第4章:どうして

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  • 3314字

 馬車の停留所を出て直ぐの所で二人はサンドラの父親に見付かった。サンドラの腕を引くレイモンドの姿を見るなり父親はレイモンドを殴った。レイモンドは口の中を切り、舌でその血を味わった。生の味がする。
「昨日は何処に泊まったんだ?」
 サンドラは殴られたレイモンドの頬に手を当てて心配したが、父の質問には答えなかった。父親は今度はサンドラの頬を張る。
 レイモンドはそれが許せなかった。自分が殴られるのはどうでも良かったが、サンドラには誰であろうと手を触れられたくなかった。
 無論、頭では解っている。レイモンドもサンドラも未成年だ。サンドラは家出をしたのだし、レイモンドは学校をサボって彼女の逃亡に荷担した。大人が怒るのは当然だった。
「どれだけ心配したと思ってる!? しかもこの小僧の所に行っていたのか!?」
 人の目も気にせずに怒鳴り散らすサンドラの父親の胸倉を掴み、レイモンドは彼を殴り返す。喧嘩が始まったのを見て近所の者が直ぐに警察を呼んだ。
 二人は警察に連行されて事情を聞かれたが、先に手を上げたのがサンドラの父親だった為にレイモンドは少し指導を受けただけで解放された。サンドラの父も殴った理由が理由であるし、レイモンドが被害として提出しないとしたのでお咎め無しとなった。
 しかしサンドラは父親に連れられて自宅に戻る事になった。
「今後娘に近付いたら、今度こそただでは済まないぞ!」
 そんな父親の捨て台詞と共に。
 意外にもレイモンドはそれ程落ち込んではいなかった。今後数ヶ月はサンドラに会えないだろう事が予測されたが、彼は自宅に戻ると何事も無かったかの様に夕食を作り始めた。
 夕飯の後、まだ学校の図書館が開いている時間帯である事を確認すると、制服に着替えてそこへ急いだ。
 魔法学院ではあるが、此処では魔法の使用に関する法律に関しても学ぶ。それに関連して、普通の法律書も何冊か所蔵されている事をレイモンドは期待していた。
(あった)
 法律関連の本が並ぶ棚に目当ての本はあった。
(ウィリアムズ国民法…)
 レイモンドはそれを手に取ると閲覧席で婚姻に関するページを広げた。
 ウィリアムズでは原則的に未成年は結婚出来ない。しかし例外が無い訳では無かった。
(例外その一、男女双方が学生ではなく、自立生活するのに十分な定収入がある場合、当事者とその保護者の同意を以て結婚を認める…その二、男女双方が学生ではなく、二人の間に子がある場合、育児と生活に十分な定収入があり、当事者同士の同意がある場合に限り保護者の同意無しに結婚を認める…)
 レイモンドは以前から例外について知っていたが、念の為詳しい条件を確認しに来たのだった。それが自分達に適応しうる条件だと知り、レイモンドは次に妊娠出産についてのページを探した。
(サンドラが妊娠していれば結婚出来る)
 レイモンドは学校を辞めるつもりでいた。後は収入をどうやって得るかだが、この国では中卒が最終学歴の人間もそう少なくない。今のバイトだけでも結構な収入があるし、学校に行かなくなればもっと働ける。レイモンドは職種に拘らなければどうにでもなると高を括っていた。
(未成年者の妊娠出産について…母親となる未成年者の合意無しに妊娠中絶させる事は出来ない。但し、健康上の問題がある場合、未成年者が義務教育中の場合は、保護者の合意の元、本人の合意無しにこれを行う事が出来る)
 レイモンドは分厚い本を棚に返すと、人気の少なくなり始めた学校を後にした。
(完璧だ)
 家に戻ると服を着替えて風呂場に向かった。右手には何故か包丁を握っていた。
(サンドラが妊娠していてくれたら結婚出来る)
 満足そうな笑みを浮かべながら彼はまた自分を傷付けた。何故またこの行為に及んだのか彼自身も理解していなかった。
 サンドラとお腹の子の命を、自分がサンドラを手に入れたいが為に利用する。命とは何なのだろう。愛よりも解し難い、と、冷たい水にたゆたう赤い糸を眺めながらレイモンドは考えていた。

