Cosmos and Chaos
Eyecatch

第73章:我儘

  • G
  • 4225字

「本当に行くつもりかいブルーナちゃん」
 エリオットは日が暮れる前には帰って来た。心配している様な怒っている様な顔のブルーナに、国の外であった事を洗いざらい話すと、彼女は椅子から立ち上がらんばかりの勢いでこう言った。
「マイルズに連れて行って下さい! 今すぐにとは言いません! 次にエリオットさんが行く時に一緒に連れて行って下さい!」
 大人しそうに見えた彼女が凄い気迫で言うので、エリオットは思わず首を縦に振ってしまった。
 助手席に座ったブルーナは「勿論です」と答えた。時間が遅くなったので、エリオットが車で家まで送ってくれる事になったのだ。
「んーまあ、自分で自分の身を守ってくれるなら俺は良いけど…。とにかく、親御さんとも相談ね」
 エリオットは色々な観点から、出来る事なら彼女を連れて行きたくなかった。第一、城の外、トイレも風呂もキッチンも無い所で丸一日以上かけての移動である。特に訓練も積んでいない、都会育ちの女の子が耐えられるだろうか。
 また、ラザフォードや他の賊の襲撃も心配である。複数人で移動する場合、全員自分の身は自分で守れる、つまりある程度の戦闘スキルがあれば出来るだけ大人数で移動する方が有利だが、彼女の様にサバイバルナイフなんか触るどころか見た事も無さそうな人物が一緒では危険度が増すだけである。
 それに、一番心配なのは、フェリックスが彼女と再会した時に、彼女に何と言うかであった。

 カーテンコールで観客に向かって手を振るエドガーに、ヴィクトーは立ち上がって真っ白な花の花束を贈った。
「お疲れ様」
 兄の言葉にエドガーが満面の笑みで応える。
「ありがとう」
 一先ず、凱旋公演は千秋楽を迎えた。これからサーカスの彼等は次の演目の練習をし、二ヶ月後くらいにまたマイルズで公演をしてから、次の国に向かうそうだ。なんだかんだでまだエドとはゆっくり話せそうである。
 自力で歩ける程には回復したものの、胃の大部分を損傷し、一部摘出したヴィクトーはまだ通常の食事は摂れず、点滴と流動食でなんとか生きるのに必要なエネルギーを得ていた。
「はい部屋へ直行ー」
 ヴィクトーの隣で見ていたフェリックスが、席に戻って来たヴィクトーに言う。
「へーへー。またパジャマでベッドの上生活か…」
 劇場に来るとあって今日の二人はちゃんとスーツを着ていた。久し振りの礼服は苦しいかもしれないと思っていたヴィクトーだったが、怪我の前より大分痩せていたので、以前の感覚で服のサイズを選んだらブカブカに近い感じだった。
「俺仕事に復帰出来んのかなー。体力とか体重とか落ち続ける一方だけど」
「管理官ってどうせ座ってるだけの仕事だろ?」
「平常時はね。何か問題があったら他の兵士と一緒に戦うよ」
 流石に一月もの時間があると、決して仲が良いとは言えなかった彼等でもある程度の世間話は笑ってするようになる。基本的に病室で二人で居るので、会話が続かないと辛いというのも彼等のコミュニケーション能力をかなり後押ししたのだろうが。
「やっぱ病院とホテルのベッドは違うわー。点滴が取れたら俺もこっちに部屋借りようかな」
「ハーキマーさんのお金でか」
「自分も同じ事やってて責められるのか?」
「俺は今病院からの給料で一部は自分で払ってる」
「結局一部だろ全部じゃないだろ」
 病院から劇場まで歩くだけの体力はまだ無かったので、ヴィクトーは今日はホテルに部屋を借りていた。一先ず休んで、明日の午前中に病院に戻るのだ。
「着替えたら点滴しに行くからそれまでにあんたも着替えて…」
 ロビーに入った所で、フェリックスは言いかけた言葉を見失った。彼の視線を追ったヴィクトーも、目を見開く。
「おお、ヴィクトー。元気そうだな」
 ロビーのソファーにエリオットが居た。そしてその隣に…
「フェリックス!」
 真っ白な髪を逆立てる程憤慨している風のブルーナが居た。

「おーブルーナじゃん久し振りー」
「久し振りヴィクトー。思ったより元気そうね」
「そっちもね」
 ブルーナはヴィクトーとの会話は適当にあしらい、立ち上がってつかつかとフェリックスに近寄った。特に非が無いのにフェリックスは今にも逃げ出したい様な顔で彼女が歩み寄って来るのを見ている。
(ま、あいつらの事はほっとこう…)
 ヴィクトーは賢明な判断を下すと、先程までブルーナが座っていた位置に腰を下ろした。
「意外と早かったね。三ヶ月はほっとかれるんじゃないかと思ってた。何か急ぎの用事?」
「うーん、俺は言わない方が良いって言うのに、ローズバッドがな…」
「ローズバッドさんが?」
 ヴィクトーはエリオットの婚約者の名前が出てきて意外そうな顔をする。もう長らく家に呼んでいなかったし、てっきり別れたのだと思っていたのだ。
「その…挙式をだな、今月やるんだが…言ったらお前絶対」
「帰るに決まってんじゃん」
 ヴィクトーがエリオットの言葉の続きを言った。
「エリオットの結婚式を見逃すなんて一生の不覚だし! 何が何でもウィリアムズに帰ってやる!」
「あ、や、でも、お前まだ食事…」
「流動食なら出来る! それにフェリックスに付いて来て貰えば点滴も問題無い!」
 エリオットは頭を抱えた。もうこれは駄目だ。何を言ってもヴィクトーはウィリアムズに戻るつもりである。
「おいこら主治医!」
 ヴィクトーは振り返ると、ブルーナと何やら言い争っている(というか殆どブルーナが喚き立てているだけの気がするが)フェリックスを呼んだ。
「車に乗りながらでも点滴って出来るよな?」
「出来るよ」
 突然呼ばれて咄嗟に答えてしまったが、エリオットの残念そうな視線を受けてフェリックスはまずい事を言ったなと悟った。ヴィクトーが子供の様に目をキラキラさせている。
「じゃあ俺は明日ウィリアムズに帰る! フェリックスも点滴の為に付いて来てくれ」
 今度はフェリックスが頭を抱えた。ヴィクトーに同伴せずに道中問題が起きれば彼の責任になる。なんとかして移動をやめさせる口実は無いかと考えたが、ヴィクトーの回復状態だとウィリアムズへの移動で問題がある点を見出す事が出来なかった。
「じゃあこれでとりあえず一回はウィリアムズに帰って来るわね、貴方も」
 フェリックスの前で、ブルーナが勝ち誇った様に笑っていた。

