第31章:盗賊

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  • 3729字

(貴方、本当は白かったのね)
 フェリックスが川で水浴びしていると、馬の方から話しかけてきた。ティムの薬は切れかけ、肌も目も元の色に戻りつつあった。髪を染めていた薬品も、頭を洗うと取れてしまった。
(ところでどうして私の言葉が解るの?)
 フェリックスは川から上がり、服を着ながら問いに答えた。
「さあ。気付いたら喋れるようになってて」
(他の動物とも喋れるの?)
「うん。でも、虫とか植物とかとは話せない」
 そう言ってフェリックスはシャツのボタンを留める手を止め、近くの木の幹に触った。何も感じる事が出来ない。植物の声を聞いてみたいと思う事はあったが、基本的には聞こえなくて良かったと思っていた。度々植物を切り刻んだり茹でたりするので、声が聞こえると可哀想で研究が出来ない気がするからだ。しかし、可哀想だから肉が食べられない、という事は無かった。人間の感情は都合の良い物である。
「…名前なんて言うの? 俺はフェリックス」
 フェリックスは振り返って馬に尋ねた。
(特に無いわ)
「俺が勝手に付けて良い? 何か呼び名が無いと喋りづらいし」
(良いわよ)
 フェリックスはシャツのボタンを留め、ズボンのベルトを締めながら雌馬の名前を考えた。馬の顔を見ると、額の白い模様が目に入る。
「リリー」
 思わず口にしていた。
百合[リリー]はどう? おでこの模様が花びら見たい」
(良い名前ね。どうもありがとう)
 フェリックスは模様だけを理由にリリーと名付けた訳ではなかった。リリーとは…自分の愛するブルーナのミドルネームでもあった。
 リリーは近くの草を気ままに食べ、川の水を飲むと寝る体制に入った。フェリックスはお腹は空いていたが、あまり食べる気分になれなかったので、リリーと自分に姿が見えなくなる魔法を掛けると、トランクの中に入っていたマントを敷いて寝床にした。寝心地は悪いが、仰向けになってティムの眼鏡を掛けると、木々の葉の隙間から二つある月の片割れ、蒼月[ブルーナ]が見えた。フェリックスの視界には入っていないが、紅月[クリムーン]も出ているのだろう。夜なのに真っ暗ではなく、やけに明るい。また、あちこちから夜行性の動物達の生活音が聞こえた。フェリックスは街に居た頃、夜がこんなに賑やかな物だとは知らなかった。

