第19章:悪夢

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  • 3445字

 ヴィクトーは長い長い道を走っていた。傾いた太陽が道の脇の木々を照らし、長い影が雪の降り積もった道にランダムな縞模様を作っていた。
 後ろから、オレンジ色の髪の女が馬で追い付く。ヴィクトーは思いっきり憎しみを込めてその女を睨んだが、女は少しも臆する事無くこう言った。
「止まりなさい。そうすればあんたは団長[ボス]が助けてくれるわ」
 その言葉にヴィクトーは激昂する。
「助ける? お前等がしている事だろう!」
 オレンジ色の髪の女は、左手が無いので右腕に手綱を通し、右手で風に靡く髪の毛を払うと答えた。
「そうね」
 そして再び右手で手綱を掴み、ヴィクトーを置いて先に行ってしまった。
 ヴィクトーが一族の元に戻った時には、馬車に火が放たれていて、戦いの中心は煙でよく見えなかった。オレンジ色の髪の女が、馬に乗ったまま呆然としていた。ヴィクトーはその女に気付かれない様にそっと近付いて藪の中から様子を窺った。
「ボス!」
 誰か知らないが、煙の中から大きな影が近付いて来ると、女がそいつに向かって怒鳴った。
「どういう事!? 何で殺してるの!?」
「落ち着けレベッカ」
 煙の中から現れたのは、背中に巨大な蝙蝠の羽を生やした男だった。彼は布で口と鼻を覆ってマスクにし、腕に気絶したエドガーを抱えていた。
「ウィリアムズの兵が勝手に火を放った。もう既に随分殺している。このままでは私達の身も危険だ。逃げよう」
 ヴィクトーは潜んでいた茂みから飛び出した。驚いた蝙蝠人間が慌てて引き留めようとするが、両手でエドを抱えていたので無駄に終わった。
 煙の中は銃声と怒号が飛び交っていた。ヴィクトーの頭のすぐ横を銃弾が掠め、一瞬引き返そうかと思ったがヴィクトーは更に歩を進めた。手にはしっかりとドロシーの小刀を握っていた。
(どうして皆歌を歌わないんだ?)
 催眠術をかければどんなに相手が多くても、強くても、問題が無い筈なのに。しかし、直ぐにその答えは見つかった。
 ヴィクトーは何か柔らかい物を踏み付けた。下を向くと、ヴィクトーの父親のネスターが、喉を掻き切られて横たわっていた。その上に被さる様に、父の後妻、つまりエドガーの母親も倒れている。
「っ…!」
 親父! と叫ぼうとしたが声が出なかった。何度息を吸い込んで大声を出そうとしても、無駄だった。馬車と一緒に、声が出なくなる成分を持つ薬草が燃やされていたのだ。
 急激に吐き気を催しながらも、炎を頼りに周囲を見渡す。まだ戦っている一族も居たが、数では兵士に敵わない。次々にウィリアムズの刃や銃弾に倒れていった。
(うわああああああああ!)
 声にならない叫びを上げながら、ヴィクトーは小刀を体の前にしっかりと固定し、近くに居たウィリアムズの兵士の背中に向かって突進した。

