第60章:君の事を愛している

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 再び目を覚ますと、辺りは暗くなっていた。ただ、フェリックスが部屋の隅で小さなランプとルーペを頼りに本を読んでいた。
「聞き忘れてたんだけど、今日って何日?」
「九月十日午後七時二十分」
 フェリックスが丁寧に時刻まで教えてくれた。彼は本を置き、円椅子をベッドの横まで持って来る。
「気分は?」
「まあまあなんじゃないの。それよりお前こそどうなんだ」
 元々の色が白い所為か、それともランプの明かりが頼りないだけか。フェリックスの顔の方がよっぽど病人の様に見えた。
「不眠症が再発してるだけだ」
 言って椅子に座り込む。
「此処で寝ずの番をしてくれる訳? 飯は食ったのかよ。つーか俺も腹へ…って俺は食えねえのか」
 ヴィクトーはフェリックスの疲れ様に、心配の情を含めてそう言った。フェリックスは首を振る。
「アレックスに合わす顔が無い」
「何で?」
「見てなかったのか? 俺は…あいつを…」
 殺そうとした。本気で撃とうとした。今でもあの時撃っていれば良かったと思う心がある。しかしギリギリの所で、フェリックスの良心か理性かは知らないが、彼を抑制する力が働き、彼は弟を傷付けなかった。
「アレックスだけじゃない。親にもどんな顔すりゃ良いか…」
「…帰らないつもりなのか?」
 ヴィクトーは彼が叫んでいた事を思い出し、確認する。フェリックスは切れ切れに話した。
「多分…少なくとも学校は辞めるつもり…」
「医者になるのか?」
 フェリックスは頷いた。しかしすぐにまた首を横に振る。
「解らない。少なくとも今持ってる免許じゃ駄目だから、帰ったとしても医術学校に編入するか、エスティーズの国際医師免許を取らないといけない。…ま、でも俳優よりは向いてると思うよ」
 フェリックスは結局の所悩んでいた。正直、将来の夢等を悠長に考えられる心の余裕は今の彼に無い。学校を辞めると言うのも、結局そこに戻って今まで通りの暮らしをする自信が持てないからだ。
「つかマイルズの医療助手試験っていきなり受けて通るレベルなのかよ」
「うん。筆記と面接だけだったけど、なんか目茶苦茶簡単だった。ウィリアムズの基準より大分甘いみたいだ」
 フェリックスの余裕の答えにヴィクトーは口を曲げる。
「でも可笑しいだろ?」
「何が?」
「身内を殺そうとした奴が、他人の命を救う医者だって」
 フェリックスが自身を嘲笑する。
「ハーキマーさんに勧められたのもあるけどさ、なんか、やっとやりたい事というか、やりがいのある事を見付けられた気がする。折角だし国際免許を狙おうかな。ハーキマーさんみたいに国を出る時には姿が変わってるかもしれないけど」
 フェリックスがへらへらと笑った。
「…本当にそれで良いのか?」
 フェリックスはヴィクトーの問いに少し緩まった表情を再び固くした。
「お前さ、ティムやブルーナやアレックスと仲違いしたまんまだろ? そのままエスティーズに行って、その後どうするんだよ?」
「もう良いよあんな奴等…」
 ヴィクトーはフェリックスにそう言われる三人が可哀相に思えたので、彼が知らないと思われる事を教えてやった。
「ブルーナはお前に愛想尽かされて泣いてたぞ」
「何でブルーナが泣くのさ。騙されてたのは俺なのに」
「ブルーナも途中からはマジでお前の事好きだったよ。もっかい会って話してやれ」
 フェリックスは押し黙る。
「ティムもだぜ。あいつはお前を仲間に入れる事を最重要事項と考えてた。お前の事が本当に好きなんだよ。ただそれだけで俺が動いてやろうって思う程度には」
 フェリックスは相変わらず無言である。
「アレックスだってお前の事凄い心配して、こうやって迎えに来たんだろ? 三人とも良い奴だよ。三人三様でお前の事が好きなわけ。それに親御さんに挨拶もしないで行くのか?」
「両親は俺が居なくたってアレックスが居れば十分さ」
 声を震わせながら、フェリックスがやっとの事で言葉を紡ぐ。
「…まあどうしても会いたくないってなら俺には強制出来ねえよ。っつーか俺的にはお前の事は命の恩人としては感謝してるけど基本どうでも良いし。…ああ、あと変な形で巻き込んじまったのは謝罪する」
 ヴィクトーは顔をカーテンが開いたままの窓へ向けた。
「今日は蒼月[ブルーナ]が綺麗だぜ」
 空には青い月が浮かんでいた。
「赤い方はもう沈んじまったのかな?」
 ヴィクトーが振り返ると、フェリックスは読んでいた本を手に、部屋を出て行く所だった。
 入れ違いに入って来たのはエリオットだった。
「調子はどうだ?」
「悪くないよ。痛み止め効いてるし」
 ヴィクトーは少し気になっていた事を訊いた。
「俺、気失ってる時に何か言ってなかった?」
 エリオットは笑って答える。
「俺の事間違えて『お父さん』って呼んだぞ」
「親父の夢見てたんだ」
「あの世から迎えに来たのかもしれないな。危なかった」
 冗談でエリオットが言う。そういえば、ヴィクトーはずっと家族の話題をタブー視してきたから、エリオットと実父の事について話すのも初めてか。
「もっと沢山話せば良かった」
 エリオットとではない。自分の父親と。もっと互いの事を知れば良かった。
 エリオットは先程までフェリックスが座っていた椅子に腰掛けると、ヴィクトーと長話をする体勢に入った。
「…エドガー君とは話したのか?」
 ヴィクトーは頷く。
「まあ、ぼちぼち、仲良く、出来たら」
「口調が子供みたいになってるぞ」
「だってどうしたら良いのかわからねーんだよ!」
 自分で自分の意思を理解出来ない状態がヴィクトーには気持ち悪かった。憎んでいた筈の弟に不思議と愛着が湧くし、叔父をこの手にかけた罪悪感が彼を責める。少し、休んだ方が良いのかもしれない。
「…そういやマーカスの遺体は?」
「ん? とりあえず荼毘にされて共同墓地に埋葬予定だが?」
「俺が帰る時に散骨するから骨はこの部屋に持って来てよ。あの場所に撒くから」
 ヴィクトーは吐き捨てる様に言って目を閉じた。エリオットはそれを承諾する。
「あとあの『ロザリオ』…落ちてたら拾って帰りたい」
 父親や仲間達の遺体はあの場所に放置されたままらしい。金目の物は他の盗賊に奪われてしまって無いだろうし、骨だって野生の動物に食い散らかされていればちゃんと残っているか怪しいが、あの燻し銀の十字架なら、古い物だし残っていないだろうか。父が生涯を通じで信じ通した、名前も知らない神様の象徴。
「『ロザリオ』?」
 聴き慣れない言葉にエリオットが聴き返した。
「親父が祈る時に使ってた十字架なんだけど…あれ、ウィリアムズの宗教じゃないのか」
「ウィリアムズは元々信仰心の薄い国だけど…十字架を信仰する宗教は聴いた事が無いな」
 サーカスの人達なら誰か知っているかもしれない。聴いてきてやろうかとエリオットが言うので、ヴィクトーは依頼すると、そっと部屋を出て行く彼の背中を見送った。

