第46章:悲恋物語

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  • 4521字

 フェリックスの身の上話はこれまで食事の時等にせがまれて一通り話し終わっていたので、話は自然と今後についての話題になった。
「フェリックスはこれからどうするの?」
 アンドリューが隣に座る双子達の手札からカードを引き、表を確認すると顔をしかめて自分の手札に入れた。
「…未定…」
 フェリックスもアンドリューと同じ様な顔で答える。ブルーナに会いたいとなると、ウィリアムズへ帰らなければならない。いや、もしかしたらウィリアムズにはもう居ないかもしれない。ティムはアルビノの移民計画を進めていた。となると何処に…?
 フェリックスは世界に自分だけ一人残された気分になったので、この事を考えるのを止めにした。いっそのこと、ブルーナの事も忘れてしまった方が良いのかも…。
「やる事と行く宛てが無いなら劇団[ウチ]に入れよ。人手はいつも足りてないからさっ」
 言ってピエールがアンドリューの手札からカードを取る。同じ柄のカードを自分の手札から抜いて、揃えて場に投げた。
「それって素敵!」「是非そうしてよ」
 双子達が目を輝かせたが、フェリックスは困惑した。オズワルドにも散々同じ事を言われていたが、なんとなく首を縦に触れないでいた。
 このサーカスはあちらこちらの国を回って旅をしているが、と言ってもこの近辺の国だけで、山や谷や砂漠や海の向こうまで遠征する事は滅多に無いらしい。仕事も頼る当ても無く、多くの国ではまだ未成年とされる年齢のフェリックスにとって、オズワルドに後見人になって貰うのが一番手っ取り早く生活手段を得られるし、ウィリアムズに帰る機会を待てる方法ではあった。
 それでもやはり承諾出来なかったのは、自分がこのサーカスに付いて行きたいのかさえ、判らなかったからだった。
「フェリックスの顔なら舞台に立ってるだけでも客が見込めるぜ」
 アンドリューが口笛を吹く。
「まあ、裏方でも大歓迎だけどよ」
 フェリックスの浮かない顔に気付いて、アンドリューが付け加える。ピエールもフェリックスの肩を軽く叩いて尋ねた。
「それともサーカス嫌? 何か夢があるとか?」
「嫌とかそんなんじゃないけど…まあ暫く考えさせて」
 フェリックスが微笑んで答えると、二人は心配そうな表情を引っ込めた。フェリックスは内心より一層焦っていた。
(夢…か…。そういえば俺の夢って何だったっけ?)
 フェリックスはその時、自分にやりたい事が無い事に気が付いた。ただ家に閉じ籠って、暇だったから本を読んで、興味を持ったから勉強して、気付いたらエリートコースを歩んでいたけど、学校を卒業したら何になるつもりだったのだろう? 新学期に貰った進路希望調査の手紙は、家宅捜索の時にも押収されずに、今もフェリックスの部屋の机の上に白紙のまま乗せられていた。
 そんなフェリックスに気付かず、ピエールは彼に手札を裏向きに差し出した。ピエールの手にはもう一枚しか残っていなかった。フェリックスが引けば一抜けだ。
「イェイ」
 空になった両手を挙げて喜ぶ動作をしながらも、彼(女)の目が伏せられ、表情が曇った事にフェリックスが気付かない筈が無かった。彼はピエールの真ん前からその顔を見ていたのだから。
 自分の悩みは棚に上げ、どうしたのだろうと思っていると、アンドリューが冷やかしついでに教えてくれた。
「次の公演はレベッカの凱旋・引退記念公演なんだ」
 そしてマーガレットがフェリックスの手札を抜きながら(彼女達は互いの手札を見ない様にする事が出来ないので二人で手札を共有していたが、たまたまフェリックスの左に彼女達は座っていたのだ)、そっと耳打ちする。
