Cosmos and Chaos
Eyecatch

第15章:居場所

  • G
  • 4320字

「もうやめよう」
 ブルーナがフェリックスに連れられ、何度目かに家に遊びに来た時にアレックスがそう切り出した。フェリックスはキッチンまで茶菓子を取りに行っていて、暫くは三階の自分の部屋には戻ってこないだろう。フェリックスの部屋はアレックスの部屋の隣だった。フェリックスが階下に降りて行くのを確認して、アレックスは兄の部屋のドアを叩いたのだった。
 ブルーナはその言葉が何を意味しているのかが解った。まさか計画から抜けようと彼が言う訳無いと思っていたし、アレックスもまたそれを意図して言った訳ではなかった。
 ブルーナはアレックスの顔すら見ずに頷いた。アレックスも無言でその場を去った。
 またしても兄に取られてしまった。
 元はと言えば、兄とブルーナが想い合っている事を知って、横取りして兄に目に物見せたかっただけだった。しかしいつの頃からか、アレックスは四六時中気に病む程にブルーナの事を好きになっている自分に気が付いたのだ。
 計画とはいえ兄に取り入るブルーナを見るのは、十五歳の少年にはかなりの心理的苦痛だった。自分の為にも、計画の為にも、彼女の事をすっぱり諦めた方が良い。最終的に下した結論はそうだった。
「くそっ」
 ふらふらと玄関から外に出て、練習用の案山子を蹴飛ばす。案山子は少しだけ振動して藁をはらはらと落としたが、案山子が慰めてくれる訳も無いので、アレックスは馬を駆ってヴィクトーの家へと向かった。
 冬休みに入っても、アレックスはしばしばヴィクトーの家に遊びに行っていた。決してブルーナを誘って行きはしなかった。ティムはもう一ヶ月以上も姿を現していなかった。
 ヴィクトーが賊かもしれない。その疑惑は未だ解決していなかったが、兄との溝が深まる一方で、ブルーナとも別れたアレックスにとって、一緒に居てくれる人間はヴィクトーしか居なかった。
 ヴィクトーも行き場を失くして自分を頼ってくるアレックスを拒絶する事無く迎え入れていた。
「まあ、俺達の場合はちょっと特殊だけど、よくある事だって…」
 ブルーナと別れた事を伝えると、ヴィクトーは昼食を作りながらそう言った。アレックスは沈んだ顔で頷いた。

