第12章:新たな疑惑

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  • 3758字

 アレックスは肩で息をしながら、冬だというのに顎まで滴ってきた汗を手の甲で拭った。
「どうしたテイラー? もう限界か? 体力ねーなー」
 道の前を走るクラスメイトが、アレックスのバングルを弄びながら言った。横や後ろを取り囲む生徒達も嘲笑する。
 実技の授業の為に外して更衣室に置いていた所を盗まれた。フェリックスがアレックスの十五歳の誕生日にくれた物で、万能薬の材料に使われる薬草がモチーフとして掘られていた。兄が弟の健康を祈ってこの柄にしたのだ。
「五対一でやっと俺を疲れさせる程度の体力で良く言うぜ」
 言い返すと、カッとなった生徒がバングルを別の生徒に投げ渡し、キャッチした生徒がまた走り出す。アレックスがそれを追い、他の生徒達は見て笑う。これを放課後に何十分と繰り返す。そんな日々がこの所続いていた。
(兄貴みたいに魔法が使えたら…)
 追い付いて、押さえ付けて、奪い取る。そんな古典的なやり方でしか相手を倒せない自分が悔しかった。
「これ兄貴に貰ったんだろ? 花柄なんて趣味わりー」
「ほら、こいつの兄貴見た目も変だし、頭も変なんだぜ」
 アレックスはこの言葉にキレてとうとう腰の剣を抜いた。バングルを持つ少年ではなく、フェリックスの頭がおかしいと言った少年に掴み掛かる。兄が妬ましいとは思うものの、完全に敵対していた訳でもない。本当に心から憎み切る事が出来ていたなら、兄が贈ったバングルを肌身離さず着けている筈が無い。
「今何つった?」
 喉元に剣を突き付けられて少年が竦み上がる。
「お前! 学校の外で剣を抜いたら停学になるぞ!」
「ご心配ありがとう。それより自分の心配をしたらどうだ?」
 アレックスの語気が冗談ではなさそうだったので、バングルを持っていた生徒がアレックスに投げて返した。アレックスの怒りは収まっていなかったが、とりあえずそれを拾う為に生徒から手を離した。
 のが間違いだった。
 アレックスは身を屈めた隙に蹴り倒され、背中を踏まれて身動きが取れなくなった。他の生徒も集まって来る。
「女子に一生モテなくしてやる」
 顔に蹴りを入れられる。そう思って腕で顔を庇い、目を閉じた時だった。
「おい」
 その声に全員がビクッとして振り向いた。
「何やってんの?」
 ヴィクトーが道の向こうから歩いて来た。ヴィクトーはその礼儀正しい態度と確かな技術力、そして一部授業への参加を禁止されているミステリアスさで、下級生のみならず同級生や教職員からも敬われ、憧れられていた。
 そのヴィクトーが近付いて来る。咎められるか教師に告げ口されると思ったのか、アレックスを取り囲んでいた生徒達は一瞬の内に散り散りばらばらに逃げて行った。
「大丈夫か? あと、やっぱ学校の外でむやみに剣を抜かない方が良いぜ。黙っといてやるけど、近所の奴が学校に連絡するかもしれねーし」
 ヴィクトーはアレックスを立ち上がらせ、服に着いた土を払った。アレックスはヴィクトーに礼を言うと、剣を戻しバングルを拾って左腕に着け直す。
「良い品物だな。高かっただろそれ」
 ヴィクトーがバングルを見詰めて尋ねる。
「解らない。貰い物だから…」
 アレックスの視線が右に動いた。ヴィクトーもその先を追う。
 フェリックスとブルーナがしっかりと腕を組んで歩いていた。向こうも此方に気付くと立ち止まる。
「アレックス。今帰り?」
 ブルーナは実はアレックスと付き合っていて、自分とは計画の上で彼女を演じているという事を全く知らずに、フェリックスが訊いた。フェリックスはブルーナがアレックスの元カノという認識はあったので、多少後ろめたくはあったが。
「うん」
 アレックスはブルーナと目を合わせないようにした。ブルーナも下を向く。フェリックスは、喧嘩別れした相手に今の恋人と歩いている所を見られたら罰が悪いか、と勝手に解釈して、ブルーナを連れて先に家に帰った。
「…大丈夫か?」
 ヴィクトーが本日二回目の「大丈夫か?」を口にした。アレックスは泣いている顔をヴィクトーや先を行く二人に見られない様に袖で隠す。
 アレックスはもう限界だった。確かにブルーナと付き合ってはいたが、ブルーナはアレックスと一緒に居る時よりも、フェリックスと一緒に居る時の方がずっと楽しそうに笑うのだった。あれは演技だ、と自分に言い聞かせても、アレックスはいつか本当にフェリックスにブルーナを奪い返される気がして気が気でならなかった。
 それだけが気がかりな事では無かった。計画の進行がなかなか上手く進んでいなかった。ブルーナはともかく、学校に通いながら国中のマイノリティを把握したり、説得に当たったりするのは相当に大変な仕事だった。協力者も思うように増えないばかりか、最近はティムが全く姿を現さないので、次にどうすべきかさえ判らずにいた。ヴィクトーもまた同じように疲弊していた。
 ここ数日は、そもそもこの計画自体が無謀なのでは、とまで考える様になった。アレックスやヴィクトーには政治が解らないので、ティムの計画に口を出す事は出来なかったのでこれまで従ってきたが、よくよく考えれば王子も自分達もまだ未成年であるし、計画に協力している人間もまだ二、三十人という様な規模だし、このような状態で国中に散らばる千人近い人口をどうやって穏便に亡命させる事が出来ようか。
「…俺ん家来るか? 飯作ってやるよ」
 ヴィクトーがそう言うので、アレックスは頷いた。ヴィクトーと並んで歩き、ふと、尋ねてみる。
「先輩って初恋いつ?」
 ヴィクトーは少し記憶を遡ってから答えた。
「十歳の時かな」
「詳しく聞いて良い?」
「おう」
 ヴィクトーは少しだけ息を溜め、それから一気に吐き出す様に語った。
「相手はどっかから連れ去られて来た踊り子か何かだった。歳は俺よりちょっと上か。すんげー美人でよ。結局泣いてる顔しか見れなかったけど、一目惚れしたわ。ま、連れ去られて来た次の日には、やらしそうな金持ちのおっさんに買われて行ったけどね」
 その話にアレックスはドキッとして思わず足を止めた。ヴィクトーが振り返り、狼の様な獰猛な笑みを浮かべる。
「置いてくぞ」
 再び歩き出してヴィクトーに追い付いたが、アレックスは何も言わずに考えた。ヴィクトーはそれを面白そうに横目で見ていた。
(今の話は…まるで…)
 まるで、国の外に蔓延る賊の噂そのもの。
 この国は人攫いが頻繁に起きたり、人身売買が行われる様な治安の悪い国では無い。ヴィクトーは移民だから、以前住んでいた国での話だろうか。
 しかし、この喋り方、高価な物を見付けた時の目付き、まるで自分の体の一部であるかの様に武器を操る技術、飛び道具の使用を禁止されている事実…。
(先輩が、まさか、賊…?)
 信じたくなかったが、そう考えると全ての辻褄が合う事にアレックスは気が付いた。
(賊だって…?)
 そしてアレックスは、賊がその昔、この国が迫害して国を追った一族の末裔である事、六年前に大掛かりな作戦で一番大きな一派をこの国の衛兵隊が殲滅させた事を、歴史の授業やニュースで聞いて知っていた。

