Cosmos and Chaos
Eyecatch

第16章:ラザフォード

  • G
  • 3161字

 ドロシーは湯殿を済ませて部屋に戻ると、恐る恐るベッドに近付いた。布団の中で窓の外の雪を眺めていたティムが振り返る。今日も同じ布団で寝ても問題が起き無さそうな事を確認すると、ドロシーも布団に潜った。この寒い中、ベッドの外で寝ろなどという冷たい事は言えなかった。一応相手は隣国の王子であるし、予備の布団は賊に奪われたり焼かれたりした家庭に配ってしまった。
「もう一つ聞きたい事があるのだけれど」
 ドロシーは蝋燭の光にコインを翳して眺めた。
「さっきの書類にヴィクトーとエリオットって言う人の名前が載ってたわ。住所が同じだったけど、兄弟にしては歳が離れてるし、親子にしては歳が近かったわ」
「それがどうかしたのか?」
「ちょっと気になるだけよ」
 ティムは首を傾げたが、教えてやる事にした。
「ヴィクトーはエリオットの養子だ。数年前に引き取った」
「それって六年前より最近の事かしら?」
 ドロシーはコインを枕の下に戻し、蝋燭の火を消した。ティムは大きなベッドの隅の方で、自分の腕を枕にしていた。
「どうしてそう思う?」
「何となくよ。で、それは当たっているのかしら」
「大した勘だな。正解だ」
 ティムがそう言うとドロシーはティムの方を向いた。
「ヴィクトー・ラザフォードに会った事があるわ」
 ドロシーはうっとりとした顔でそう言った。ラザフォードは確かにヴィクトーの旧姓だ。ティムはどぎまぎしながら「何処で?」と問い返す。
「この国でに決まってるでしょ」
 そう言ってドロシーは、六年前の想い出を語り始めた。

「だからね、君」
 コリンズ国の入出国管理官はイライラして言った。
「何の目的でこの城に入ろうとしてるんだい? え?」
 管理所の窓口でニタニタ笑うまだ年端のいかない少年は、暗い銀色の髪を払って言った。
「だーかーらー、買い物」
「本当に?」
 管理官は疑い深く少年を見詰めた。少年は黒い瞳で管理官を見詰め返した。
「本当に。お使いを頼まれたんだ。ほら」
 少年は袋に入った金貨を見せた。まあまあ、と衛兵が管理官を宥める。
「行商か何かの子供でしょう。見た所武器も持っていないみたいですし、大丈夫ですって」
「うーむ、そうか?」
 管理官は渋々、入国審査の用紙に判を押して少年の門の通行を認めた。
「ありがとう!」
 そう言って駆けて行く少年の背中を見ながら、管理官は溜息を吐いた。
「あのラザフォードで無ければ良いが…」
 管理官が手にする入国手続き用の書類には、ぐにゃぐにゃした汚い字で『Victor Leonard Rutherford[ヴィクトー・レナード・ラザフォード]』と書かれていた。