「ピエールはベッキーの事が好きなの!」
 なるほどそういう事か、とフェリックスは納得した。そして少し共感というか同情する。
「解ってるよ!」
 突然ピエールが大声を出したのでフェリックスはびっくりして手札を数枚指から滑らせた。しかし、今のも日常茶飯事らしい。ピエールは役者だから声が大きいのだ。
「姐さんは俺がサーカスに入った時にはハーキュリーズと婚約してた! 今でもそうだよ、ハーキュリーズが死んだからって姐さんは俺には靡かないよ!」
「君が気にしているのは歳の差か身長差か?」
「どっちもだ!」
 ピエールがアンドリューの問いにぶっきらぼうに答えると、隣の部屋からエドガーが「五月蝿い!」と、ピエールに負けない大声で怒鳴った。ピエールが落ち着き無く体を動かしながら、声のトーンを落として続ける。
「でも俺は見てるだけで良いんだ…俺と姐さんが愛し合ってる所は想像出来ないし、したくない。そんなの姐さんじゃない」
 ピエールは自分を宥める様に勝手に喋っていた。アンドリューと双子達は今やゲームそっちのけでピエールにもっと話させようとしていたので、フェリックスは口を挟まず聞き役に徹する事にした。それに、他人の色恋沙汰は総じて興味をそそる物である。
「でも辞めたら、辞めたら年に何回かしか会えなくなる。俺は姐さんに歌を教えて貰えるだけで良いのに…」
 ピエールは感極まった様に言い切った。
「姐さんが辞めるから、その後釜に主人公を[]るなんて、そんなの望んでない!」
「でもわかんないよ」
 アンドリューが二本の指を蟹の鋏の様にかちかちさせながら言った。
「姐さんは結婚するから引退するって言ってたんだ。ハーキュリーズが…残念な事に亡くなった今となっては、引退する理由は無い」
「確かにそうね」「あっもしかしたら引退取りやめ…?」
 双子達がアンドリューが言いたい事を汲み取って続きを引き受けた。
「まあ、そのうち本人か団長から発表があるだろ」
 ピエールがそろそろ本気で泣き出しそうだったので、アンドリューは話を切り上げてヴァイオレットの手札から一枚引いた。
「「上がり!」」
 結局ゲームはフェリックスが負けた。丁度昼食の時間だ。五人は部屋を出て階下の食堂へと向かう。アンドリューは車椅子なので、階段はピエールが彼を担ぎ、フェリックスが車椅子を運んだ。途中でエドガーが追い付いて、無言で手助けしてくれた。エドはいつも眉間に皺を寄せていて、気難しいのかと思いきや、なかなか優しい所もあるらしい。
「おおフェリックス」
 丸いテーブルが並ぶ大食堂には既に団員がちらほらと集まっていた。今日はこのホテルは劇団の貸し切りらしく、他の客の姿は見えない。すっかりフェリックスを気に入った様子のオズワルドが、手招きしてフェリックスを隣に座らせた。反対側の隣に、当然の様にエドガーが、残ったもう一つの椅子に双子の姉妹が腰を下ろす。
「昼食の後は通しで読み稽古をするから、暇なら是非見てくれ」
 フェリックスは何故、彼がこんなに自分の事を気に入ってくれているのか理由が掴めなかった。今の所、数少ない会話の機会で離した内容と言えば、フェリックスの趣味の魔法や薬草についてだけである。実際、オズワルドがフェリックスを傍に置いておきたい理由はその知識故であったのだが、その事を知るのはもう少し先の事である。
 食事が終わると、団員達はホテルの従業員達と共に机や椅子を動かし、全員で円を描く様にして座った。フェリックスや役者でない団員達は、その輪から外れた所で固まって腰を落ち着かせる。
「これあげる」
 読み合わせが始まる前に、ピエールが次の公演のパンフレットを渡してくれた。フェリックスはティムの眼鏡を無くしてしまったので、ポケットからオズワルドに貸してもらったルーペを取り出し、そのパンフレットを見て驚いた。
