第42章:吟遊詩人

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  • 3134字

 十年以上前、フェリックスが昼間陽射しが強くて出来ない散歩を、夕暮れ時に独りでしていた時の事だった。
「ちょっと僕、何処の子?」
 擦れ違った婦人にそう声を掛けられた。
「今何時だと思ってるの? 早く家に帰りなさい」
 時々そんな事を言われるフェリックスは、慣れた口調で返す。
「お父さんに『きょか』はもらってます」
「んまっ、なんて親なの。暗くなる前に帰るのよ」
 適当に返事をすると、フェリックスは再び歩き出す。後ろでさっきの婦人が別の誰かと話す声が聞こえた。
「あの子、テイラーさんとこの上の息子よー。いつも夕方から夜にかけてうろついてるの」
「んまっ、あの良家の? そういえば若奥さんはデキ婚だったわねぇ、旦那はろくでもないのかしら」
 そんな会話から逃げる様に、フェリックスは路地へと入った。
(人は)
 家々の屋根の隙間から見える空を眺めながら歩く。青い方の月が丁度真上にあって、薄く欠けた形に空が薄ら笑っている様に見えた。
(どうして生まれて、死んでいくんだろう)
 会った事の無い姉に想いを馳せながら考えていたが、答えが出る筈も無い。家に帰ろうとした時、路地の奥に人影が見えた。やがて弦楽器の音色もフェリックスの耳に届く。
 吟遊詩人だろうかと、フェリックスは好奇心でその人物に近付いた。
 彼は金髪の若者で、旅人風の姿をしていた。路地に置かれた木箱の上に座って楽器を奏でている。足元には楽器のケースと思われる鞄と、その他旅道具。

 男はフェリックスが目の前に立っても、目を閉じたまま、顎と手で支えた弦楽器を右手の弓で奏でているだけだった。その楽器は見た事もない形をしていて、音色もあまり聴いた事のないものだったが、とても美しく、いつの間にかフェリックスは歌い始めていた。自分でも解らない言葉でだ。だが何となく、魔法か何か、少なくともただの歌ではない事は、フェリックスにも見当が付いた。
 フェリックスの声を聞いて漸く、男の緑の双眸がフェリックスを捕らえた。演奏を止め、少し訛った話し方で問う。
「この歌を知っているの?」
 フェリックスはハッとして歌うのを止め、首を横に振った。男が微笑む。
「そう。でも資質があるんだね」
 彼の意味する所が良く解らなかったが、今度はフェリックスが尋ねた。
「あの、どうしてこんな所で弾いてるんですか?」
 曲を奏でて稼ごうと思うのなら、もっと人通りの多い場所で弾くのが普通だ。彼は微笑んだまま、再び楽器を弾き始める。
「今日降り立つ魂に祝福を」
 理解出来なかったフェリックスは再度質問しようとしたが、男がまた話し出したので開きかけた口を閉じた。
「君は『賢者』を知っているかい?」
「賢い人?」
「そうじゃなくて」
「伝説とか物語に出て来る、世の中を変える力を持つ凄い魔法使いの方ですか?」
 彼が演奏の手を止めず笑った。
「そう。魔法使い、とは少し違うかもしれない。時空を渡り歩く、人々が神と呼ぶ事もある存在さ。君はその存在を信じるかい?」
 フェリックスが首を横に振った所、彼は微笑ましそうに語った。とにかく、終始笑っている人物だった。
「この世の全ての事は、『賢者』達によって動かされているんだ」
 彼が突然楽器を弾く手を止めた。すると彼がもたれている民家から、赤ちゃんの泣き声と大人達の歓声が上がった。子供が生まれたのだろう。
「君の疑問に答えるとね、『賢者』がその生を司っているからだよ」
 彼は立ち上がった。どうして自分が考えていた事が解ったのか不思議に思うフェリックスを見下ろし、初めて少しだけ表情に陰りを見せる。
「君が『賢者』になるとしたら、僕と対極の立場に立つ事になりそうだ。引き継ぐ力としては同じ物だけどね」
「え?」
「そうならない事を願うよ。祈りでは運命は変えられないけれど」
 彼は最後にもう一度微笑むと、楽器を仕舞って歩き出した。その後を追いかけるかどうかフェリックスが迷っていると、彼が立ち止まり振り返った。
「そういえば、名前は? 僕は『幸福の賢者』フェリックス」
「あ…俺も、フェリックスです…」
 賢者は面白そうに言った。
「これは奇遇だね。いや、これも運命か」
 フェリックスが呆気に取られて瞬きをすると、目を開けた時既に彼の姿は無かった。