「わあああああああああ!」
 エリオットは隣の部屋から聞こえた叫び声に飛び起きた。慌てて飛び起きたが、電灯のスイッチを見付けるのに苦労して、やっと明かりを付けた時にはヴィクトーがキッチンに飛び出して来た。
 ヴィクトーは枕の下にいつも置いていたドロシーの短剣を使って、無意識のうちに自分で縛ったロープを切っていた。ナイフを手の届かない所に置いておけば良かった、等とは思わなかった。彼は完全に錯乱状態にあった。
「ヴィクトー!」
 小刀を手にしたまま暴れ周るヴィクトーに迂闊に近付く事も出来ず、エリオットは必死で彼に呼びかけた。
「ヴィクトー! しっかりしろ!」
 エリオットにはヴィクトーの中で何が起こっているのか知っていた。ヴィクトーは以前にも度々これと同じ状態になった事があった。但し、それは例の事件の心の傷が癒えていない頃で、ヴィクトーもまだ体が小さく、凶器も持っていない時の話だ。今の状況とは訳が違った。
「ヴィクトー!」
 何度呼びかけてもヴィクトーは頭を押さえながら喚き散らすだけであった。エリオットは心を決めてキッチンに突入した。
「ヴィクトー! 聞こえるか!?」
 エリオットはヴィクトーから小刀を奪おうとして、失敗した。小刀がエリオットの腕を掠め、傷口から溢れた血がヴィクトーの頬に飛び散る。しかし、ヴィクトーはそれで目が覚めた様だった。
「あ…?」
 ヴィクトーが暴れるのを止め、その場にへなへなと座り込んだ。エリオットは流しで傷口を洗い、近くにあった皿を拭く為の布巾で止血する。幸い切り傷は浅い様で、血は直ぐに止まった。
「エリオット…」
 ヴィクトーはぼんやりとした顔で養父に尋ねた。
「何だ?」
「痛い?」
 エリオットは血の付いたヴィクトーの顔を拭いてやりながら答えた。
「大した事は無い」
 ヴィクトーは瞼を閉じ、うっすらと涙を浮かべた。遠のく意識の中、エリオットに一つ、頼み事をした。
「両手を縛って」
 エリオットはヴィクトーを寝室に戻すと、言われた通りに彼の両手をベッドに括り付けた。ヴィクトーの青白い寝顔を見詰め、不安な表情をする。
(ラザフォードの歌、か…)
 ヴィクトーを引き取って暫くの間は、今の様な事が毎夜の様にあった時期もある。ヴィクトーは例の事件で心に大きな傷を負っていた。起きていても精神不安定で、直ぐにイライラして物を壊したり、異常なまでに一つの事に執着したり、何度も同じ質問を繰り返したりしていた。
『エリオット、痛い?』
 キッチンに戻り、ヴィクトーが落とした小刀を拾う。水道で着いた血を流し、水気を切ってヴィクトーの部屋の机に置いた。六年前、このナイフが傷付けたのも、エリオットだった。
(今頃になってまたこんな風になるのも、ラザフォードの歌の影響か…?)
 エリオットは、今年に入ってから度々ヴィクトーが頭痛に悩まされている事を知っていた。ヴィクトーから聞いた話で、ラザフォードの歌が持つ力と、それに抗おうとした時の影響等も詳しく知っていた。それらから判断するに、直接ヴィクトーに相談された訳ではないが、ヴィクトーが歌を聞いているのは明らかだ。
(…俺がしっかり[]といてやらねえと)
 エリオットは自分の頬を叩き、気合を入れた。誰かに助けを求めても無駄だと解っていた。ラザフォードの歌は、一旦耳に届いてしまえば対処は不可能と言われる程、複雑な仕組みの魔法だそうだ。城壁から遠く離れれば聞こえなくなるというものでもない。
 ただヴィクトーにしてやれる事は、ヴィクトーが歌に負けて我を失ってしまった時、意図せずに誰かを傷付ける事を阻んでやる事だった。

「おはよう」
 エリオットが目覚めてヴィクトーの様子を見に行くと、彼は既に目覚めていた。
「おはよう。そんでから、成人おめでとう」
「ありがとう」
 手首に巻いたロープを解いてやり、顔を洗って二人で朝食を食べる。ヴィクトーは昨夜とは打って変わって落ち着いた様子だった。
「昨夜の事覚えてるか?」
 エリオットが尋ねると、ヴィクトーは頷いた。
「悪かったな、ナイフ振り回して。自分でも何やってるのか解ってなかった」
「いや、お前の所為じゃない。気にするな」
 それを聞いてヴィクトーがいつものニヤニヤ笑いをする。
「プレゼントくれよ」
 ヴィクトーが思ったより元気そうなのでエリオットはほっとした。自分の部屋へ誕生日プレゼントを取りに戻る。朝食を食べ終わって皿を洗い始めたヴィクトーの背中に、細長いそれを突き立てる真似をした。
「ちょっとした仕返し」
 エリオットが言うとヴィクトーが声を上げて笑った。濡れた手を拭き、重いプレゼントの箱を受け取る。皿洗いの続きはエリオットが引き受けた。
「開けるぞ?」
「どうぞ」
 ヴィクトーがテーブルの上で包みを破ると、中から木の箱が現れた。留め金を外して中身を確認する。
「出すよ?」
「一々確認するなよ。やったんだから、お前のもんだ」

 箱の中には対になった三日月形の刀が入っていた。ヴィクトーは片方の柄を掴むと、鞘から出して明かりに翳す。光を反射して、まるで本物の三日月の様だった。
 散々眺めまわした後、ヴィクトーは丁寧に刀を鞘に戻し、箱に入れて留め金をかけた。箱を自分の部屋の隅に立てかけると、制服に着替える。途中で机の上にドロシーの小刀が置かれている事に気付き、再び枕の下へと押し込んだ。
「行ってくる」
 先に家を出るヴィクトーを、エリオットは温かい目で見送った。ヴィクトーは、何かに感動したり、誰かに感謝すればする程、無口になる子供だった。
(って、もう子供じゃないのか…)
 成長したヴィクトーの後姿に、希望と不安を抱きながら、エリオットも仕事に行く準備を始めた。

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