「サーカスじゃなくて劇なの?」
「あ、言ってなかったっけ? サーカス用の劇場ではそれっぽい事もやるけど、そうだね、基本はミュージカルだよ。団長は文才があるんだ。作曲はレベッカ姐さんで、演出はアンネ姐さん。ただ奇形や欠損を見せびらかすだけじゃ芸術とは言えないしね」
 フェリックスはてっきりこのサーカス団が普通のフリークサーカスだと思っていたので、感心した。なるほど、単なる見世物小屋でなくて劇団だと言うのなら、ホテルでこれ程のもてなしを受けるのもおかしくない。
 フェリックスはパンフレットを開いた。一ページ目は今回の劇の粗筋で、内容はありきたりだが、冒険物で、恋愛物のようだ。そしてその隣には配役。主人公の欄は墨で消されて修正されていた。亡くなったと言う団員か…。
 ページをめくると、レベッカと亡くなった団員の引退の挨拶の言葉が書かれていた。その隣には、ピエールの写真とエドガーの写真、そしてそれぞれの挨拶。引退する二人の代わりに、それぞれが新しい歌姫とヒーローになるのだ。しかし、今回の劇はレベッカの婚約者が亡くなる前に配役が決まっていたので、エドガーは主人公ではなく、ダニエルの息子のマイケルが急遽代役を務める事になっていた。マイケルはまだ十六歳で、身長はフェリックスよりも頭一つ分小さい。正直、舞台の上でヒロイン役のレベッカと並んだ時に、様になるかどうかは疑問が湧く感じの見た目であった。
 フェリックスがそれらの挨拶に目を通し始める前に、読み合わせが始まった。公演が近い為、音響とのタイミング合わせも兼ねて、まずは音楽が流れ始める。人数が少ないので、裏方専門の団員は少なく、今はピエールがスピーカーの音量を調整していた。
「此処は何処かしら?」
 レベッカが良く通るアルトの声で始めた。禍々しい音楽を聞きながらタイミングを計り、続いて甲高く、背筋が凍るような…それでいて美しい悲鳴を上げる。フェリックスは飛び上がったが、皆が平然としている所を見て、今の悲鳴も台本の中の台詞なのだと遅ればせながら認識する。
 次に始まったのは歌だった。オズワルドとエドガーをメインに、男性陣がおどろおどろしい歌を奏でる。その響きにフェリックスは圧倒された。自分も歌えば上手いと言われる方だが、声量と言い、音程と良い、格が違う。職業歌手とはこういうものかとつくづく感心した。
 物語は進み、レベッカとオズワルド、エドガーのやり取りの後、マイケルが話し始めた。フェリックスはおや? と思った。マイケルは今まで話していた三人に比べると、声量も少なく、歌も上手いとは言えない。レベッカの眉間に皺がみるみる増えて行くのが、弱視のフェリックスには見えないものの、雰囲気でなんとなくわかった。
「ストップ!」
 レベッカが痺れを切らして音楽を止めさせた。マイケルが縮み上がって怯える。
「何度教えたら解るの、そこは『ぼーくのーいーとしきひとーよー』」
 レベッカがマイケルに手本を見せる。マイケルは「愛しき人よ」の部分のリズムが何度やっても上手く歌えなかったのだ。マイケルが震える声で同じ箇所を繰り返す。それでも上手くいかず、レベッカはますます機嫌を悪くし、マイケルは今や目に涙を浮かべている。
「まあまあ、あまり怒るな。マイケルは役者じゃないのに、二ヶ月でよく此処までやったよ。本来なら別の劇団から俳優を連れてき…」
 オズワルドがレベッカを宥めて言った自分の言葉にハッとし、フェリックスの方を振り向いた。嫌な予感がする。
「君」
 気付けば立ち上がったオズワルドに肩を叩かれていた。
「歌は歌えるかい?」

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