「あー一日ぶりのお風呂だー先入っていー?」
 フェリックスは部屋に戻っても相変わらず頭を抱えていた。
「っていうか何で俺の部屋に来てるの?」
「旅費が足りないからエリオットさんと二人部屋にしようかと思ってたんだけど、それよりはこっちの方がいいかと思って」
「この部屋シングルベッドなんですけど」
「でもどうせ貴方寝ないんでしょ。ヴィクトーに聞いた。夜中に病院や町中をうろうろしてるって。夢遊病?」
「違う不眠症」
 フェリックスは諦めて黙り込んだ。ブルーナがシャワーを浴びている間、ベッドに座って考える。
(ブルーナの態度が別れる前と同じで逆に怖い…。っていうか、別れたよな俺達? うん、あの俺のキレ方は別れを告げてる同然だろ。その後もずっと話さなかったし…じゃあなんで?)
 バスルームの扉を見詰めながら考えても、解らない。ヴィクトーの言う通り、ブルーナも俺の事を本当に好きだとすれば、話の辻褄は合うが。
 フェリックスは机の上に置かれた、アンジェリークの小説を手に取った。
(…けじめを付けよう)
 いずれにせよ、このまま此処でハーキマーさんを頼って生活していく訳にもいかなかったのだ。
「ブルーナ、俺はヴィクトーの点滴打ちに行って来る。直ぐに戻るから、鍵は俺が持って行くね」
 ブルーナの返事を聞くと、フェリックスは廊下に飛び出て階段を駆け降りた。ヴィクトーに点滴をしてやり、今度は急いで階段を上がる。
《これ返す》
 アンジェリークは彼女の部屋の前で、丁度部屋の鍵を回している所だった。
《もう読んだの? 今回は早いわね》
 フェリックスは首を振る。何も知らない彼女はどうかしたのだろうかと訝しんだ。
《とりあえず中入りなさいよ》
《入らない》
 いつもは拒んでも入って来るフェリックスが今日は扉の前を動こうとしない。アンジェリークはいよいよ心配になったが、此処で一般客が廊下を通りすがったので部屋に顔を引っ込めた。客が居なくなった所で再び言う。
《あたしの身持ちの評判を…》
《あーあー、解った。入るよ…》
 相変わらず散らかった彼女のベッドに腰掛け、フェリックスは覚悟を決めて話し始めた。
《ウィリアムズの恋人が来てるんだ》
 それを聞いたアンジェリークは顔色を変えた。彼女が一番恐れていた事態だった。
《あと、ヴィクトーの都合で一旦ウィリアムズに帰る事になった》
《また戻って来るわよね?》
 思わず口走っていた。しかしフェリックスは肩を竦める。
《それも解らない。帰ったらとりあえず両親と会う事になるし、俺はマイルズでは成年だけどウィリアムズでは未成年だからね、親の意見を伺う必要があるさ…》
 フェリックスはそんな話をしに来た訳ではなかった。覚悟を決めた様な表情のアンジェリークを真っ直ぐに見据え、彼自身も覚悟を決めた。
《やっぱり俺、あいつの事が好きなんだ》
 アンジェリークは表情を変えず、彼の言葉を聞いていた。
《理由なんか無いけど…駄目かなそれじゃ?》
《良いと思うわ》
 アンジェリークが下を向いた。フェリックスには彼女の表情が見えない。
《恋愛に理由が必要だなんて、誰が決めたの?》
《そう…ごめん…》
 フェリックスは立ち上がると、部屋の扉を開けた。
《アンジェリーク…》
 彼は扉の所で振り返って呼びかけたが、彼女は答えなかった。フェリックスは彼女の部屋を後にした。
 アンジェリークが自分を好いている事は気付いていた。だから謝りに来たのだ。酷く辛かった。ブルーナと別れた時と同じ位に。
 自分の部屋に戻ってきた時には、泣き崩れるかと思った。しかし、ちょうど風呂から上がったブルーナを見ると、辛かった感情も消え去ってしまった。
 フェリックスはアンジェリークの事を愛していた。しかし、その愛はブルーナへの愛情ほど強くも重くもなかったのだった。伴侶は一人が原則で二人以上は倫理的に問題とされる世の中では、彼がどれほど二人共を愛していたとしても、どちらか一人が犠牲にならざるを得なかったのだ。
 フェリックスはその後何十年もの間、そう自分に言い聞かせて暮らした。そして二度と、彼がアンジェリークと顔を合わす事は無かった。