 エリオットはホテルに向かいながらあの日の事を思い出していた。
 上司の指示とはいえ、エリオットは自分を責めずには居られなかった。彼はあの時、たった一人だけだが、人を殺した。
 エリオットは先のトレンズとの戦争で前線に立った経験がある。トレンズの戦艦に大砲を撃ち込んだ。だからこれまでに何人の命を奪ったかは判らない。それでも、エリオットはあの時初めて軍人という職に就いた事を後悔した。
 エリオットが殺した相手、彼は他のラザフォードの男達と同様に髪を伸ばしていた。まだ自分と殆ど年が変わらない様に見えたが、他の者に親方扱いされていて、例のサーカスの団長に自分の息子を引き渡していたから、彼がネスター・ラザフォードである事はすぐに解った。
 下の息子を団長に無事預けた後、ネスターはすぐに振り返って戦いに戻った。彼は盗賊から足を洗いたがっていたけれど、最後までそうする事は出来なかった。それが、長としての役目であり、責務だったのかもしれない。
 彼の傍で、彼を守る様に果敢に剣を振り回している若い女が居た。見た目からしてラザフォードの血を引く人間では無かったが、彼女が自分に向かって斬り付けてきたので、エリオットはやむを得ず彼女に剣を向ける事になった。
「駄目だ!」
 そこに飛び出して来たのがネスターだった。彼女を庇ったネスターはエリオットの刃を受けて地面に倒れる。彼が首にかけていた、燻し銀のネックレスの様な物に剣が引っかかり、細い鎖が切れて何処かへ飛んでいった。
「ネスター!!」
 金髪の美しい女性が伴侶の死に絶叫した。しかしその叫びは、この殲滅作戦を決行したフランクリン大将の放った銃弾によって終止符を打たれた。
 エリオットは二人の遺体から目を背けた。まだ戦闘は続いている。死んだ人間の相手等していられなかったし、何となく…この夫婦にはまだ生きていてもらいたかった気がしたのだ。
 けれど傷心していたのだろうか。怒号と銃声が段々耳から遠ざかって行く。そんな時、右の脇腹に鋭い痛みが走った。あの美しい装飾の施された小刀が、彼の肉を割いたのだった。
(ロザリオって多分あれだよな…)
 自分の人生を捨ててまでヴィクトーを引き取ったのは、ネスターを殺してしまった詫びのつもりもある。しかしエリオットはネスターを殺したのが自分だとヴィクトーに言えないでいた。言えば…ヴィクトーは自分を憎むだろう。ヴィクトーは自分を心から信頼している。裏切りたくなどなかった。
(…でもあれ落ちた所見たの、俺しか居ないだろうしなあ…)
 エリオットは悩んだ。悩んでいる内にホテルの前まで帰ってきていた。
(…ヴィクトーも、いずれはマーカスを殺してしまった事を認めて、受け入れないといけない)
 エリオットは覚悟を決めた。
(俺も認めないとな)

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