(上手くいった…)
 ヴィクトーはニヤニヤ笑いながら、小さな国の市場を歩いていた。勿論、買い物をしに来た訳では無かった。
 何でもいいから面白い物、金になりそうな物を盗んで来る…今日初めて両親に盗む事を許可され、また、そうするよう指示されたヴィクトーは、わくわくしながらあちこちの物を品定めしていた。
 ヴィクトーは国と国との間、城壁に囲まれていない自然の中で、盗賊の両親の元に生まれた。ラザフォード一族…悪名高き盗賊の一族は、彼等を生み出したウィリアムズ城だけでなく、近隣諸国にもその魔の手を伸ばし、恐れられる存在だった。
(な・に・を・盗・ろ・う・か・な…ってっ)
 キョロキョロしながら歩いていたので、ヴィクトーは突然横道から飛び出して来た女の子に気付かずにぶつかってしまった。
「ってーな…」
 転んで脚や手に付いた土を払いながら立ち上がると、同じく転んだ少女が帽子の鍔越しにヴィクトーを見上げた。ヴィクトーと同じ位の歳の、綺麗な身形[みなり]をした栗色の髪が豊かな少女だった。
「王女様ー! 何処ですかドロシー王女様ー?」
 何処かから声が聞こえると、少女は慌てて立ち上がり、謝りもせずに再び駆け出した。
(ははーん)
 状況を理解したヴィクトーは少女を追い駆けた。ドロシーは一瞬ちらっと振り返ったが、お目付役の目の届かない所まで行くのが先決だと思ったのか、裾の長いドレスを掴んでひたすら通りを掛け抜けていた。
(俺が盗むのはこいつだ)
 心に決めたヴィクトーは彼女に追い付くと、走る速さを彼女に合わせてこう囁いた。
「俺が逃げるのを手伝えるよ、姫様」
 ドロシーは気が無い風に答えた。
「別に逃げてるんじゃないわ。ちょっと自由に歩き回りたいだけよ」
 ヴィクトーは微笑むと再度誘った。
「あのお目付役が来ない所まで、連れてってあげる」
 それを聞くと漸くドロシーがヴィクトーを見た。彼女は突然足を止めたかと思うと、後ろからお目付役が追って来ていないか確認し、脇の小道へと手招きした。ヴィクトーは思いの外順調に事が進んでいる事に嬉しさを感じながら後を追って路地へ入った。
「それって何処?」
 勝ち気にドロシーが尋ねた。しかし、ヴィクトーはその瞳が期待にきらきら光っている事に気が付いていた。
「あの壁の外だ」
 ヴィクトーが国を囲う城壁を指差した。ドロシーは城壁を見詰め、暫くしてからヴィクトーに尋ねた。
「大丈夫なの?」
「全然平気さ。俺はいつもあの外で暮らしてるんだ」
 乱暴な言葉遣いにならない様に気を付けながらヴィクトーが言ったが、勘の良いドロシーは直ぐに正解へと辿り着いた。
「貴方、盗賊なのね? あの有名なラザフォードかしら?」
「よく知ってるね」
「まあ凄い!」
 ドロシーはいよいよ目を輝かせて言った。と、そこでお目付役の声がまた聞こえて来たので、二人は城門の方に向かって歩き出した。
「それで? 私を誘拐して売り飛ばすんでしょ?」
 ドロシーが楽しそうに言った。普通、自分が身売りされるとなったら、怖がったり嫌がったりするのではないか? ヴィクトーは以前何処かから連れ去られて来て、ずっと泣いていた美少女の事を思い出した。
「怖くないの?」
 ヴィクトーが訊くとドロシーが首を傾げた。
「どうして?」
「売られたら何されるか解らないんだぞ。それに、俺が今すぐあんたを殺して身ぐるみ剥ぐかもしれないとか、思わないわけ?」
 ドロシーはアハハ、と笑ってこう言った。
「お城に居るよりずっとエキサイティングな人生だわ!」

 城門の近くまで来たものの、ヴィクトーは此処で困った事に気が付いた。どうやって入出国管理所を通過するかが問題だ。
「ドロシー」
 道途中で名乗り合った二人は、互いに相手の事は一生忘れない様な気になっていた。ヴィクトーにとってドロシーは初めて盗む品物。ドロシーにとってヴィクトーは人生を面白くしてくれるかもしれない救世主だ。
「何か武器持ってる?」
「丸腰なの?」
 ドロシーが意外そうに訊き返した。ヴィクトーが肩を竦めた。
「入国する時に持ってると没収されたり不自然に思われるから、置いてけって」
 ドロシーは長いスカートをたくし上げると、太腿に隠していた抜身の小刀を取ってヴィクトーに見せた。王家の紋章入りの小刀は、それだけ盗んでも相当価値があるものだった。
「タダじゃあげないわ」
 ドロシーが生意気そうに言うので、ヴィクトーは財布から一枚、何処か知らない外国の通貨を取り出してドロシーにやった。ドロシーは嬉々としてそれを受け取り、小刀をヴィクトーに渡した。
 乗り越えるべき関門は、衛兵一人と管理官一人だ。小国コリンズはそもそも賊に襲われるとは思っていないので、警備は他の国に比べてかなり粗雑である。人口が少なく、あまり多くの人間を兵士として使えないのも原因ではあるが。
「俺がまず衛兵を倒す。管理官が飛び出すなり援軍を呼ぶだろうから、そのごたごたの間にドロシーは国の外に出る。出たら真っ直ぐ道を行くんだ。俺達の馬車がその先に止まってる筈だし、それより前に俺も追い付く」
 ドロシーは力強く頷いた。ヴィクトーは、傾きかけた太陽に照らされ、長い影を作っている城壁に向かって突進した。