苦茶だった。しかし勿論、あの事件を幼いエドガーが企んだ訳ではないし、ヴィクトーも事件以後の生活に愛着を持っていたのだ。
 その事に、彼はティムの計画が本格的に動き出すまで気付けなかった。気付いた頃には遅かったのだ。ティムの計画は随分と進んでいたし(結局失敗してくれて嬉しいやら悲しいやらだが)、その頃には再びラザフォードの魔の手が自分に伸びてきていた。
 それにしても、何故自分はエドガーを助けてやろうと思ったのだろうか。
 それとも、助けるのが目的ではなく、冥土への旅の友に、より親しいマーカスを選んだだけの事かも知れなかった。