Cosmos and Chaos
Eyecatch

第29章:ヴィクトーの歌

  • G
  • 2328字

 その後はヴィクトーとアレックスが他愛も無い世間話等をしただけで、ちっともブルーナの誕生会らしくならなかったが、料理が無くなったので二人はお暇する事にした。その料理もブルーナは殆ど口を付けなかった。
「皿は置いとけ。俺がやるから」
 ブルーナが自分の食器を流しに置きに立ちあがったのでヴィクトーが言った。ヴィクトーがブルーナの顔を見ると、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「どうしたよ?」
 ヴィクトーが尋ね、答えようとしたが出たのは声ではなく涙だった。
「フェリックスが…」
 漸くそれだけ言ったが、二人にはそれだけで十分伝わった。フェリックスが自分の元を離れて行った。こうなる前から、ずっと不安だったが、実際に別れた後の孤独や寂しさ、虚しさは、想像以上のものだった。ブルーナの頭からフェリックスが離れる事は一瞬たりとも無かった。
「大丈夫だって」
 ヴィクトーが立ち上がってブルーナの頭をポンポンと叩いた。
「今は誤解されてるかもだけど、きっといつか解ってくれるからよ」
 ブルーナは頷いたが、まだ暫くの間は、フェリックスに合わせる顔が無いと思っていた。フェリックスが本当に、自分の事を許してくれる日が来るのだろうか。

 アレックスが泣くブルーナを宥めつつ連れ帰った後、ヴィクトーはささやかなパーティーの後片付けを始めた。一人になったヴィクトーの脳内に、あの歌が流れだす。

裏切り者はまだ生きている
エドガーはまだ生きている
俺はそいつを殺すのさ
自分共々殺すのさ

(エドガーを殺す)
 先程までの、いつも何か企んでいる様な表情は消え失せ、らしからぬ呆けた顔で彼が考えていたのは、ただ一つだった。自分の弟を殺す。殺さなければならない。
 ヴィクトーは誕生日の前夜に、とうとう歌の魔力に負けてしまっていたのだ。ラザフォードの歌は抗おうとすれば激しい頭痛や精神的不安定に襲われるが、一度受け入れてしまえば何とも無かった。他人との会話や日常生活に影響する事は無く、周りの者が見ても歌の魔力に支配されていると気付く事は難しい。ただ、操られた者は歌の目的の為なら手段を選ばなくなる。まさしく操り人形と化してしまうのだ。
「ただいまあ~」
 皿を洗っている途中でエリオットが帰って来た。ヴィクトーは直ぐにいつものニヤニヤ顔に戻る。
「お帰り。今日は早いな。飯まだ出来てねーぞ」
「そうだろうな。王子の計画の都合で勤務時間があちこち移動させられるから堪ったもんじゃないぜ」
 先にシャワー浴びてくる、と言って風呂場の方に向かうエリオットの背中を見詰め、ヴィクトーは舌なめずりをした。
(北門の衛兵…)
 ヴィクトーは最早、彼を養父とは…愛するエリオットとは見做していなかった。操られている者にとって、周りの人間は目的の為に利用出来る道具か、目的の達成の邪魔になる障害のいずれかである。
 ヴィクトーは皿を洗い終え、脱衣所で衛兵の制服を洗濯篭に放り込んでいたエリオットに近付いた。男二人の世帯なので、エリオットは暑い夏場は脱衣所の扉を閉めずに服を脱ぐ。開け放たれた扉の所に佇むヴィクトーの姿を認めて、エリオットが振り向いた。
「どうしたヴィクトー?」
 ヴィクトーは答える代わりに歌い始めた。ヴィクトーは魔法を習った事が無いので、直接声の届かない位置に居る人間に歌を聞かせる事は出来ない。しかし、ラザフォード家に代々伝わる魔法の歌は、魔力を十分に開発していない者でも、歌い方さえ知っていれば他人を操る事が出来るのだ。
 当然、ヴィクトーは歌の歌い方を知っていた。六年前、ラザフォードの名を捨てた時に、永遠に歌わないと誓わされた歌を、ヴィクトーは小さな声で、しかしエリオットにはっきりと聞こえる様に歌い始めた。
 エリオットがヴィクトーが何をしているのかに気付いた時には、既に遅かった。頭が締め付けられる痛みがエリオットを襲う。
「ヴィクトー! 歌うな!」
 ヴィクトーが自ら誓いを破ってラザフォードの歌を歌う筈が無い。エリオットは、ヴィクトーが既に操られてしまっていた事に気付かなかった自分に腹を立てた。何とかして歌うのを止めさせなければ。歌の効力が切れた時に…もし、切れる事があれば、の話だが…ヴィクトーは自分が操られて行った事を、後悔するだろう。そしてそれは、一緒に居たのに気付けなかった自分の責任でもある。
 上半身裸のまま、ヴィクトーに向かって突進する。耳を塞いでも耳元で大声で歌われれば聞こえてしまう。ヴィクトーの声が出ない様にする方が現実的だと瞬時に判断し、ヴィクトーの首を絞めようとしたのだ。勿論、死なない程度に。
 しかし、ヴィクトーが頭痛で思う様に動けないエリオットの腕をかわし、逆に彼を羽交い締めにするのはそう難しい事では無かった。ヴィクトーはエリオットよりも軽いが、戦いにおける器用さはヴィクトーの方が何倍も上である。門兵として過ごした十二年間と、盗賊として過ごした幼少期の十一年間。どちらが実戦に慣れているかと言えば、後者であった。
「ヴィクトー…!」
 エリオットの呼び掛けにヴィクトーが答える事は無かった。今や陶酔した様な顔でヴィクトーは歌い続けている。

裏切り者はまだ生きている
俺がエドガーを殺すから
その後お前は俺を殺せ
俺の指示には従うんだ

「ヴィクトー…」
 やがてエリオットがヴィクトーの名を呼ばなくなった。気絶したエリオットをその場に放置し、ヴィクトーは台所に戻る。ヴィクトーの顔には清々しい笑みが浮かんでいた。
(これであいつは俺の言い成りだ)
 関係の無い鼻歌を口ずさみながら、ヴィクトーは夕飯の支度を始めた。数分後、エリオットは何事も無かったかの様に目を覚ますと、シャワーを浴びていつもの様に食卓に座った。