第57章:勝利者[ヴィクトー]

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 オズワルドは舞台の上から観客席を見渡した。客は上手く団員達が誘導してくれたらしい。ぱっと見で確認出来たのは、入口で争っている二人と、隅の方で何やら言い争っているフェリックスと彼によく似た少年。
 そして、彼等より少し手前で、席に手をかけて立ち上がろうとしている少女だった。逃げ遅れた客かと思い、オズワルドは駆け寄ったが、近付くと見覚えのある顔だった。
「君は…」
 まだふらついているヴィクトーが、頭のリボンを取った。オズワルドを見て口の端を吊り上げる。
「こんな格好だけど俺の趣味じゃ無いからな」
 まだズキズキするこめかみの痛みを堪えながら、彼は右手でコートに隠した三日月の形をした刀を抜いて構える。オズワルドはやむなくリボルバーを彼に向けて警戒する。
「ネスター氏の遺志を思うと君の事を傷付けたくはない。刀を下ろしてくれ」
 しかしその必要は無かったらしい。ヴィクトーは唇に左手の人差し指を当てた後、小声で言った。
「操られてる振りしてるだけ。気絶したのは俺のミス。この後死体が二つ出るから、後片付けよろしく」

「アレックス!?」
 弟の顔を認めると、フェリックスは彼の腕を掴んで起こした。
「何やってんの?」
 そして彼の顔と、彼が握っているリボルバーを見比べる。
「アレックスが撃ったの?」
 アレックスが頭の中を整理している間に、考えなくても答えられる質問がされたので、アレックスは首を縦に振った。
 それを見たフェリックスは、懐から銃を出してアレックスに突き付ける。
「えっ何で?」
「何でじゃないだろ。エドガーを狙ったんじゃないのか?」
「違うよ違う!」
 アレックスは誤解を解こうとしたが、フェリックスは眉を顰めたままである。
「変装までして…他に何があるんだよ」
「話せば長いんだ。信じてくれよ兄貴!」
 アレックスはその時、今まで一度も見た事が無いものを見た。礼儀正しいフェリックスが鼻で笑ったのだ。
「信じろ? よく言うよ、ブルーナやティムと一緒になって俺を騙してた癖に!」
 アレックスは顔面蒼白になって、唇をわなわな震わせた。兄が計画の事について、皆で彼を騙していた事について、既に知っていると承知していた。気まずくてずっとろくに顔も合わせなかった。しかし今、面と向かってその事を責められると、兄に対して抱いていた申し訳なさや後ろめたさといった思いが、更にアレックスを苛んだ。
「兄貴…それは…」
「へぇ、言い訳が出来るんだ?」
 フェリックスが声を荒げ、より一層刺々しい口調になる。こんなに怒りを顕わにする兄を、アレックスは初めて見た。
「大体どうしてまず俺に話してくれないんだ!? ティムと文通してたのは誰だ!? あんたじゃない、俺だろ!?」
 フェリックスがピストルの撃鉄を上げた。アレックスは血の気が引いた唇でなんとか言葉を紡ぎ出す。
「やめてくれ兄貴…」
 撃たれるのが怖くて言った訳ではなかった。ただ、兄に本当の殺人鬼になってほしくなかった。アレックスはまだ兄を尊敬していた。
「ティムは…」
「あんた等なんか大嫌いだ」
 フェリックスはアレックスの言い分等聞かず、引き金に指をかけた。アレックスは兄の、地獄に燃え盛る炎の様な瞳に縛られ、身動きが取れないでいた。
「もう二度とあの国に戻るものか!」
 そして、銃声が一発、殆ど空の劇場に響き渡った。

「「「「!」」」」
 発砲音に場内に居た他の四人が一瞬振り返った。
 アレックスは目をつぶり、兄から顔を背けていたが、その場に二本の脚でしっかりと立っていた。
 そしてフェリックスは…
「…兄貴…」
 涙を流して顔を歪め、アレックスと同じ様に立っていた。目を開けたアレックスは兄の表情にショックを受け、それ以上言葉が出ない。
 フェリックスは腕を真上に高く上げていた。彼の銃に装填出来る二発の弾の内、片方は確かに打ち出されたが、それは劇場の梁に減り込んでいた。
 皆の意識が目の前の戦いから逸れた隙を利用して、大分マーカスに押されていたエリオットが体勢を立て直す為に一度外に逃れた。すぐにマーカスがその後を追う。
「アレックス!」
 ヴィクトーが呼ぶと彼は怯えた顔で振り向いた。フェリックスは静かに腕を下ろし、声も出さず、ただ鬼の様な形相で泣いている。オズワルドはまだ事情を掴み切れないでいたので、暫く様子を見る事にした。
「マーカスを追え!」
 アレックスは一瞬躊躇ったが、ヴィクトーが再度怒鳴ると頷いた。
「ごめん兄貴、話はまた後で!」
 アレックスと共にヴィクトーも駆け出す。残されたオズワルドは、同じく残されたフェリックスを見た。
 フェリックスは黙ったまま、今度はピストルを自らのこめかみに当てた。撃鉄をもう一度上げ、引き金に指をかけた時、オズワルドが言う。
「君一人の命を救う為に、私達は二人も殺めた」
 フェリックスが動きを止める。
「その事をよく考えてから行動しなさい」
 オズワルドは言って踵を返すと、ヴィクトー達を追った。彼は振り向かなかった。
「…畜生!」
 フェリックスはピストルを観客席に投げ付けた。トリガーガードの無い引き金に何かがぶつかったのか、それは暴発したが、幸いにも…或いは不幸にも…フェリックスには当たらなかった。

