第30章:国の外

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  • 2613字

 閉ざされた北門の前には、一人の衛兵が立っていた。フェリックスの姿を認めると、門の脇の建物を示す。
 フェリックスは馬から降り、手綱を引きながら建物に近寄った。
『ウィリアムズ国 北門 入出国管理所』
 建物から十数歩の所で、目の悪いフェリックスはようやく窓口の上の看板が読めた。国の端まで来るのは生まれて初めての事だった。
 窓口に歩み寄ると、待ち構えて居た様に管理官が愛想良く口の端を釣り上げた。
「フェリックス・テイラー?」
 暗い銀の髪を肩の少し上で切り揃え、腰の後ろに対になった三日月形の刀を差した、フェリックスとそう歳の変わらない男だった。ヴィクトーだ。
「お待ちしていましたよ」
「以前何度かお見かけしましたね」
 フェリックスはほっとして笑みを零す。
「アレックスと一緒に居た…」
「アレックスは良い後輩ですよ。あんな弟を持てて、お兄さんが羨ましい」
 ヴィクトーは城の周辺地図と方位磁石をフェリックスに渡し、こう言った。
「城を出たら、背中に蝙蝠の翼を生やした男性が率いるサーカス団を頼って下さい」
「どの辺りに行けば良いんですか?」
 フェリックスは不安になった。何故、サーカス団なんだろう? それに、背中に蝙蝠の羽とはどういう事だろう?
「正確な位置は掴めません。彼等はあちこち旅して回っていますから。ですが、彼等と居れば一人旅よりは安全でしょうし、いずれ別の国に入ります」
 フェリックスはなんとなく気に掛かる所があったが、ティムは北門に居る部下の指示に従えと言ったのだ。それ以外に選択肢も残されていないので、フェリックスは了解して馬に跨った。
「お気を付けて」
 衛兵が城門を開けた。外堀を渡る為の橋が下りてくる。フェリックスは衛兵と管理官に礼を言うと、生まれて初めて、国の外の土を踏んだ。

エドガーは俺が殺す
俺の事はお前が殺す
お前は俺の指示に従え
何も考えずに従え

 エリオットが開けた門を閉め始めた。ヴィクトーは管理所には戻らず、その横で様子を眺めていた。ラザフォードの歌を歌いながら。
(フェリックス・テイラーに歌を聞かせる必要は無い)
 エリオットが門を閉め終わると、ヴィクトーは詰所に戻って管理官の定位置に座った。
(あいつは魔法の腕が立つと聞く。歌っている途中に防御魔法等を使われると面倒だ…)
 ヴィクトーはティムの指示に従わなかった。ティムは、フェリックスを北門から少し離れた場所にある、コリンズへ繋がるトンネルに誘導しろと言ったのだ。トンネルの中を馬で行けば、コリンズまでは数時間で到着する。アレックスが準備したのは、万が一、馬の不調等で歩かざるを得なくなった時の為の旅道具だった。
(あいつはトンネルの存在すら知らないんだ)
 ヴィクトーはニヤニヤ顔を隠せなかった。
(方位磁針も壊れてる。数日の内に此処に戻って来る事は無いだろう…)
 ティムと同じ様に、しかしティムとは別の目的の為に、ヴィクトーはフェリックスを利用したのであった。

「………」
 異常にはすぐに気が付いた。
(どうかしたの?)
 額が白い馬が、頭を少し上げて尋ねる。
「うーん、この方位磁石、どうも壊れている気が…」
 全く何の当ても無く、この近辺をうろうろしているであろうサーカス団を探すよりも、自力で隣国コリンズまで行った方が早いと判断したフェリックスは、ずっと地図と磁針と睨めっこをしていた。
(それは残念ね)
 馬はどうでも良さそうに答える。フェリックスは磁針を暫く突いていたが、やがて諦めるとズボンのポケットに仕舞った。
「野生の勘とかでコリンズまで行けたりしない?」
 動物と会話している様子を誰かに見られる心配が無いので、フェリックスは声に出して会話していた。見渡す限り木と藪しかない森の中では、何か喋っていないと心細いのだった。
(しない)
 馬はそう答えて、道沿いに歩き出した。
(道から外れなければ大丈夫よ)
「多分ね」
 しかしその期待は数十分後には裏切られた。
「…道、無くない?」
(無いわね)
 地図を見ながら、木が伐採されてある程度整えられた道を歩いていた筈なのに、何時の間にか二人…いや一人と一頭は、木が鬱蒼と茂る場所に迷い込んでいた。
「城から離れると道が整備されてないみたいだね」
 ちょうどお腹も空いてきたので、フェリックス達は足を休める事にした。馬はそこら辺の草を適当に食み始めたが、フェリックスはトランクを開けて非常食を確認した後、少し考え込んだ。

(食べないの?)
 フェリックスは頷き、トランクを閉める。非常食はどう見ても二日分しか入っていなかった。サーカス団にはいつ会えるか知れないのに、これだけしか入っていないのはおかしい。
「またやられたー」
 フェリックスは額に手を当てて空を仰いだ。今度はティムの仕業ではない気がする。あの管理官が何か企んだのだろう。何となく嫌な感じはしたのだが、まさかこんな事態になるとは思っていなかった。
(どいつもこいつも、一体何が目的なんだよ)
 フェリックスは非常食を食べるのは控え、辺りの木や草を物色し始めた。薬草に精通しているフェリックスである。食べれる植物と食べられない植物を見分けるのはそう難しい事ではなかった。適当に草や木の実を千切り、夕食にする。腹は全然満たされなかったが、全く何も食べないよりはマシである。
「こっから後戻りって出来そう?」
 食事を終えるとフェリックスは馬に尋ねた。馬は目を細めて答える。
(戻るの?)
「その方が良い気がする」
(でも貴方逃げて来たんでしょ?)
「そうだけど、コリンズよりはウィリアムズの方がまだ近いだろ? それに、森のど真ん中で遭難してるより、城に戻って無罪主張した方が有意義」
 渋る馬を説得し、フェリックスは今来た道を逆に辿った。つもりだった。
「………」
 フェリックスは馬に対して苦笑いをして誤魔化すしか無かった。もう陽が暮れかかっているのに、ウィリアムズ国の城壁は一向に見えなかった。
(完全に迷ったわね)
 フェリックスの鼓動が速くなった。国の外で迷った。それが何を意味しているか、フェリックスは良く知っていた。
 国の外は罪人の流刑地だ。その上、その罪人達を取り締まるべき法律も無い。更に悪い事に、フェリックスは丸腰と言っても過言ではない装備しか持たなかった。
「…日が暮れる前に野宿する場所を確保しよう」
 フェリックス達はそれから暫く周囲を歩き回り、小川を見付けると、その近くで夜を明かす事にした。

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