「もうやめようか」
 ブルーナがフェリックスに連れられ、何度目かに家に遊びに来た時にアレックスがそう切り出した。フェリックスはキッチンまで茶菓子を取りに行っていて、暫くは三階の部屋には戻ってこないだろう。フェリックスの部屋はアレックスの部屋の隣だった。フェリックスが階下に降りて行くのを確認して、アレックスは兄の部屋のドアを叩いた。
 ブルーナはその言葉が何を意味しているのかが解った。まさか計画から抜けようという訳ではないと思ったし、アレックスもまたそれを意図して言った訳ではなかった。
 ブルーナはアレックスの顔すら見ずに頷いた。アレックスも無言でその場を去った。
 またしても兄に取られてしまった。
 元はと言えば、兄とブルーナが想い合っている事を知って、横取りして兄に目に物見せたかっただけだった。しかしいつの頃からか、アレックスは四六時中気に病む程にブルーナの事を好きになっている自分に気が付いたのだ。
 計画とはいえ兄に取り入るブルーナを見るのは、十五歳の少年にはかなりの心理的苦痛だった。自分の為にも、計画の為にも、彼女の事をすっぱり諦めた方が良い。最終的に下した結論はそうだった。
「くそっ」
 ふらふらと玄関から外に出て、練習用の案山子を蹴飛ばす。案山子は少しだけ振動して藁をはらはらと落としたが、案山子が慰めてくれる訳も無いので、アレックスは馬を駆ってヴィクトーの家へと向かった。
 冬休みに入っても、アレックスはしばしばヴィクトーの家に遊びに行っていた。決してブルーナを誘って行きはしなかった。ティムはもう一ヶ月以上も姿を現していなかった。
 ヴィクトーが賊かもしれない。その疑惑は未だ解決していなかったが、兄との溝が深まる一方で、ブルーナとも別れたアレックスにとって、一緒に居てくれる人間はヴィクトーしか居なかった。
 ヴィクトーも行き場を失くして自分を頼ってくるアレックスを拒絶する事無く迎え入れていた。
「まあ、俺達の場合はちょっと特殊だけど、よくある事だって…」
 ブルーナと別れた事を伝えると、ヴィクトーは昼食を作りながらそう言った。アレックスは沈んだ顔で頷いた。

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