第24章:王子と毒薬

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 八月に入って、ブルーナは時々日傘を差して、季節外れにも長袖の服を着た人物が、度々自宅下の本屋を訪れている事を知っていた。通りに面した自分の部屋の窓から見えるからである。顔こそこの角度からは見えないが、今日も来ているその人物がフェリックスである事は間違い無かった。
(どうせなら上がって来てほしい…)
 彼の姿が見える度にそう思うが、いつもすぐにその考えを改めた。会ってどうするつもりだろう、どうなると言うのだろう。別れたあの日から一度もフェリックスと面と向かって話していない。時々近所の道で見かける事は会ったが、その度にブルーナはさっと路地に隠れ、フェリックスが通り過ぎるのを待っていた。
(やっぱり怖い…)
 ブルーナは窓は開けたまま、薄手のカーテンだけを閉めて通りを見えなくした。ベッドに身を投げ出し、置いてあったぬいぐるみを抱いて顔を埋める。フェリックスに再び会った時に、どんなに酷い恨みの言葉を投げられるか、怖くて仕方がなかった。

 フェリックスは結局今日も、ブルーナの自宅のベルを鳴らす勇気は出なかった。もうすぐ新学期なので、学校が始まるまでには何とかしてヨリを戻したかったが、ティムへ返事をしなければいけない期日が迫っている事もあり、心が宙に浮いたまま何も出来ずにいた。
 店を出て、二階の窓を見上げる。以前家に入った時に、通りに面した部屋がブルーナの部屋だという事を知ったのだが、今日はそのカーテンが閉まっていて、中の様子は全然覗えなかった。フェリックスはズボンのポケットに入れた小瓶を触って確かめると、今日も決心が付かずに自宅へと戻った。
(一か八かなんだよなあ…)
 フェリックスが強行手段に踏み切れないのは、それなりの理由があった。この薬は自分で調合したものだから、効果に自信が無いのだ。効果が無いだけならまだ良い。もし、この花の種から採れる液体の様に猛毒だったら…。
 自分で少し飲んでみて確認するのが手っ取り早いのだが、そうするとちゃんと効果があった場合、どうしようもないナルシストか、最初に見た物へ異常に執着するオタクになりかねないので、それも怖くて出来なかった。
(もしこの薬がちゃんと効いたら…)
 フェリックスは家に向かって歩きながら妄想した。
(ブルーナにティムの事なんか忘れさせてやる)
 フェリックスは、自分が単にティムに嫉妬しているだけだという事に気付いていなかった。
(そして二人でトンズラ…)
 ティムの計画への賛同は勿論ノーと返事をするつもりだが、それをどう伝えたものかと考えていたら、結局手紙一つ書けないまま二ヶ月以上が過ぎていた。それに、ノーと答えた後に、ティムがどういう出方をするのか。相手は一国の王子である。その権力を行使されれば太刀打ち出来ない。
(トンズラ…どこに逃げたら良いんだ?)
 今日は裏口から帰ろうと裏庭の方に回ると、アレックスが汗をだらだらかきながら焚き火をしていた。
「何やってんの? あっつっ」
 フェリックスが煙に噎せながら尋ねると、フェリックスが帰って来た事に気付いていなかったのか、アレックスが少し飛びあがって驚いた。
「部屋の掃除したから要らない物焼いてるだけ」
「ふーん。花壇の花に延焼させたらタダじゃおかないからな」
 フェリックスはそれ以上何も言わずに家に入った。アレックスが直接計画について兄に話をした事は無かったが、フェリックスはアレックスもグルである事を知っていたし、アレックスもその事を知っていたので、休みに入ってからずっとこの調子だった。仲が良く、暇な時は常にと言って良い程一緒に過ごしていた兄弟は、今は必要以上の事を話す事すらしなくなっていた。アレックスがブルーナと付き合って別れた後以上の気まずさだった。
 アレックスは乾燥した空気の所為でよく燃えている炎を見詰めた。燃やしているのは、かつてティムがアレックスに書いた手紙の数々だ。終わった任務の指示はもう必要無いし、中にはティムの妄言めいた無茶苦茶な内容の物もある。計画が大きく動き出そうとしている今、後々見つかって問題になりそうな証拠は出来るだけ消しておきたい。
 だが、アレックスは自ら進んで手紙を処分している訳では無かった。アレックスはズボンのポケットに差していた、まだ燃やしていない手紙を、もう一度読んだ。手紙、とは言うものの、内容はごく手短で、メモの様なものであった。

 今まで私が送った手紙を全て燃やす様に。この手紙も含めて。
 フェリックスの部屋にポイゾナフラーの種子もしくはそれから採った液体があるか確認し、八月三十日に報告せよ。同日午前十一時より午後二時にかけてフィッツジェラルド家で会議を行う。

 相変わらず、差出人は書かれていなかったが、多少急いで書かれて字が崩れているもののティムの字である。アレックスは封筒に便箋を戻し、炎の中に封筒ごと突っ込んだ。あっという間に手紙は灰と化した。
 アレックスは兄の留守中に、「ポイゾナフラーの種子より」とラベルの付いた瓶を、兄の部屋の棚に見付けていた。確認せよ、との事だったので、兄の部屋の物には一切触れず、しっかりとその瓶の様子を脳に焼き付けて部屋を出た。フェリックスが、アレックスが部屋に入った事に気付く筈も無かった。
(ティムは兄貴をどうするつもりなんだろう)
 燃え滓に水をかけて消化し、アレックスも家に入る。手紙の内容に不安を覚えたアレックスは、居間にある百科事典で「ポイゾナフラー」を探した。ポイゾナフラーの種子は有毒である、と書かれていた。
(『有毒である』…)
 アレックスは背筋が凍った。ティムのやろうとしている事の想像が付いた。ティムは本気か?

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