「貴方、いつになったら帰るつもりよ?」
 農民風の服を着て、頭には手拭を被り、手には箒を携えた少女が尋ねた。
「っていうか、居ても良いけど手伝って」
 少女は部屋の隅でうずくまっていた少年に塵取りを無理矢理渡すと、部屋の掃除を再開した。栗色の髪が豊かな、気位の高そうな少女だった。彼女達が居る部屋は、壁と天井の一部が安っぽい板で修復されていたが、中の調度品は赤や茶色で統一された、品のあるものばかりであった。
 この様子だけ見ると、彼女の事をこの部屋の持ち主の使用人だと思う人が居るかもしれない。しかしそれは間違いで、彼女こそ、この部屋の持ち主であった。
「あー疲れた」
 そこそこ広い部屋を掃き終わり、少年に塵取りを持って来るように指示する。生成り色のマントを来た少年が従って立ち上がり、少女の箒を使って集めた塵を掻き集めた。
「一国の王子が一ヶ月以上も行方不明になって、ウィリアムズの国民はてんやわんやしてない訳?」
 塵取りと箒を部屋の壁に立てかけると、少年はマントのフードを脱いだ。中から真っ白でボサボサの髪が現れる。ティムは爺と口論となったあの日、姿を眩ましたは良いものの、行く当てが思い付かず、コリンズ城に姿を現したのだった。
 そしてこの農民風の少女、この少女こそが小国コリンズの姫…いや、先日の襲撃で先代の国王が崩御されたので、今は女王のドロシー・コリンズであった。
「多分してない。元々私は国民に姿を見せないし、父上が城の者に口止めしていたら、おそらく国民は私が行方不明な事すら知らないだろう」
 ティムは許可も得ずに女王の寝台に寝転がる。族の襲撃で国中の建物が壊され、人口が半分近くになってしまったコリンズ国は、ティムがウィリアムズ王に進言して物資や金貨や人材を送って来てくれなかったら危うく国が崩壊する所だったので、ドロシーはあまり強気に文句を言えない。しょうがないわね、という風に肩を竦め、自分も寝台に腰掛ける。
 ティムが此処に居る事は、コリンズの人間にも秘密だった。元々、女王の部屋の掃除を誰かに頼める程悠長な事態では無かったが、こっそり匿う必要が出て来たので部屋の掃除もドロシー自らが行っていた。
(今が冬で良かった…)
 どうしてもティムを風呂に入れてやる事が出来なかったので、ドロシーは心底そう思った。いや、水道の方は既に復旧していたが、こっそりティムを風呂場まで連れて行くのが難しかったのだ。
「計画の詳細と進行具合をもう一度お聞かせ願えるかしら?」
 手拭を取って自分もベッドに倒れる。起き上がってマントや服のポケットをごそごそと探るティムをドロシーは下から眺めた。格式ばった変な喋り方をしたり、喋っていて時々どう対応したらいいのか判らずに黙り込んでしまう癖を除けば、ティムも普通の17歳の少年と大差無かった。見た目は。
(一ヶ月以上も同じ布団で寝といて手を出してこないなんて、良い度胸してるわ…)
 同い年の少女の部屋に寝泊まりしているにもかかわらず、ティムはドロシーに対して一度も触れる事は無かったし、最近では例え目の前でドロシーが着替えていようがお構い無しである。ドロシーは始め傷心の所為だと納得していたが、一週間程で鉄壁の理性を持っているのだと見解を変え、最近は頭のネジが一本抜けているのではないかと心配している。何だか逆に健全ではない気がする。勿論、手を出して来るような奴なら一瞬で魔法を使ってウィリアムズに送り返してやっていたが。
「と言っても、此処に来てから協力者からの報告を聞いていないので、貴女に教えられるのはこの紙に書かれた事くらいだ」
 ティムが漸く探し出した巻物を受け取り、ドロシーは広げる。協力者の名前と年齢、住所、役割が書かれた分担表だった。ティムが飛び出してきた時、マントに入っていたこの書類しか持っていなかった。
「計画は紙には書き出していない。全て私の頭の中だ」
「聞いたわ。とりあえず、此処に移民させて欲しいんでしょ。何人くらいになる予定?」
 ドロシーは分担表に並んだ名前を目で追いながら聞いた。ドロシーもティムも他の事に忙しかったり、気を取られていたりで、この計画の事に付いて真面目に落ち着いて話し合うのはこの時が初めてと言っても良かった。
「七百人から八百人」
 ティムは靴を脱いで再びベッドに横になった。少しだけ開いたカーテンの隙間から見える月明かりが二人をうっすらと照らしていた。消えかけた蝋燭に向かってドロシーが素早く手を振ると、何処からともなく新しい蝋燭が現れて再び部屋の中を明るくした。
「そんなに? 襲撃される前にこの国に住んでた数よりも多いわね。でも、土地の方は大丈夫よ。元々人口密度が低いから」
「ああ、頼む」
 ティムはぼんやりと窓の外を見ていた。寒いと思ったら、雪がちらつき始めていた。この国には今、暖炉に使う薪すら無かった。木材は殆どが建物の再建に使われていた。
「それよりどうやってその人数をこの国まで連れて来るの? まさか、一人一人魔法で移動させたり、馬車に詰め込んでやって来れると思ってないでしょうね?」
 移動魔法はかなりの魔力と体力を消耗する。ウィリアムズとコリンズとの距離を移動するとなれば、自分自身ともう一人の人間を連れて行くだけでへとへとになってしまう。ティムの協力者の中に移動魔法が使えそうな魔法使いは今の所ティムとドロシー、ブルーナ以外に居ないし、その三人で数百人を移動させていてはキリが無い。また、馬車での移動は賊に襲われる危険性がある。しかし十分な警護は付けられそうになかったし、珍しいアルビノが詰まった馬車となれば多くの賊が寄って来るだろう。
「ない。地下にトンネルでも掘ろうかと思っている。というか、北門の近くから掘っている」
「どのくらいかかりそう?」
「優秀な魔法使いが味方になってくれれば、数ヶ月で掘れると思うのだが」
 ドロシーはアハハと笑った。女王の笑い方では無いな、とティムは思った。
「当てに出来ないわね。でも急ぐ必要は無いわよ。今すぐ来たって建物がございませんから」
 ドロシーが芝居ぶって言った。
「それで、移民後の統治はどうなさるおつもり? 私が全て取り仕切って良いのかしら?」
 ティムは窓の外の雪を掴む様な動作をして、暫く握った拳を見詰めていたが、ややあって力無くその腕を下ろした。
「ああ」
 その返事を聞いて、突然ドロシーは枕を引っ掴むとティムの顔をぶん殴った。
「ぶへっ。何するのさ…」
「貴方こそ何を傷付いてるのよ」
 ドロシーがどうして怒っているのか理解出来なかったティムは答えなかった。ドロシーが再度尋ねる。
「君主になるつもりも無いくせに、君主になれない事で傷付いている訳じゃないでしょう?」
 ティムが体を起こした。隙間風だろうか、蝋燭の炎が揺れた後に消える。月はとうに雪雲に隠され、部屋は殆ど真っ暗になった。ドロシーにはティムの顔が見えなかったが、ティムにはドロシーの表情がはっきりと判った。
「貴方、自由になりたいだけでしょう?」
 ドロシーは枕の下に置いてあった、何処か外国のコインを手に取り、握り締めた。このコインは、彼女の自由の象徴だった。
「ずるい…」
 泣きそうな顔でドロシーが言うと、彼女は再び蝋燭を灯して部屋から出て行った。あのコインは手に持ったままだった。ティムは生まれて初めて「ずるい」と言われ、複雑な気持ちでベッドに潜った。
(私はずるいか…)
 そう思われても仕方無かった。ティムは亡命後、亡命者の統率者になるつもりは無かった。その地位にはドロシーか、上手くいけばフェリックスを据えるつもりだ。
 ティムは結局、自由が欲しかっただけなのだ。しかしそれはドロシーが長年求めていた物でもあった。
 ドロシーには兄が居り、コリンズ国の次の国王には兄がなる予定だった。ドロシーはあと数ヶ月もして成人すれば、何処かの裕福な紳士と結婚して、少なくとも王室からは出る事が出来る予定だったのに、突然両親も兄も殺されてしまった。女王になったドロシーが、君主の不自由さから逃れられる日が来る可能性は、限り無く低くなった。
(私が援助等せずに、この国が崩壊してしまった方が、ドロシーにとっては良かったのかもしれない)
 自分が余計な世話を焼いてドロシーを苦しめる事になったのだという思いがティムの頭から離れずに、ティムはドロシーが湯殿から帰って来るまでに眠ってしまう作戦を失敗させる事となった。