「次の一発で仕留めろよ。あいつが本気出して歌い始めたら敵わねえ」
 走りながらヴィクトーがアレックスに囁いた。
「それに、俺あんまり苦しみたくないし」
 アレックスは返事をせず、劇場の入口を出た所で立ち止まった。
「頼むぜ」
 ヴィクトーは彼の横を通り過ぎた。
「ありがとう」
 ヴィクトーの言葉に、アレックスは涙を浮かべながら銃を構える。撃つ覚悟が出来た訳ではないが、今や両手にショットガンを持ったマーカスが時折こちらにも弾を放ってくるので、応戦体勢に入らなければならなかったのだ。
 ヴィクトーはそのまま駆けて行き、厩の近くで銃撃戦をしている二人の中に飛び込んだ。走っている勢いも利用して、刀をエリオットの足元に投げる。
「ヴィクトー!」
 自分が彼に贈った刀を投げ付けられ、避ける為に咄嗟に飛びのいたエリオットはバランスを崩した。マーカスが彼を仕留める為に、一時的にアレックスから注意を逸らし、エリオットに向けた銃に専念する。
(頼む! アレックス!)
 ほんの一瞬の時間が過ぎるまで、ヴィクトーは何年も待っている様な錯覚に陥った。アレックスが撃たなければ、エリオットがマーカスの銃弾に倒れるのだ。
 ヴィクトーが大きな賭けに出たのには二つ理由がある。一つはマーカスを油断させる為。もう一つは、実の所魔法で強制的にアレックスに撃たせたくなかったからだ。だから彼が自ら撃たざるを得ない状況を作ったのだった。

 オズワルドが外に出た時、二発の銃声が聞こえた。
 その内の一つは劇場内から聞こえたので、フェリックスがやっぱり自殺したのだろうかと心配になったが、その後嗚咽も耳に届いたのでとりあえず生きているらしい。
 それに、残念ながら、フェリックスに構っていられる状況では無い様だった。
 アレックスがまだ煙が上がっている銃を取り落とした。その場に崩れ落ち、兄と同じ様に嗚咽を漏らす。
 彼が放った弾は、マーカスの腹を貫いていた。マーカスが苦しみと悔しみの声を出しながらその場に倒れる。ヴィクトーはまだその場に立っていた。どうやら直ぐに呪いの効果が現れる訳ではないらしい。
「勝ったぞマーカス」
 マーカスは出血による眩暈に抵抗し、尚も銃を握ろうとするが出来ない。彼を見下ろし、勝ち誇った笑みを浮かべてヴィクトーが宣言した。
(お前は文字を知っていたけど……愛を知らなかったんだ…)
 ヴィクトーは覚悟を決めると、マーカスの髪の毛を掴み、もう一本、先程投げた刀と対になっている刀を抜いて、彼の息の根を止めた。マーカスが死んでも歌えない様に、喉を深く切り裂いて。これがヴィクトーの、最初で最後の殺人だった。
 ヴィクトーは動かなくなった叔父を地面に横たえ、目を伏せさせる。ヴィクトーは慰めの歌を歌った。それは紛れも無くラザフォードの歌であったが、誰かを操る意図で歌われたものではなかった。寧ろ、これが本来のラザフォードの歌なのである。一族はこの力を代々悪用してきただけなのだ。
(冥土でもまたお前の連れをやってやるよ)
 エリオットはマーカスに操られていると思っていたアレックスが、何故マーカスを撃てたのか不思議だったが、やがて正解に辿り着いた。
「ヴィクトーお前…」
 エリオットが立ち上がり、ヴィクトーの肩を掴む。
「アレックスを操ったのか? お前が撃てって…」
 ヴィクトーは薄笑いを浮かべたまま黙っていた。エリオットは泣きじゃくるアレックスを見た。彼も事情を知っているのか。
「どうしてそんな事を!? お前が歌を使ったらどうなるか…」
「知ってる知ってる。けど覚悟の上だし、こうしなきゃ誰もマーカスに手を付けられなかっただろ? ほら、服が汚れるぜ」
 ヴィクトーは義父の手を振り解き、何処へ行くともなく歩き始めた。マーカスの返り血で汚れると言ったのではない。いつ呪いが発動してもおかしくなかったからだ。
「ヴィクト…」
 彼の後を追おうとしたエリオットの目の前で、突然ヴィクトーが腹から血を噴き出して前のめりになった。
「ヴィクトー!」
 地面に叩き付けられる前に、エリオットが彼を支えた。
「ほっとけよ、ほっとけ…」
「黙れヴィクトー!」
 エリオットが叫ぶ。応急処置をしようとヴィクトーを地面に寝かせたが、まだ彼は譫言の様に何か話していた。
「だから喋るなって!!」
 オズワルドは一応マーカスの脈を確かめてから、エリオットに手を貸す為にヴィクトーの様子を見た。マーカスはもう助からないが、ヴィクトーは出血が多いものの今すぐ手術をすれば十分助かる余地はある。
「馬車で近くの病院まで運びます。手を貸して下さい」
 オズワルドはエリオットに、馬車を出して来るから止血を続ける様に指示した。オズワルドはテントの前に座り込んでいる少年にも声をかける。
「アレキサンダー君かな? 君はホテルに状況を伝えてくれ。じきに警察が来るから、遺体には触らない様に」
 そしてオズワルドは劇場を見た。もう嗚咽は聞こえない。フェリックスがどんな状況になっていてもショックを受けない覚悟をして、彼は足を踏み入れた。

 オズワルドのテキパキとした指示を遠くに聞きながら、ヴィクトーは血の気の無くなった指で覗き込むエリオットの頬に触れた。
「…………」
 もう声が出なかった。それでもエリオットは、口の動きで彼が何と言おうとしたのかを知った。
『お父さん』
「…ヴィクトー…!」
 彼の呼び掛けに、銀の髪の少年が応える事は無かった。

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