 目を開けると、ランプの明かりが揺れていた。枕元の眼鏡を探り、そう言えば失くしたのだったと気付くと上体を起こして伸びをする。時刻は午前零時前。再び交代の時間だ。
 フェリックスがレベッカと入れ替わりで外へ出ると、アンジェリークはまたも馬車の上に陣取っていた。フェリックスは今度は馬車の上には上らず、彼女に降りて来る様に言う。
「ちょっと」
 フェリックスは馬車の前に吊したランプの所までアンジェリークを引っ張って行った。
「な、なーに?」
 アンジェリークの顔に手を添え、その瞳を見つめる。美しいフェリックスに見つめられてアンジェリークは舞い上がった。
「なな、なんですか…」
「似てる…かな」
 フェリックスはアンジェリークを放した。
「誰にですー?」
 キスでもされるのかと思っていたアンジェリークは、思い違いにがっかりしながら尋ねる。
「さっき言ってた吟遊詩人に。お父さん放浪してたんでしょ? 俺が会った吟遊詩人もフェリックスって名乗ってたんだ、夢で思い出した」
《本当!?》
 今度はアンジェリークがフェリックスの腕を掴んだ。
《あたしの父かもしれない。父は確か金髪だった。眼は緑よあたしと同じ》
《多分そうだと思う》
 実際、吟遊詩人の緑色の目とアンジェリークの目を見比べていたフェリックスはそう答える。
《それって何時の話? 今何処にいるか解る!?》
 アンボワーズ語でまくし立てる。フェリックスは首を横に振った。何かを思い出したのか、唇をきゅっと結び、言うべきか言わないべきか悩んでいる風だったが、やがて口を開く。
《…十年くらい前…残念だけど、亡くなられたと思う》
 アンジェリークのフェリックスを掴む手の力が抜けた。
《…な、ぜ?》
 フェリックスは答えられなかった。
《何でも良いから教えて!》
 アンジェリークが思わず怒鳴ると、フェリックスは重い口を開いた。
《次の日…ラジオで…北門の外で身元不明の…金髪の若い男性が…[ラザフォード]に襲われて死んだって、ニュースが…》
《そう》
 アンジェリークはフェリックスが想像した程驚いていなかった。とっくに死んでかもとは予想はしていた。
《ごめん。今思い出したんだ。俺も子供だったから断片的にしか覚えてなくて》
《ううん。ありがとう話してくれて》
 アンジェリークはフェリックスを放すと、横を向いた。意図せず体と声が震える。
《は…そっか…死んじゃってたか…これで天涯孤独決定だー》
《まだそうと決まっ…》
《あたしが死なせちゃった人にもね、子供がいたの》
 アンジェリークはフェリックスの言葉を遮って吐き出す。
《その子もこんな気持ちだったのかな…》
《…》
 フェリックスはかける言葉が無かった。
 気付いたら腕の中にアンジェリークを抱いていた。
 お願いだから悲観しないで。
 必要以上に自分を責めないで。
 貴女は明るく笑っている姿が一番美しい。

 翌朝八時。今度は今まで揺れていた馬車が止まった感覚がして、フェリックスは目を覚ました。夜が早い代わりに、夜が明けた後早く起きて移動していたのだ。
 窓を開けて外を覗くと、今まで樹しか目に飛び込んで来なかったのに、今朝は灰色の石の壁が見えた。マイルズ国に到着したのだ。
「予定より早く着いたわ」
 窓から首を出しているフェリックスに、御者台から降りて馬車の横に立っていたレベッカが気付いて教えてくれる。
「ボスが入国手続きしてるから、待ってて。見張りの当番は良いわ。どうせすぐホテルに着くから」

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