 フェリックスはリリーの声で目を覚ました。
(フェリックス!)
 フェリックスは眼鏡を掛けたまま眠ってしまっていた。リリーの緊張した声に身構える。
 殺気が辺りから漂って来ている事に、フェリックス自身もすぐに気が付いた。賊が近くに居る。姿を魔法で隠しているので、まだ居場所をはっきりとは掴まれていない様だが、危険な状況である。
(…ちょっと背中借りるよ。それから、何があっても気配を消しているんだ)
 音を立てない様に、フェリックスはリリーの背中を使って木によじ登る。ティムから貰った剣の柄を無意識に握っていた。数十秒、嫌な程の沈黙が続く。森の動物達は、不穏な空気に逃げ出してしまったようだ。
(何人くらい居る?)
 こういう時は動物の感覚に頼った方が良い、と、長年の経験でフェリックスは知っていた。
(四、五人ってところ)
(やばい負けるかも)
(弱気な事言わないでよ)
(俺が死んだら魔法が解けるから、全速力で走って逃げろよっ…と!)
 フェリックスとリリーが無言の会話をしていると、遂に向こうが仕掛けてきた。フェリックスの足元に何本か矢が刺さる。フェリックスは木の枝を蹴ると、少し離れた地面に受け身を取って着地した。
「そこだ! パレイト!」
 フェリックスより十歩程離れた所に、月明かりに照らされて髪の長い男が立っていた。後ろの髪は肩の辺りまでしか無いが、前の方になるにつれて長さが伸び、前髪は胸の辺りまであった。その毛先は、まるで刃物の様に切り揃えられている。
 フェリックスが防御魔法を掛ける暇も無く、男が放った魔法の閃光がフェリックスを襲った。フェリックスの魔法が切れ、姿が露わになる。
「お、珍し。アルビノじゃん。おめーら、傷付けない様に捕まえろ」
 周囲の茂みから了解の声が上がった。フェリックスは咄嗟に剣を抜き、髪の長い男に斬りかかる。殺さなければ殺される。それが国の外にある唯一のルールだった。
「馬鹿が。死にてーのか?」
 男も腰の太い刀を抜き、フェリックスを迎え撃つ。フェリックスの剣は刀とまともにぶつかり合うと、嫌な音を立てて折れた。
「アレテ!」
 フェリックスはすぐさま剣を捨て、動きを止める魔法を男に向って発しながら、男の剣が届かない位置まで下がる。しかし、男はニヤッと笑ってその魔法を跳ね返し、フェリックスの行動を見守った。フェリックスは目の前に居る男に気を取られて重要な事を忘れていた。
(フェリックス! 後ろ!)
 リリーの叫びに振り向くも、既に賊の仲間はフェリックスの元まで駆けつけていた。一人はハイキックで一瞬動きを止めたものの、フェリックスはすぐに別の仲間に拘束されてしまった。銃を突き付けられながら腕を後ろに回され、その場に座らせられる。
(あー最近アレックスの朝練に付き合ってなかったから体鈍ってるわ…)
 フェリックスは意外にも落ち着いていた。先程髪の長い男が言った事からして、今すぐ殺される心配が無かったからだ。まあ、何日後か、何時間後かは知らないが、いずれは売り飛ばされて殺されるのだろうが、まだ逃げる方法を考える時間はある。
(っていうか、なんでこんな短期間の間に何度も銃を突き付けられないといけないんだよ…)
 フェリックスはティムを恨んだ。
「パレイト」
 髪の長い男がフェリックスに近付きながら、リリーやフェリックスの荷物の姿を見える様にした。フェリックスに蹴られて倒れていた中年の男が、起き上がってリリーの手綱を掴む。
「マーカス、こりゃ良い青馬だぞ」
(もおおおお! 放してよおおおお! 触るなあああああ!)
 男に背中を触られてリリーが憤慨する。フェリックスはマーカスと呼ばれた髪の長い男の顔を見た。白い肌、大きくて切れ長の目、高い鼻、端が釣り上がった口。歳は二十代の半ばくらいか。
(…あの管理官に似てる…?)
 フェリックスはそう思ったが、突然マーカスがしゃがんでフェリックスの顎を掴んだので、不快感にその考えは吹き飛ばされた。マーカスはフェリックスの眼鏡を取って、しげしげと顔を眺める。
「こりゃまた良い顔してるな。食材として売るの持ったいねーくらいだ」
「人肉は食べても不味いらしいですよ」
 フェリックスは固い笑顔を作って言った。食材として売られるよりはまだ男娼として売られた方が良い。
「ふーん、命乞いか」
 マーカスがニヤニヤする。
「いや、本気で俺の手元に置いといても良い位美人だぞ。だが、人間として売るより、不味い肉として売った方が高価なんだよ、お前の体は」
 マーカスは手を振るとフェリックスの手首を魔法の紐で縛った。
「馬車まで連れて行け」
 マーカスの指示に従い、二人の男がフェリックスの両脇を抱えて歩かせる。一人がリリーを引き、最後にマーカスがフェリックスの荷物を魔法で浮かせながら付いて来た。
 その時、バサッという音がして、月明かりが一瞬遮られた。その刹那、リリーを引いていた男が悲鳴を上げて地面にしゃがみ込む。
「あれは!」
 マーカスは肩を矢で射抜かれた男に等見向きもせずに、上空を飛んで行った何かを見詰めていた。
「おめーら! 急いで馬車まで逃げるぞ! この人数じゃやべぇ!」
 マーカスは呻く男とリリーを放置し、先頭に立って馬車まで急いだ。走りながら何か歌を歌い出す。フェリックスは途端に頭痛がして来た。それでも、両脇の男が走るので自分も走らなければいけない。
 フェリックスの頭痛が限界に達しそうな時、突然、フェリックスの左腕を掴んでいた男が倒れた。マーカスが歌うのを止め、振り返る。
「ちっ惜しいが見逃してやるよ」
 マーカスはフェリックスにそう言うと、フェリックスの右に居た男を連れて移動魔法を使った。フェリックスは足を止め、息を整える。とりあえず、助かったようだ。
 ふと、左に倒れている男の姿が目に入った。フェリックスは顔を背け、見なければ良かったと後悔した。男は頭を撃ち抜かれて即死していた。銃声は聞こえなかったので、誰かがサプレッサーを付けて撃ったのだろう。
「あーぶない所だったわね」
 フェリックスが頭痛と死体を見た精神的ショックから来る吐き気と戦っていると、茂みの向こうから誰かが近付いて来る音がした。一人ではない。
「そんな装備で一人旅とは、命知らずも良い所だわ」
 一人は栗色の髪を二つのお団子にし、背中に大きな剣を背負った背の高い女性で、もう一人はオレンジ色の髪の、左腕の肘から先が無い女性だった。彼女はライフルを右手に持っていた。
「あ、助けて頂いてありがとうございます…」
「礼ならボスに言って。普通は助けないのよ」
 オレンジの髪の女性がフェリックスの後方を示した。フェリックスは一瞬自分の目を疑った。
『背中に蝙蝠の翼を生やした男性が率いるサーカス団を頼って下さい』
 怯えるリリーの傍で、背中に大きな黒い羽が生えた男性が、動かなくなった中年の男を見下ろして立っていた。

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