第19章:トレンズ

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「ああ、エド。急な話なんだけど一週間程トレンズに行く気ねーか?」
 エドガーは電話越しの兄の言葉に声を荒げた。
「んなー! 心配してたのに何それ!? 入院中は面会謝絶になってるし昨日は電話に出てくれなかったし、やっと連絡あったと思ったら旅行?」
 エドはその日、洋装店の奥で約束通り写真を撮っていた。電話がかかって来たと呼び出されてみたらこれである。怒りたくもなる。
「行く! 行きたい! けどなんでまた急に?」
「まあ詳しい話は後だ」
 心なしか兄の声色が固い気がした。色々あったし、とりあえずは現状を遠くから眺めて落ち着きたいのだろう。トレンズならまずラザフォードの追手の心配も無いし、反対する理由は無い。
「…解ったよ。で、いつから行くの? え?」
 エドガーはまたしても大声を出した。
「今日の午後!? 無茶言わないでよ、はあ? じゃあ夜の便? あんまり変わんないよ…はいはい、もー、しょうがないなあ…」
 エドガーが電話を置くと、撮影室からフェリックスの父が顔を出す。
「おっけ」
 エドガーの声の大きさでは扉を閉めていたって室内まで会話の内容が丸分かりである。
「家族水入らずの旅行、楽しんでおいでよ」
「すみませんバタバタして」
「まあ、事情が事情だからね。またウィリアムズに戻ってくるなら、余分な荷物は預かってあげるよ」
「ありがとうございます。トレンズには行く予定は無かったので、兄が落ち着いたらすぐに戻ってきます」
 数日間の旅行に必要な分だけ荷物をまとめ、昼過ぎにエドガーは貸馬車で南へ向かった。一度フェリックスの病院に立ち寄って一言挨拶し、待ち合わせ場所の港へ。丘を下るにつれて、ウィリアムズの海が広がってくる。アンボワーズにも海はあるが、その向こう側には何も見えない。しかし、この海の水平線には小さく平べったい何かが乗っかっていた。トレンズ島だ。
 丘を下りきって港の方まで歩いて行くと、波止場に憔悴しきった表情の兄が座っていた。
「夜の便は七時発だ。先に飯食おうぜ」
「うん」
 エドガーに気付くとヴィクトーは何事も無かったかのような顔を装って立ち上がる。エドガーは何も訊かずに兄の後を追った。
 適当に近くのレストランで食事を済ませ、船に乗り込む。その前に、出国手続きだ。
 ヴィクトーは入出国管理官に、鞄から取り出した一枚の紙を手渡した。エドガーはその紙に書かれていた、「追放」の文字を見逃さない。
「兄さん!? どういうこ…」
「話は後だ。後ろがつかえてる」
 ヴィクトーはエドガーを黙らせると手早く自分の手続きを済ませる。エドガーの処理が終わるのを待って、二人は案内人に従って船に乗り込んだ。
「俺船乗るの初めてなんだが、お前あるか?」
「実を言うと僕も、こんな大きいのは初めて。どのくらいかかるの?」
 仕事の休みにアンボワーズでできた知人達とミニボートでクルージングした事があるが、エドガーも基本的には水とは縁の薄い生活を送っている。
「二時間くらいらしい」
「酔わないと良いね」
 大きな客船の甲板の一角に陣取ると、冷たい海風に髪を乱されるのも気にせずエドガーは兄を問い詰め始める。
「で、どういう事なの?」
「ご察しの通りだ」
 船が出港する。回転する船体から、もう見る事は無いかもしれないウィリアムズの夜景を見つめる。
 ヴィクトーは正直に自分のした事とこれからの思惑について話した。但し、ルークリシャに魔法をかけた事だけは秘密だ。
「この手の状態じゃ何にも出来ない。でも、ラザフォードはもう何度もウィリアムズを襲撃してる。いつ北門が突破されて国内に入り込まれるか分からないんだ」
 ヴィクトーはエドガーの赤い瞳を真っ直ぐに見つめた。
「頼みがある」
「何?」
「お前がアンボワーズに帰る時か、帰った後でも良い。『ヴィクトー・ラザフォードと連れの小娘はトレンズに逃げた』って吹聴してくれ」
 その情報をラザフォードが耳にすれば、彼等はまず海を渡る方法を考えるだろう。しかし、これは情報提供者のエドガーの身を危険に晒す行為でもある。エドガーは有名人なので居場所が掴みやすいし、海を渡って仇を取るより先にエドガーを始末してしまおうと相手が考える可能性はある。実際、エドガーがこれだけ大々的に活動していてこれまで襲われなかったのは、オズワルドの立ち回りが上手かったのと、アンボワーズという大国の力にラザフォードが手を焼いていたからに過ぎない。
「金は出す。これで腕の良い護衛を雇え」
「それは良いけど…あ、お金も要らない。兄さんの治療に使って……。兄さんはトレンズで手を治したらどうするの?」
「ウィリアムズには帰らないだろうな」
 船はトレンズに向かって加速する。船の明かりに弱く照らされた、足下を流れる海水とその飛沫を見ながら答えた。
「少なくとも大陸の方には戻ってくるよ。とにかく、奴等の注意を俺に向けていたい」
 そうしていればルークリシャが狙われる可能性は低くなる。
「…また会えると信じてるよ?」
「そうか。会わない方が身の為だと思うけど」
 冷えてきたので二人は客室へ移動する。そちらにはウィリアムズではまだ珍しいテレビジョンが設置されており、トレンズ語の番組が流れていた。録画なのかトレンズからの電波を拾っているのか分からないが、内容は雰囲気だけしか解らないものの物珍しさに二人して見入ってしまう。もうすぐ到着だという事を知らせるアナウンスに、漸く二人は我に返った。
「良かった酔わなくて」
「そういえば知ってるか?」
 再び荷物を手に甲板へ出た所、ヴィクトーが尋ねた。
「トレンズは昔、各国の公式な流刑地だったんだと」
「勿論。だから色んな人種の人が居るんでしょ?」
 船はトレンズの港に入る。ヴィクトーはウィリアムズに発行してもらった仮移民手続きの書類を入出国管理官に渡す。エドガーは隣の窓口で観光ビザを発行してもらった。
 波止場から橋を渡ってトレンズの地を踏む。夜なので街灯や船、灯台の明かりだけに照らされた国内を一瞥して言った。
「なんとも、流刑の一族の末裔にはお[あつら]え向きの場所じゃねえか」