 初めは夏風邪だろうと思っていた。一週間経っても良くならなかったので、サンドラはある事に思い当たって震え上がった。
 これは妊娠しているのでは? 最近生理が不順であるし、もしやと思いつつ彼女は買い物を装って夏休み中のアーノルドと共にレイモンドの家を訪ねた。家出から数ヶ月、サンドラは一度もレイモンドに会えなかった。単独での外出を両親に禁止され、アーノルドは期末試験やらキャロルの事やらでてんやわんやだったし、レイモンドも訪ねて来なかったからだ。
 アーノルドとサンドラは親の前では仲が悪い振りをしている。今日もサンドラは誰かと一緒でなきゃ外出出来ないから仕方無く、といった風にアーノルドを呼び出した。まさかアーノルドがサンドラの味方だと思っていない父親は、暫くあの憎い小僧の顔を見なかった事もあり、油断した。
 レイモンドのアパートの前でアーノルドは立ち去った。
「俺居ない方が良い感じっぽいねー。そこの公園で暇潰してるからー帰る時呼べよ」
 アーノルドの気遣いに感謝しながら、サンドラはチャイムを鳴らした。数秒後、愛しい声が扉の向こうから問いかけてくる。
「どちら様?」
「レイ…!」
 サンドラの呼び掛けにレイモンドは返事もせず、扉を開けると彼女を引き込んでまた厳重に扉を閉めた。玄関で二人は抱き合い、キスをしてから互いの顔を見詰める。
「痩せた?」
 サンドラの問いにレイモンドは笑って誤魔化した。レイモンドはこの夏一杯で学校を辞めていた。今はバイトを掛け持ちしながら、秋から働く場所を探している所だった。正直な所、いつでも楽しく働けている訳ではない。就職面接も幾つか落とされていたし、ストレス痩せだった。
「サンドラこそ。何か具合悪そう」
 心配しながらもレイモンドは内心ほくそ笑んでいた。
「あ、あのね…」
 サンドラは言いにくそうにしながらも、レイモンドの目を見てはっきりと伝えた。
「妊娠したかもしれない」

 サンドラはレイモンドに寄り掛かってぼうっとしていた。脳が考える事を拒否していた。
 二人はあの後、匿名で検査を受けられる病院に行った。結果は陽性だった。
 レイモンドは自分の膝の上の、自分が握るサンドラの手を見詰めていた。夏の熱い陽射しがレイモンドのベッドに高いコントラストを描いていた。
「…ごめん」
 レイモンドは心から謝罪した。彼は結局、自分の事しか考えていなかったのだ。まさかサンドラが子供を持つ事を望んでいないとは思いも寄らなかった。彼女は母として生きるつもりは無く、一生仕事をしていたかったのだ。
 サンドラは首を横に振った。自分の意思を伝えず、拒絶しきれなかった自分にも責任がある。
 レイモンドは彼女は中絶を望むだろうと思っていた。別れを告げられるかもしれないと覚悟していた。だから黙っていた。彼女が話し出すまで決して話し始めるものか。もう自分に彼女のやる事を制限する資格等無い。いや、元からそんな物無いのだ。
 サンドラはレイモンドの呟きで思考を再開した。自分の人生を取るか、レイモンドを取るか…。子供を産めばレイモンドと結婚出来る事は知っていた。
 結局彼女は決定を下さないまま、レイモンドの家を後にした。彼女が居なくなった部屋に独り残されたレイモンドは、二種類の洗剤を持って風呂場に行った。
(俺が死んだらサンドラは迷う事無く子供を下ろせる…)
 レイモンドは片方の洗剤に手をかけた。しかし、蓋を開けないままそれを放り出すと、台所に包丁を取りに行った。
 普段は掃除が簡単な風呂場でしか手首を切らないが、今日は我慢が出来ずに包丁を手にするとその場で皮膚を切り裂いた。何度も何度も浅い傷を付ける。血が良く流れる様に、慎重に深い傷を必要最低限付けるいつものやり方ではなかった。
 数回切り付けた所で彼は包丁を流しに落とすと、床に膝を付いて泣き始めた。
 サンドラに不治の傷を付けてしまった。
 死にたい。死にたい。死にたい。
 しかし彼はサンドラよりも生に執着していたのだった。
 死にたくない。死にたくない。死ぬのは怖い。
 父さん、母さん、貴方達はどうして自分を殺す事が出来たの?

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