 この星には一つの大陸と、一つの大きな島がある。南半球の二割程の面積を占めるのが、そのトレンズ島だ。
 トレンズ島は赤道を跨いでウィリアムズの反対側にあり、その為季節は逆で今は真冬だ。ヴィクトー達が降り立った港はまだ赤道に近い場所にあるので年中温かいが、それでも肌寒い。
「とりあえずは宿探すか」
 二人は街へと、エドガーが貰ってきた観光用の地図を頼りに歩き出す。近隣の住民なのか、仕事や旅行でこの国に立ち寄った者達なのか、すれ違う人々の顔の造りや色は様々だ。
「東の方の顔付きの人も多いねえ」
 エドガーがアンジェリークに似た、目の細い女性とすれ違った時に言った。トレンズ国へはウィリアムズ国(つい最近まで実質鎖国状態)からが最も近く、他の場所からは南極方面を回ってこないと辿り着けない為、他の国との交流は少ない(その為流刑地として使用されていたのだが)。しかし、航海技術の発達している東の島国アイズ国とは盛んに物や人の行き来があるらしく、そちらからの移民も少なくないようだ。
「アルビノも結構居るみたいだな」
 ウィリアムズ国の公式な流刑地はトレンズではなかったので、意外とウィリアムズと同じ人種の人間は少ない。しかし、昔は迫害されていたアルビノが自力でこの島まで逃げてきた事も多かったらしく、アルビノが出現しやすい血筋でもあるようだ。
「…とりあえず今日はもう休もう。宿も斡旋してもらったし、お前も同じ所で良いだろ?」
「え、ああ、うん…」
 まだ寝るには早い時間だが、大荷物を持ったまま観光する理由も無い。何より、ヴィクトーの顔には疲れが滲み出ていた。
(兄さん、此処に来る前何があったんだろ…)
 それは肉体的な疲れではなく精神的な疲れの様に見えた。彼はまだ自分に何か隠しているのではないか。
 適当な宿を見付けだし、ヴィクトーが持っていた紹介状を使って割安で部屋を取る。
「…あの、本物ですよね?」
 部屋まで案内してくれたまだ若い女性従業員が、エドガーを見上げて言った。
「ええ、まあ…」
 エドガーはあまり目立たない方が良いかと思ったが、ヴィクトーは逆に彼の顔を使って大々的に行動したかった。疲れを振り払って愛想良く応える。
「なんだよエド、サインしてやれよ」
「うん? ああ、勿論…何か出来るものあります?」
 エドガーの問いに従業員は慌ててフロントまで戻り、またすぐにメッセージカードとペンを掴んで戻ってきた。
「プライベートのご旅行ですか?」
 明らかにヴィクトーとの関係を気にしながら尋ねる。エドガーがサインしている間、ヴィクトーが応えた。
「俺の仮移民手続きや引っ越しを手伝ってもらうついでにね。俺今手がこんなだし」
「ご兄弟ですか?」
 宿泊時に書いてもらった名簿の名前と年齢から彼女は推測する。
「まあね。色々事情があって生き別れになってたんだけど」
「出来た。こんなのでどう?」
 ペンのキャップを閉めて二枚の色紙と共に少女に渡す。一枚は彼女個人へ、もう一枚はこの旅館にだ。
「ありがとうございます!」
 笑顔で立ち去る彼女を見送り、二人は部屋の中へ。とても綺麗、とは言えないが、年季の入った建物にしては綺麗な部屋だった。
「シャワー浴びる?」
「明日で良いわ。先に寝る」
 そそくさと寝巻きに着替える兄を見て小さく溜息を吐いたが、エドガーは今日の所は何も追及しないでおく事にした。

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